バフチンは、ロシアの、というかソ連の、と言った方がしっくりくるだろうか、文芸学者。ブックカバーに「革命後の混乱の中、匿名の学者として活動。スターリン時代に逮捕され流刑に処された後、モルドヴァ大学の教師として半生を過ごした」とある。旧ソ連の西端に位置し、ルーマニアと接するモルドヴァ共和国の大学である。ソ連の辺境にひっそりと余生を過ごした学者、ということになるのだろうか。
【ベイトソン、バフチンとの再会】
斉藤環氏の『オープンダイアローグとは何か』(医学書院2015)が、単行本としては最初にオープンダイアローグについて読んだ書物(それ以前には『現代思想』の2014年の特集「精神医療のリアル」で、同じく斉藤氏の紹介を読んでいる)であるが、そこで、ベイトソンとともに取り上げられていたのがバフチンである。もちろん、そもそも、オープンダイアローグの創始者であるフィンランドのヤーコ・セイックラらの著作において、このふたりが重要な先行の思想家として取り上げられている。
私自身は、ベイトソンとバフチンのふたりには、ここで再会しているというべきで、そもそもは、文化人類学の山口昌男、哲学の中村雄二郎、作家・大江健三郎、そして思想家・中沢新一の著作など、この二人の高名な学者には、くりかえし何度も出会っているのだが、ここまで読む機会をつくってこなかった。
今回、ようやくバフチンのこの本が読めた。
引き続きベイトソンの『精神と自然』、『精神の生態学へ』も読んでみようと思っている。
しかし、私が初めてオープンダイアローグという言葉に出会ってからもはや十年になろうとしている。オープンダイアローグという方法において、私は何ごとか社会に貢献できると思った。ところが、私はまたもや迂回している。迂回することこそが私の人生だ、とでもいうかのように、目的地にたどりつかない。私は、社会に貢献できない。貢献できないままに、人生を終えるのかもしれない。(しかし、身の回りの小さな社会において、なんの役割も果たしてこなかった、というわけではない。小さな役割は果たしてきた。私の果たしてきた役割は、いつもいつも小さなものでしかなかった、というふうに思い込んでいる。私は、大文字の社会にどこかではつながり、そこに包摂されているにはちがいないが、私は、大文字の社会に対して、なにひとつ貢献してこなかった、と思い込んでいる。)
【バフチンの詩学、ポリフォニーとは】
さて、本書冒頭の「著者より」は、次のように書き出される。
「本書はドストエフスキーの詩学に捧げられたものであり、もっぱらその観点から彼の創作を検討しようとするものである。」(p.9)
ここでの詩学とは、狭い意味での詩についての学と言うことではなく、広く小説をも含む言語芸術についての学のことであり、フランス文学者とか日本文学者が探求する対象であるところの文学のこと、といえばいいだろうか。
「ドストエフスキーは、芸術形式の領域における最大の革新者のひとりとみなすことができる。思うにドストエフスキーはまったく新しいタイプの芸術思想を打ち立てた。本書では、それをかりにポリフォニーという言葉で呼んでいる。」(p.9)
ポリフォニーとは、多声音楽、つまり複数の声からなる音楽であり、対立する言葉としてモノフォニー(単声音楽)がある。これは、たとえば、一人の人物がアカペラで歌う一つの旋律のみで成立する音楽であり、多人数でも、ひとつの旋律をユニゾンで歌うあるいは楽器を演奏する場合も含む。念のため、ネットでウィキペディアなど参照してみると、もうひとつホモフォニーというのがあるといい、主旋律とそれに和音を重ねる伴奏からなる音楽であって、現代の音楽はほとんどこれなのだというが、ポリフォニーは、二つ以上の旋律が、同時に進行して絡み合い、響き合い、協和して、主旋律という概念がない、というか、あったとしても分かりづらいのだという。
バッハのフーガ、対位法がポリフォニーの極致、ということになる。
〈モノ〉であろうが、〈ホモ〉であろうが、単一の旋律、主旋律が、作品全体を統御しているのに対して、ポリフォニーは、複数の旋律が対等に絡み合い、協和し、あるいは、不協和して、雑多なまま放り投げられたとでもいうように構成されている。
これは、ひょっとして、人間社会のあり様を、あるがままに映し出しているということになるのではないか。雑多なまま放り投げられてあるものが美しい、という場合もある。もちろん、バッハの音楽は、雑多なままということはできず、不協和も含み込みつつ精妙に美しく構成されていることは言うまでもない。
バッハの対位法のひとつひとつの旋律は、独立してそれぞれが美しいというべきだろう。
【ドストエフスキーのポリフォニー】
さて、バフチンは、「ドストエフスキーはポリフォニー小説の創始者である。」(p.16)という。
「ドストエフスキーは、ゲーテのプロメテウスと同じく、〈ゼウスがしたように〉声なき奴隷たちを創作したのではなく、自らを創ったものと肩を並べ、創造者の言うことを聞かないどころか、彼に反旗を翻す能力を持つような、自由な人間たちを創造したのである。
それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。」p.15
これは、まさに、現実の世界の、実際の社会のありようではないか?世界は、ポリフォニーで成り立っている。
バフチンは、トルストイなど他の作家は小説の作品世界を著者がコントロールしようとしているというが、ドストエフスキーはそうではないというのである。ドストエフスキー以外の作家は、うえに書いたようなモノフォニー的、あるいは、ホモフォニー的だということになる。ドストエフスキーのみは、ポリフォニー的な作家なのだと。
そして、それこそが、現実の社会を、人間の関係を、リアルに描きうる方法なのだ。世界は、コントロールしようと思ってコントロールできるような代物ではない。
「ここではまさに、それぞれの世界を持った複数の対等な意識が。各自の独立性を保ったまま、何らかの事件というまとまりの中に織り込まれていくのである。実際ドストエフスキーの主要人物たちは、すでに創作の構想において、単なる作者の言葉の客体であるばかりではなく、直接の意味作用をもった自らの言葉の主体でもあるのだ。」(p.15)
【対話あるいは、ポリフォニーとオープンダイアローグ】
事件に織り込まれているということは、対話するということである。
「ドストエフスキーの主人公の自意識は不断に対話化されている。それはどんな場合にも外部に向けられており、自分自身、相手、第三者に対して、緊張した呼びかけを行っている。自分自身および他の者たちに対するそうした生々しい呼びかけなしでは、自意識それ自体も存在しない。…ドストエフスキーが、それを描くことこそ自分自身の《最高の意味での》リアリズムの主要課題であると考えていた《人間の魂の深奥》は、こうした緊張した呼びかけにおいて初めて明らかにされるのである。…内的人間に接近し、その正体を暴き出すには―…自らをさらけ出させるためには―彼と対話的な接触交流を持つ以外に手立てはないのである。…ただ接触交流においてのみ、《人間の内なる人間》は他者に対しても、その人自身に対しても、その正体をさらけ出すのである。」(p.527)
オープンダイアローグという対話の方法は、ここでバフチンが語るような対話に根ざしている。その対話は、手段ではなく自己目的であり、事件そのものである。
「ドストエフスキーの芸術世界の中心に対話が、しかも手段としてのではなく、自己目的としての対話が位置しなければならないのは、自明の理である。そこで対話は、事件の入口ではなく、事件そのものなのだ。対話は、いわば人間の既成の性格というものを暴き出し、現前させるための手段ではない。そうではなくて、人間はそこで自分自身を外部に向かって呈示するばかりか、そこで初めて、繰り返し言っておけば、他者に対してだけでなく自分自身に対しても、彼がそうであるところの存在となるのである。存在するということ―それは対話的に接触交流するということなのだ。対話が終わるとき、すべてが終わるのである。だからこそ、対話は本質的に終わりようがないし、終わってはならないのである。」(p.528)
対話は終わらない。対話の継続こそが目的である。
「ドストエフスキーの長編ではあらゆるものが、中心点としての対話へと、対話的対立へと収斂する。そこでは…、対話が目的なのである。一つの声は何も終わらせないし、何も解決しない。二つの声が生の最小単位であり、存在の最小単位なのである。」(p.528)
なるほど、ここには、オープンダイアローグの思想の根底があるというべきだろう。
【対話という魔術】
オープンダイアローグの対話は、治療を目的としないという。対話の継続こそが目的であるという。複数の話者による対話の継続のなかで、いわばおまけのように、クライアントの状況の改善がもたらされるのだという。
これは、謎めいた事態である。改善は、目的ではないのに、結果としてもたらされる。
オープンダイアローグの成果は、謎めいている。一種の魔術のようでもある。
この謎については、私として何ごとか語りうるとは思えている。それは、また、後の機会の課題としたい。
しかし、オープンダイアローグという、いま、ここ10年のうちに出会った方法が、私の学んで来た哲学思想の真ん中から産み出されたものであるという邂逅、これは驚きであり喜びである。思想から生み出されたというよりは、臨床の実践において産み出された方法のバックボーンを支える助産術のような、というべきか。
オープンダイアローグとの出会いに先立って、哲学カフェ、臨床哲学に出会っているが、これもまた、この流れのなかでの出来事である。そして、現在のソーシャルワークとの出会い直し、精神保健福祉士の資格取得の学びも、この流れの中にある。
私は、迂回に迂回を重ねながら何ごとかに近づいてはいる、というべきなのかもしれない。
人生において何ごとも極めずに、つねに次の領域に逃走しつつ、あとに置き去りにした領域で、少しばかり何ごとかは役割を果たし得たことに気づく、というような成り行きを、私は生きてきたのかもしれない。いつも、そのつど、すでに主たる関心領域ではない場所で、ついでのように何かを実現してきた、というか。しかし、その果てに、何ものかに近づいてはいるのかもしれない。
ところで、バフチンは、相当のページ数をさいてドストエフスキーがカーニバル文学の系譜にあることを論じている。それがポリフォニーとも密接に関係しているという。この点については、ここでは触れることをしなかったが、ドストエフスキー小説の大きな魅力の源であることは言うまでもない。
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