熊谷達也氏の仙河海サーガ第7作。
時代的には、ずっと遡って、明治、大正、昭和の最初期までを扱う。
「仙河海は昔から商人の町であった。扱う品々は多岐にわたるが、三陸の海岸にへばりついている地形上、海産物の取り扱いが中心となる。」(10ページ)
「漁獲を水揚げする場所は、仙河海湾の奥にあるない湾の一角、五十集(いさば)町の桟橋だ。桟橋といってもそれぞれの問屋が勝手に作ったものである。「ダシ」と呼ばれる桟橋と、ダシを所有している魚問屋の納屋が、全長百五十間程度の狭い岸壁に五十軒近くひしめき合っている。」(10ぺーじ)
冒頭近く、仙河海の港の情景描写が、たんたんと端正に続けられるが、私たちには、活気に満ちた街の空気がその向こうに感じられ、まさしくこの場所を舞台に、物語が始まって行く期待が高まっていくかのような開幕である。
仙河海は、気仙沼ではない。しかし、私たち気仙沼の人間にとっては、核心はやはり気仙沼である。
われわれのメンタリティ、みたいなものを、きちんとすくい取ってもらえている、といっていいものと思う。
「実際、カツオ船の入港の際に唄われる「大量唄いこみ」は、陸(おか)で待っている者に入港を知らせる合図であるとともに、手漕ぎの辛さを少しでも減じるための労働歌でもある。」(11ぺーじ)
主人公菅原甚兵衛(じんべえ)は、港の沖に漕ぎ出して、漁船から魚を買い付ける沖買船の船頭である。沖買船とは何か、船頭とは何か、ここでは解説しない。熊谷達也氏がこの小説で詳しく説明してくれている。甚兵衛の人物像とともに、いきいきと描く氏の筆致にお任せすべきだろう。
この甚兵衛という人物は、三陸海岸の小さな町やその沖合にとどまらず、遠く厳寒の北洋や、函館、横浜の街、あるいは仙台まで繰り出し、威勢がいいだけでなく、心やさしく、おおらかで緻密で案外文化的でもある。体格的には中肉中背で、ということのようだが、この気風(きっぷ)やたたずまいは、気仙沼の人間であれば、モデルが想定できたりする。まあ、その人物の、ある部分を切り出して、他のたとえば、実際のマグロ船やカツオ船の船頭などのエッセンスも含めて作り上げた架空の人物であることは言うまでもない。(しかし、この人物、いつも熊谷作品ではいい役ばかり貰ってうらやましいこと限りない、などというのは、この小説の紹介としては脱線となる。こんなにもてたんでは、かわいい奥さんも心配で夜も眠れないなどということにもなりそうである。)
熊谷氏は、江戸時代や明治、昭和の津波、また、大火のこと、そのあとの復興のこと、唐桑鮪立港古館・鈴木家を中心としたカツオ漁の歴史など、丹念に調査をされて、この小説に生かされている。かつ、石巻、塩竃をはじめ三陸沿岸の漁業や津波被害の歴史も踏まえ、仙河海を、狭く気仙沼のみに閉じ込めることなく、一種の普遍性のもとで描き出しているというべきだろう。
世界に開かれた港町、などと僭称するわが気仙沼人のメンタリティを、見事にすくい取った小説ということになりそうである。
本の末尾の主要参考文献を書き出してみる。これを知らなければ読めない、などということはない。
『気仙沼市史』、『気仙沼町史』、『海鳴りの記―三陸漁業の歩み』(小松宗夫著)、『気仙沼漁業協同組合史』、『焼津水産史』、『函館市史デジタル編』、『宮城県警察史』、『哀史 三陸大津波 歴史の教訓に学ぶ』、『津波てんでんこ 近代日本の津波史』、『津波の恐怖―三陸津波伝承録―』(以上3冊、山下文男著)、『明治29年の大津波 復刻「文藝倶楽部」臨時増刊「海嘯義捐小説」号』(坪内佑三編)、『三陸海岸大津波』(吉村昭著、『北洋の開拓者―郡司成忠大尉の挑戦』(豊田穣著、『ラッコ船開盛丸の受難』(細川清徳著)、『ラッコのいる海 人間はいかの生態系を傷つけてきたか』(吉川美代子著)、『本間家蔵出しエッセー明治石巻のラッコ猟』(本間英一著 石巻学vol1創刊号所収)、『ラッコ船の基地占守(シュムシュ)島の話』(HP浦戸諸島より)
ここから先は蛇足ともなるが、この小説に描かれた歴史のどこまでが気仙沼のもので、どこが他の町から持ってきたものか、作者のフィクションがどの程度入っているのか、などということは、文学に関心を持ち、現在、図書館に職を有する者としては、調査すべき課題でもありうるし、退職後の課題として抱えていくべきものとも思う。また、登場人物の語る言葉が、気仙沼弁というよりは、やや内陸の言葉、仙台の言葉に近いような印象も受けるが、このあたりも研究課題となるだろう。もっとも、気仙沼弁といっても、市内の狭い地域ごと、あるいは、人によっても偏差がある。また、時代によって変化も被る。そのあたりは、この小説の楽しみ方としては、大勢ではなく、特定の限られた範囲(というか、ほぼ私のみ)の楽しみ方、ということになるだろう。
かなり綿密な調査をしないと、こんな空気感は出せないだろうなと思いました。
追ってみたい作家の一人です。