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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

真田宝物館へ。御用絵師たちと真田の大鎧。見どころ満載(妻女山里山通信)

2019-12-07 | 歴史・地理・雑学
 松代藩十万石のお宝が詰まっている真田宝物館へ。「真田美術館へようこそ!/真田家の大鎧(おおよろい)」を観に行きました。

(左)真田宝物館。この向こうには真田邸があります。文武学校も近くですが工事中です。象山神社と記念館も歩いて行ける範囲です。(右)今回の展示。12月23日までです。週末に通ったら県外ナンバーの車も見られました。撮影禁止なので画像はありませんが、平日だったので学芸員の女性がつきっきりで説明してくれました。非常に興味深い話が聞けました。責任者の方にもお会いできてお話できました。真田マニアなら必見の展示です。

真田宝物館
「真田美術館へようこそ!/真田家の大鎧(おおよろい)」
2019年9月25日(水)~2019年12月23日(月)
「真田美術館へようこそ!」
 松代藩のお抱え絵師・三村晴山(みむら せいざん)と、幕末に松代藩の在野で絵を描いた女性の絵師・恩田緑蔭(おんだ りょくいん)を中心に、松代藩で活躍した絵師の作品をご紹介します。
 前期:9月25日~11月4日 後期:11月6日~12月23日(前後期で展示資料の一部入れ替えを行います)
「真田家の大鎧」
 江戸時代後期に作られ、真田家に伝わった4領の大鎧とそれに合わせた鎧直垂、陣羽織などを展示します。

斎場山から天狗山へ。上杉謙信斎場山布陣想像図。古書の虫干しで大発見(妻女山里山通信):榎田良長という人が描いた『川中島謙信陳捕ノ圖 一鋪 寫本 』が山の形や古道が超リアルだが調べても何者か分からないのです。
『龍馬伝』にも出た老中松平乗全の掛け軸から推測する幕末松代藩の人間模様(松代歴史通信):松代藩の御用絵師のひとりに青木雪卿(せっけい)重明と名主を務めた先祖が友人だったという記事。青木氏の子孫とのやりとりも
真田宝物館へ。戦国時代の英雄史観について(妻女山里山通信)


 江戸時代中期以降になると、伊勢参りとか善光寺参りとか、庶民の旅が盛んになります。十返舎一九のやじさんきたさんで有名な十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にもありますが、特にお蔭参りといわれる文政年間のものは、なんと日本人の8人にひとりがお伊勢参りをしたという驚愕の事実があります。善光寺参りも盛んでした。そんな旅人のために「川中島の戦い」の絵図がたくさん売られ好評を博した様です。そこで、個人的にそれらを集大成した展覧会を開催できないものかと真田宝物館で話したところ、長野市立博物館が最適と思いますと言われて訪れました。
 「川中島の戦い」の本を買い、学芸員の女性にその話をしました。朝日新聞や旺文社、キヤノン、パナソニックなどの仕事をアートディレクターやデザインプロデューサーとしていくつもの企画をしてきたので、個人的に川中島の戦いの絵図の集大成が観たいのです。当館のHさんに以前妻女山の初出を訪ねて行ったときに、江戸時代の人たちが見た川中島の戦いの研究をされたらどうですかといわれました。それは面白いなと思いました。しかし、興味は妻女山から斎場山、古代科野国、どこから出雲と大和は来たのかに興味が移ってしまいましたが、やはり、歴史的には全く重要視されない川中島の戦いが気になり始めました。この展示はぜひ開催して欲しいと思います。八幡原にあるこの博物館に最適な展示だと思います。合わせてグッズを販売していただくと嬉しい。川中島の戦いは人気があるので、県内外からの来場者が多数集まると思われます。
長野市立博物館

(左)博物館前の池には鴨がたくさん。(右)八幡社。祭神は、建御名方命(諏訪大社の祭神・大国主命の子)、誉田別命(応神天皇)。

 有名な上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの像。史実かどうかは神のみぞ知るということでしょうか。川中島の戦いについては、地元ならではの記事を多数掲載しています。右上でブログ内検索をしてください。我が家もそうですが、近隣の家はほとんどが川中島の戦いに参戦し、その後住み着いた家系が多いのです。色々な口伝が残っていますが、それらを聴き集めて集大成した話は聞きませんね。残念なことです。
上杉謙信と武田信玄「川中島合戦陣取りの図」(妻女山里山通信):榎田良長の川中島の戦いの絵図

(左)八幡社御由緒。大分県宇佐市の宇佐神宮が総本社です。八幡神は、誉田別命(応神天皇)で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めました。誉田は本田、秦氏との関係があるのでしょうか。大和王朝の祖ともいわれる徐福伝説とも関係があるのでしょうか。(右)「執念の石」。作戦の失敗から武田信玄の軍、武田軍の中間頭原大隅が馬上の謙信めがけて槍をついた外れて逃した。原は無念と傍らの石を槍で突き刺したという。まあ、江戸時代に観光用に作られた物語でしょうね。

(左)川中島大合戦図。この上なく大雑把なペンキ絵です。山並みの形が全くリアルではない。当時の長野市がペンキ屋の親父さんに頼んだのでしょうね。話にもならない図です。妻女山展望台の図も、以前、大阪から来たおじさんが、実際の風景と全く違うではないかと怒っていました。長野市観光課のレベルの低さが致命的に痛い。(右)首塚。戦が終ると、位の高そうな侍の首を切り取って洗って塩漬けにし持っていってあわよくば報奨金をもらう。死んだ侍から刀や鎧を奪い、女子供を売る奴隷市が立ちと綺麗事では済まない。そんな中でこの様なことができたのかはなんともいい難い。

 兵どもが夢の跡。手前に見える土塁は当時からあったとは思えません。この公園が整備されたときにもっともらしく作られたものだろうと思われます。川中島の戦いについては、いくつもの記事を上掲しています。右上の検索窓からブログ内検索で探してください。地元ならではの情報が読めます。

 真田宝物館で収蔵品の絵図を買い求めました。右は長野市立博物館で買い求めたもの。バックは真田信之所用の甲冑の兜をモチーフにしたフェイスタオル。左下に真田家家紋のひとつ「結び雁金」の金糸刺繍が。これは母校の松代中学の校章です。運動会では、真田節を踊りました。

 冷えた体を温めに温泉へ。土口水門からの堤防は、台風19号で越水しました。対岸の岩野橋すぐ上の横田河原は、洪水になると大量の土砂が溜まります。それを削除しなおかつしゅんせつ工事をし、流路を広げています。更に河川敷にもう一つの堤防を作っています。真ん中は凹字型の窪みを作って流れが入るようにしていました。これはどういう工法なんでしょうね。非常に興味深いものがあります。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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