元ちゃん見聞録

その日に見たこと、聞いたこと、体験したことを時には写真とともに気ままにお届けします。

納骨

2006-05-14 | 家族
4月に鳥取の菩提寺から持ち帰った父の納骨をしました。横浜セントヒル霊園にある合祀墓“さいかいのひ”への改葬です。私たち3人姉妹で跡を継ぐものがなく鳥取では遠くてなかなかお参りも出来ないと言う事で決めました。親族12人集まって父もにぎやかで喜んだ事と思います。これからは近いので何時でもお参り出来ますし、明るくお花の絶えない霊園で気持ちが落ち付きます。父は昭和45年12月に56歳で亡くなりました。郵政省に勤めていましたがお酒が強く東の横綱と呼ばれていましたが40歳の時に断酒友の会に入会しそれからは一滴もお酒を飲みませんでした。NHKのクイズ番組“それは私です”(変わった経歴の持ち主が偽者2人と出場して回答者が本物を当てる…野村アナウンサーが司会でした)に出場した事もあります。講演会にも呼ばれて経験談を話したりしていました。スポーツ万能のやさしい父でした。
    

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4 コメント

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Unknown (信さん)
2006-05-15 20:40:19
お父様のいいご供養が出来ましたね。

5月14日の日記を読ませていただいて、私も今は亡き父を思い出しました。

私も4人姉妹で皆嫁ぎ、母が〔昭63年〕父が〔平成元年〕に相次いで亡くなり、後継者もなく、父の3回忌の時仏壇をお寺にもって行き、永代供養をしていただきました。父母のお墓は上大岡にあり、私たち姉妹が生きている間は、お守りしてあげられると思っています。

父は今生きているとしたら、99歳になっているはずです。毎年4月2日の父の誕生日が来るたびに年齢を数えています。

NHK野村アナウンサーの「それは私です」と言う番組 昔家族でよく見ていました。

元子様のお父様それに出演していらしたのですね。

いくつになっても、父母への愛は深いものですね。

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お墓について (元ちゃん)
2006-05-16 15:46:29
信さんコメントありがとう。若くして亡くなったので良い思い出がいっぱい残っています。お酒の上での失敗もたくさんあったようですが子供だったのであまり覚えていません。この霊園は800人分納骨できる大きなドームのような物(写真の赤御影石の物です)があってその向かい合わせに黒御影石の墓誌があります。そこに入っている方の俗名、亡くなった年月日、歳が刻まれています。生前に買われた方には名前だけ刻んであります。夫婦隣同士に納めていただけると言う事で母の分も買ってあります。そんなわけで半分以上はまだ名前だけです。お墓に対する考え方も時代と共に変わっていくんですね。
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Unknown (鹿児島おばちゃん)
2006-05-17 00:58:11
元ちゃんコンバンワ!お父様のご遺骨、大きな霊園の慰霊碑に収められたのですね。

遠い所にお墓があるのは気になりますね。

お近くになられて、お母様もお喜びと存じます。お父様はお若くてお亡くなりになられたのですね。TVにもご出演されたのですね。

お思いでいっぱいのお父様ですね。

ところで元ちゃんは鳥取のご出身なのですね。鳥取にはご縁がないな~~と思いかけたのですが、大きなご縁があるのでした。

主人の母の母、つまり祖母は鳥取の出身で、ひおじいさんの「武田文十郎」と言う人は大正13年に亡くなっています。祖母は御殿勤めをしていたとかで、大変厳しく読み書きそろばんなど大変優れた方だったようです。

義母の従妹の方が一人居られて、一度義母は鳥取に行った事がありますよ。

なんだかいろんなところの方とご縁がなさそうでどこかご縁があるものですね。

牛蒡と牛肉のおこわ、皆さん喜んでくださってますよ。ありがとう!
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お疲れなのに・・・ (元ちゃん)
2006-05-17 08:42:17
カゴさんおはようございます。お料理をたくさん作って、お通夜に行かれてお疲れでお帰りなのにコメントありがとうございます。父も母も鳥取出身です。母は市内、父は流し雛で有名な用瀬(もちがせ)です。父は次男なので結婚と同時に昭和16年東京に出てきました。戦争中、私たちは鳥取に疎開していましたが鳥取での生活は覚えていません。母も東京での生活のほうが長くなって鳥取には未練がないようです。かごさんのフォトを見て昨夜は我が家もおこわを作りました。
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