ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

谷川俊太郎「こころ」朝日新聞出版

2013-10-15 01:08:43 | エッセイ

 谷川俊太郎は、同時期に二つの違う傾向の詩集を出すという話があって、今回も「こころ」と「ミライノコドモ」が、今年の6月という同じ月に出ている。

 ずいぶん前の「定義集」と「夜中に台所でぼくは君に話しかけたかった」という2冊の詩集がそんな関係で、「定義集」のほうは、現代詩の世界でも先端に位置するような問題作であり、「夜中に…」のほうは、詩のひとつひとつが、具体的な人物に向けて書かれた詩で、日常語で語りかけるような比較的読みやすい詩集だった。たしか、そうだった。

 「定義集」は、たとえば、りんごのことを書いている詩なのに、りんごということばが一つも出てこない、具体的な描写を積み重ねていくのだが、具体的に何のことを言っているのかよくわからない、しかし何のことを言っているのか分かると、ああなるほどそうだったのかと得心がいくとか、そんな詩集だった。

 今回の「こころ」は、読みやすく分かりやすく、言葉遊びでもあるふうな、若者向けに書かれたというような詩集。

 もうひとつの「ミライノコドモ」は、これは、ひょとすると、谷川俊太郎の現時点における最高傑作かもしれない詩集。

 こちらについては、続けて、別に書くことにしたい。

 で、「こころ」である。

 これは、分かりやすく読みやすい、とは言っても、だから、面白くないとか、レベルが低いということではない。

 でも、ときどき、少し若者たちに迎合したような一行が出てきて、それはちょっとどうかな、と思ったりもする。でも、それが実は、とても効いている一行なのかもしれない。

 

  「花屋の前を通ると吐き気がする

  どの花も色とりどりにエゴイスト

  青空なんて分厚い雲にかくれてほしい

  星なんてみんな落ちてくればいい

  みんななんで平気で生きているんですか

  ちゃらちゃら光るもので自分をかざって

  ひっきりなしにメールチェックして

  私 人間やめたい

  石ころになって誰かにぶん投げてもらいたい

  でなきゃ泥水になって海に溶けたい」

 

  無表情に梅割りをすすっている彼女の

  Tシャツの下の二つのふくらみは

  コトバをもっていないからココロを裏切って

  堂々といのちを主張している

 

  (10ページ 彼女を代弁すると 全文)

 

 ここでいうと、「ひっきりなしにメールチェックして」の一行。今ふう、今の若者の風俗であることに間違いはない。ま、谷川さんも、結構一日の裡にはメールチェックしているのだろうけれども。「梅割り」という言葉は、古くさいが、ちょっと大衆的に過ぎるかもしれない。

 梅割り。

 この「彼女」は、私、ちょっと昭和趣味なのね、などとおっしゃる今ふうの女の子かもしれないな。でも、ちゃらちゃらはしていなくて、戦後の無頼派気取りで斜に構えたクールな女の子。

 あ、そうか、この子は、自分はそんなに頻繁にメールチェックなどしない、と言っているだな。今ふうの女の子じゃないわよ、と。

 でも、若い。

 どうだろう。この詩は、言葉とか、心とか、あるいは若さとか、そういうものの不確かさ、分かりきっているようなものの分からなさみたいなものが表現されていないだろうか。 総じて人間の深いところに視線が届いている感じがしないだろうか。

 別の詩。

 

  好きってメール打って

  ハートマークいっぱい付けたけど

  字だとなんだか嘘くさいのは

  心底好きじゃないから?

 

  でも会って目を見て

  キスする前に好きって言ったら

  ほんとに好きだって分かった

  声のほうが字より正直

 

  だけど彼は黙ってた

  そのとたんほんの少し私はひいた

  ココロってちっともじっとしていないから

  ときどきうざったい 

 

  (16ページ うざったい 全文)

 

 最後の「うざったい」を含む一行がそんな一行、と思ったけど、この詩は、「メール」とか「ハートマーク」とか、全体が迎合と言えば迎合か。通俗と言えば通俗。

 でも、同じ言葉でも、字で書いたのと口から声に出したのでは違うということ、言葉と心は、完全に一致するわけではないこと。確かにその通りだよね。そんな微妙なところが、分かりやすい言葉で表わされている、活写されている、そんなふうに見えないだろうか。

 「裸身」という詩は、「白い裸身」ということばがドキッとする、そんな危うい一行と言えないこともないが、全体として、とても美しい詩になっている。

 

  限りなく沈黙に近いことばで

  愛するものに近づきたいと

  多くのあえかな詩が書かれ

  決して声を荒げない文字で

  それらは後世に伝えられた

 

  口に出すと雪のように溶けてしまい

  心の中ではしか声に出せないことば

  意味を後ろ手に隠してることばが

  都市の喧騒にまぎれて いまも

  ひそかに白い裸身をさらしている

 

  (60ページ 裸身 全文)

 

 谷川俊太郎の詩のような美しいことばは、「都市の喧騒にまぎれて」見えなくなっている、と言えるのかもしれないが、見ようとするものには、しっかりと見えているのだ、といいたい。

 もし私が、喫茶店を開業することがあったら、その白い壁に、谷川俊太郎の詩は貼り出しておきたい、ひとの目に触れるようにしっかりと書いて、しかし、さりげなく貼り出しておきたい、と思う。見えるものには見えるように。

 最後は、余計なことかもしれないが、76ページの「シヴァ」という詩。インドの最も恐れられ、最も崇敬される神。破壊神。まさしく、その通りだとは思う。短く簡潔に深く言い切ってしまえているすぐれた詩だとは思う。だが、しかし。東北の海岸に住むわれわれにとっては、まだ早い、というべきか、時期の問題ではない、とまで言うべきか。ここに住む人間にとっては、こころの中に、抗うものはある、とだけは言っておこうか。


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