ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

キー・プロジェクトという三人の馬鹿者

2013-06-15 01:19:56 | エッセイ
 俺は、ロック馬鹿になり損ねたなれの果てだ。そう思ってもらっていい。中学生の頃からバンドを組んで、歌を歌ったが、ついにロック馬鹿にはならず、大学終わって、会社勤めをして、故郷に帰って、役所勤めだ。もうすぐ、57歳になる。
 ステージのうえには、紛れもないロック馬鹿が三人揃っていた。エレキベースと、ドラムスと生ギター(ピックアップ付き)。俺よりも、少し若いらしい。長髪で、ベルボトムのジーンズ、痩せこけた体にフィットした銀ラメのTシャツ。あ、これはチャーだ。下北沢あたりのロック・ギタリスト。
 その昔、ギターを弾きながら「あなたは気絶するほど悩ましい」とか歌ってテレビに出ていたのは、仮の姿、なのか、本当の姿なのか、定かではないが、三人組でバンドを組んで「スモーキー」などとも歌っていた。
 時代錯誤の、化石のような、今夜の三人組。まさしく、チャーのようなへヴィーな音。あるいは、へヴィメタ系の音と言ってもいい。ああ、ドラムの発声は、まさしくそっち系。良く響く金属的な甲高い声。
 待てよ、グランド・ファンク・レイルロードみたいでもあるな。三人組の最小限の編成で、大音量とこの声。グランド・ファンクは、井上陽水の「傘がない」の本歌「ハート・ブレイカ―」で衝撃のデビューを飾った、アメリカのハードロックバンド。その後、「ロコモーション」のカヴァーも流行らせた。
 三人が三人とも歌を歌うが、良く聴き取れない。PAの出力が足りない。馬鹿高いベースとドラムの音で、声が掻き消されている。しかし、甲高い張った声でのコーラスは、美しい。母音で伸ばした部分だから、意味は関係がない。
 昔、まだ、PAという言葉がなくて、ヴォーカルには、ヴォーカル・アンプがあった。ギター・アンプや、ベース・アンプと同じように。キーボードは、専用のアンプがあれば恵まれているが、ヴォーカル・アンプを併用したりした。
 ロックバンドは、大音量が命。ヴォーカルは常に聞こえない。ヴォーカル・アンプは、本来、ギター用などの数倍の出力を必要とするはずだが、当時、そんなことはなかった。ヴォーカルは、大声を張り上げても、いつも聞こえなかった。
 しかし、ロックバンドのヴォーカルは、その条件が普通のこと。当然の前提。そういう恵まれない状況でも、歌っている存在を、なんとか聴衆に認めさせなくてはならない。
 俺は、そう言う状況を経験していないヴォーカルを、ロック・ヴォーカリストとしては認めない。ずっと、そう主張してきた。(でも、最近は、少し宗旨替えしている。ステージにPAが当たり前になって、もう数十年も経っている。)俺は、そんなロック・ヴォーカリストなのだ、というのが、最近はあまり言わないけど、俺のアイデンティティなのだ。
 ああ、今夜、ここに、ひとり、そんなヴォーカリストがいた。そういう出力の足りないヴォーカル・アンプで歌うことを繰り返してきたというような、時代錯誤のヴォーカリスト。真ん中、ステージの前にしゃしゃり出てドラムをたたきながら歌っている、52歳だという男。
 へヴィメタ系の甲高い発声。これは、正真正銘のロック・ヴォーカリストだ。
 良く見ると、このドラム、スネアとバスドラとシンバルと足で踏むシンバル(ああ、何と言うんだっけ、忘れた。)というか、ハイハットだ、それしかない。タムタムが一個もない。バスタムもない。バスドラも、ずいぶん小ぶりだ。それこそ、タムタムくらいの大きさしかない。シンバルもごく小さいサイズのものが、たった一個。げげげ、通常のドラムセットからすれば、シンプルを通り越した全くみすぼらしい編成なのに、なんだ、この多彩なドラミングは。シンプルで安定したリズムはもちろんだが、単調だということがない。これは、超絶技巧じゃないか!
 右のギター、フェンダーとか、レスポールだとかのエレキ・ギターじゃない。ピック・アップ付きだとはいえ、アコースティックなギターだ。それで、高音部でアドリブを弾いている。なんという無理強いを。エレキとアコースティックでは、弦のはり方が全く違う。生のほうが、全然固い。そんな固い弦の高音部で早弾きしている。エレキに比べて、聴こえも悪い。実際、あんまり聴こえていない。あえて、悪条件で演奏している。信じられない。これもまた、実は超絶技巧ではないか。
 ベースは、さすがにエレキベースなので、条件は普通だが、これまた技巧者であることに間違いはない。
 そうか、なるほど、ここにこういう時代遅れの馬鹿ものが三人揃っていたというわけだ。三人の(音を出していなければ)地味なおっさん。キー・プロジェクトっていうらしい。
 明日落成式をする鰹の仲買を営む友人の作業場でのコンサートが終わって、家に帰ってきて、ああ、俺は、ついに、馬鹿ものになれなかったのだ、いや、ならなかったのだと遠い目をする。


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