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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

高木俊介 対人支援のダイアローグ 金剛出版

2022-11-14 14:52:15 | エッセイ オープンダイアローグ
 副題は、オープンダイアローグ、未来語りのダイアローグ、そして民主主義。
 高木俊介氏は精神科医で、日本におけるオープンダイアローグの紹介者であるが、長くACTと呼ばれる地域の精神科医療の活動に取り組まれ、実績を残している方である。
 この書物は、オープンダイアローグ、未来語りのダイアローグについてのものであるが、はじめに、ACTという活動について、少々長くなるが氏の記述によって紹介しておきたい。オープンダイアローグについては、このブログでずいぶんとたくさん紹介しているからということでもあり、ACTという活動が、現在の日本において先駆的な意義を有するものであると思うからでもある。

【ACTとは?】
 さて、ACT(Assertive Community Treatment:包括型地域生活支援)とは、

「アメリカで脱施設化を推進するために行われる地域精神医療のひとつだ。名前の通り、医療と福祉を合わせた包括的支援を提供する。そのために24時間の危機介入を多職種チームで利用者の居住地への訪問によって行う。精神病院を大幅に縮小するために、病院が持つ機能のすべてと精神障害者が地域で生活するための支援を地域まるごとに広げようという試みである。」(19ページ)

 精神病院への隔離収容から、地域における開かれた生活へ、という流れである。
 ちょっと余談のようになってしまうが、Communityは「地域」、Treatmentは「取り扱うこと、やさしく関わること」で、「支援」ということにもなるのだろう。(ネットで見ると、そうか治療、処遇、処置などとも翻訳されるのか。)生活ということばは、地域、支援という言葉の間に生成するというか、補うことで内容が分かりやすく伝わりやすくなる言葉ということになるだろう。
 ところで、では、Assertiveが「包括的」という意味なのかというとたぶん、違う。積極的に行動に出していく、などという意味合いのはずである。精神障害者に対して、積極的に地域生活を支援していこうとする取り組みということだろう。積極的に、かつ、当事者が受け入れやすいように配慮して関わる姿勢を保持して、やさしく手当てするように。
 しかし、ここで支援する主体は、精神科医単独でも、ソーシャルワーカー単独でもなく、多様な職種の人間がチームを組んで支援するのだ、そして支援する対象は、障害者の病気、症状のみではなく、その生活全体なのだ、というところで、包括的という言葉が使われているはずである。
(ここでまたちょっと寄り道すると、支援する「主体」は支援者であり、支援の「対象」は障害者だというのは文法の話であり、文法上、主語と目的語があるという、とりあえずはニュートラルな話である。支援の対象者が、実は生活する主体者であることは当然の前提である。ただし、國分功一郎などの論を参照しつつ、能動と受動の権力の方向性には留意しておきたい。)
 3つの単語からなる英語の熟語「Assertive Community Treatment」の翻訳として、「包括型地域生活支援」という日本語の熟語が与えられているというわけである。(逐語的な翻訳というよりは一種の意訳である。)
 ACTとはどういうものなのか、もう少し読んでみる。

「ACTチームは、精神科医、看護師、精神保健福祉士、作業療法士、臨床心理士、就労支援専門家など多彩な顔ぶれの多職種からなる。これらのスタッフが定期的に、あるいは必要に応じて、利用者の自宅や職場に訪問して、医学的治療、広範な生活支援、レクリエーション、リハビリテーション、就労支援、家族支援など精神障害者の療養と支援に必要なあらゆる支援活動を行うのである。さらに急性憎悪期には二四時間三六五日の危機介入を同じチームが受け持つ。
 このような支援体制は、特に医学的治療を要する疾患と日常生活上のつまづきをきたす障害が表裏一体となって存在している統合失調症のような精神疾患の回復に対して大きな意義を持っている。…「安全保障感」に乏しい統合失調症を持つ人たちにとって心強い助けとなり、その基盤の上に、障害を乗り越えて生活を営んでいく「リカバリー」が生まれる。」(102ページ)

 高木氏は、日本におけるACT活動の先駆者であり、京都において新しいチーム、ACT-Kを創始し、活動を続けてこられた。
 しかし、

「当時、僕は行き詰っていた。ACT(Assertive Community Treatment:包括型地域生活支援)という活動を初めて、試行錯誤を繰り返しながら10年近くになろうとしていた。……重症の精神障害者を、地域の多職種訪問チームで支えた実績はつくってきた。しかし、そこから先が見えない。」(18ページ)

【オープンダイアローグとの出会い】
 そういう時に出会ったのが、オープンダイアローグ(OD)であり、未来語りのダイアローグ(AD)であるという。
 実は、この書物本文の冒頭は、以下のように始まっている。

「ODとの最初の出会いは、薬物療法批判の一冊の本だった。現代の精神科薬物療法が、巨大製薬企業の戦略とそれに共謀する研究者の権威によっていかにゆがめられているか。…ここに、フィンランドの西ラップランドでODという新しい方法が生まれ、急性精神病状態の人が薬をほとんど使わずに驚くほどよい経過をとっていることが、…紹介されている。」(16ページ)

 この書物で、高木氏がおっしゃることからしても、「収容」からの脱却、「投薬」からの脱却、このふたつが、これからの精神科医療における重要なファクターだと言っていいのだと、私は思う。どちらにも「のみ」と付けておくのが穏当ではあろう。そして、開かれた場における「ダイアローグ」へと続く。

「ソーシャルネットワーク(SN)こそが出会いの場であり、回復の場であると書かれている。書き出しからして「人は社会関係の中で生きている」とくるのだ。私たちの生きる現代の世界で最も深刻なことは、SNが崩壊してしまったことだという。個々の疾患、悩み、問題から説きはじめる精神医学や心理学の本は山ほどあるが、社会の問題からはじめた精神科の本ははじめてだ。しかも個人の「問題」はなかなか出てこない。いや、ついに最後まで出なかった。つまり、ヤーコ・セイックラ(Yaakko Seikkula)とトム・アーンキル(Tom Erik Ankil) という二人の著者は、問題を個人化することなく、治療について一冊の本を書いてしまったのだ。これはもしかしてすごいことではないか?」(17ページ)

 旧態依然たる日本の精神科医療に対して風穴を開けようとACTの活動に取り組んできた高木氏が見出したのが、オープンダイアローグである。

「トム(・アーンキル)たちが最も力を込めて語ったのは、社会全体を民主主義的なものにしていこうという、一見技法からは飛び離れた真摯なメッセージだった。」(73ページ)

 オープンダイアローグもACTも、「社会全体を民主主義的なものにしていく」という志を根底に有するものであるのだろう。

【中井久夫、そして神田橋絛治】
 氏は、自らを導いた先駆者とて、中井久夫、神田橋絛治の名を挙げる。

「精神科医として駆け出しの頃、中井久夫、神田橋絛治らの書くものを貪るように読んだことがある。」(159ぺージ)

「中井と神田橋という二人の先達に出会ったのである。」(160ぺージ)

 そして、特に第Ⅲ部は、「神田橋精神療法とオープンダイアローグ」と題され、神田橋の精神科、精神療法の「診断面接のコツ」について二つの論考を収めている。

【ダイアローグの実践から社会の変革へ】
 第Ⅳ部は、高木氏と、竹端寛氏、舘澤謙蔵氏による座談会「対人支援のダイアローグ-ダイアローグの実践と精神医療改革、そして真の民主主義へ」である。
 竹端寛氏は、社会福祉学、福祉社会学 兵庫県立大学環境人間学部准教授。
 舘澤謙蔵氏は、京都市内の精神科病院のソーシャルワーカーPSW、大学の非常勤講師など。
 このおふたりは、高木氏がACT-Kの活動に、OD、ADを導入しようと試みた頃から共に関わってきた経歴をお持ちのようである。
 高木氏は「あとがきにかえて-ダイアローグ、現代社会の夢と現実―」に、ACT-KのメンバーとともにOD、ADを学び、その活用を当初は次の世代に委ねたいと思っていたが、

「その熱のなかに巻き込まれて、気がつけば自分の中でこれまでの実践の中にダイアローグの精神が入り込み、自分自身も少しは変わった様な気がする。」(252ページ)

と記す。
 高木俊介氏は、オープンダイアローグが、現代の精神医学に対して、さらには広く現代の社会全体に根本的な転換を迫るものであると評価されている。

「現代の精神医学は精神病を脳の病変にのみ還元し、そこで想定される脳の化学的機能に対して薬物療法を行ない、機能を修復させることに重点を置いている。」(249ページ)

「ODは、精神病者を医学的観点によって治癒させるのではなく、彼が安心して過ごし、彼もまた周囲の人々との共同の現実を受け入れていくような新しい共同体を準備するのである。そのとき、ODはすでに精神医学を超えている。」(250ページ)


※オープンダイアローグOpen Dialoguesと未来語りダイアローグAnticipation Dialoguesは別のものであり、高木氏はその両方を合わせてダイアローグと称しているが、ここではあまり厳密な区別は必要でないので、適宜混在した使い方をしている。もちろん、この書物、その他を読めばその違いは明示されている。
※このブログでは、オープンダイアローグ関連の書物は、斎藤環、森川すいめい、そして高木氏を含め、何冊も紹介している。ここでは、リンクは省略するが、興味のある方はぜひお読みいただきたい。追って別にリストは掲載しておきたい。


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