ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

エッセイ 哲学者 中村雄二郎とバリのダンス(後編)

2010-03-09 21:47:31 | エッセイ
昨日の続き。平成9年のものですからお間違いなく。

 「強い魔力をもった…魔女ランダは、クリス・ダンス(男たちがトランス=忘我失神状態に入って自ら胸に短剣≪クリス》)を突き立てる舞踊」で知られるバロン劇(バロンは人々の味方をする善なる怪獣の名)をはじめ…舞踊や彫刻に出てくるもので、ただ恐ろしいだけでなく、たいへん魅力ある存在として位置づけられている。」と紹介されているバロンダンスや、優美なレゴンダンス、「戦士の踊り」バリスダンス、華やかで不思議な響きのガムラン音楽、そしてケチャックダンスと、観光客向けのものであるとはいえ、見て聴いてきた。
 バロンは、獅子踊りの獅子、虎舞いの虎であり、ケチャックダンスは、ヒンズー教のラーマーヤナに題材をとったというが、歌舞伎や中国の京劇と共通するものがある。中村雄二郎の受けたカルチャー・ショックをストレートに共有できたとは言いかねるが、アジアの中で日本が孤立した全く独自の区域ということでなく、多くの共通点を持つのだということが理解できたとは思う。
 今月17日水曜日、魚市場北桟橋屋上で、バリ島タガス・グヌン・ジャティ歌舞団の公演が行われる。ガムラン音楽とケチャックダンスに再び会うことができる。
 「私たち近・現代人は、近代科学の分析的な知、機械論的な自然観にもとづく知によって、事物と自然をひたすら対象化し…支配しようとしてきた…ところが…現実や自然から手きびしいしっぺ返しを受けることになった。」
 自然を支配しようとする近代科学の知とは正反対の「パトスの知」=情念、受動、受苦の知=「演劇的知」=「臨床の知」を、中村雄二郎はバリ島のダンスに触れて捉えた。
 ぼくたちが、かれの哲学的な経験を追体験できるかどうかにはかかわりなく、気仙沼湾に面した夜の魚市場屋上のゆらめく灯のもとで、美しく不思議に感動的な体験ができることは、間違いがない。


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