で、ロードショーでは、どうでしょう? 第2064回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『流浪の月』
女児誘拐事件の被害者と加害者として世間の注目を集めた二人が15年後に再会を果たすドラマ。
本屋大賞に輝いた凪良ゆうの同名ベストセラーの映画化。
主演は、『ちはやふる』の広瀬すずと『新聞記者』の松坂桃李。
共演は、横浜流星、多部未華子。
監督・脚本は、『悪人』、『怒り』の李相日。
物語。
10歳の少女・更紗は、引き取られた伯母の家に帰りたくないと公園で本を読んでいた。
雨が降ってきて、濡れる彼女に近づいたのは、孤独な大学生の文で、傘を差しだす。
短い会話の末、少女は男の家へ。
更紗は彼の家に帰らずに居続ける。
文は彼女に好きにすればいいと彼女に任せる。
2ヵ月後、文は誘拐犯として逮捕され、2人の時間は終わりをつげる。
15年後、恋人の亮と同棲生活を送る更紗は、偶然訪れたカフェのマスターが文であることに気づく。
原作:凪良ゆう 『流浪の月』(東京創元社刊)
出演。
広瀬すず (家内更紗)
松坂桃李 (佐伯文)
横浜流星 (中瀬亮)
多部未華子 (谷あゆみ)
趣里 (安西佳菜子)
三浦貴大 (湯村店長)
白鳥玉季 (更紗(10歳))
増田光桜 (安西梨花)
内田也哉子 (佐伯音葉)
柄本明 (阿方)
スタッフ。
製作:森田篤
製作総指揮:宇野康秀
エグゼクティブプロデューサー:小竹里美、高橋尚子、堀尾星矢
プロデューサー:朴木浩美
ラインプロデューサー:山本礼二
製作エグゼクティブ:依田巽
キャスティングディレクター:元川益暢
助監督:竹田正明
撮影監督:ホン・ギョンピョ
照明:中村裕樹
美術:種田陽平、北川深幸
装飾:西尾共未、高畠一朗
衣裳デザイン:小川久美子
ヘアメイク:豊川京子
編集:今井剛
録音:白取貢
音響効果:柴崎憲治
音楽プロデューサー:杉田寿宏
音楽:原摩利彦
『流浪の月』を鑑賞。
現代日本、女児誘拐事件の被害者と加害者として知られた二人が再会を果たすドラマ。
本屋大賞に輝いた凪良ゆうの同名ベストセラーの映画化。
当事者だけに通じる心の交流が、世間から他人から見たら、まるで届かないもどかしさと、それが社会だと言う当たり前の事実に絶望する。だからこそ、物語がフィクションが必要だと見せつける。逃れられない苦しみにこそ通じ合う深い河がある。
監督・脚本は、『悪人』、『怒り』の李相日。
そのしつこいまでの演出が今回は何処かさらりとしており、ぎりぎりのせめぎ合いを見せる。二人に絞ったことで、どこか切り捨てたような感触も。編集がどうにも煮え切らない。
広瀬すずと松坂桃李は、その居方と部分で全体を見せる。その表情一つで空間に支配される。諦観に取りつかれ、世の川に流される木の葉のよう。支配するようで支配されるのは横浜流星の迸りで憑き物とそれが落ちた様を見せる。なにより、少女を演じた白鳥玉季が映画を牽引する。光で照らす増田光桜の無垢。
なんといっても、稀代の天才撮影監督であるホン・ギョンピョの眼がスクリーン吸引させる。決まり過ぎず、固まり過ぎず、余白を残して、無機物と有機物の世界の時間を歪ませる。ああ、この画の強度よ。シグネチャーショットに心が波立つ。あのカーテンを揺らす風と壁で踊る光。映画の画面とはこうあって欲しいと思わせる。
それは麗を剥ぎ取り、質実の美に触れさせる。
それに応えるキャスト・スタッフの技。
でも、二人だけの世界にしたことで周囲を切り捨て過ぎな気もするのよね。
なんかノイズになるポイントがちょこちょこあるのよね。アンティークショップのくだりとかさ。
蝋燭の火を飲み込むような低温火傷の空気。
その覆いが遮断する温度に手で触れる陰陽作。
おまけ。
2022年の作品。
製作国:日本
上映時間:150分
映倫:G
配給:ギャガ
ややネタバレ。
カフェの名前calicoは、日本語だと更紗なので、文が今も思いがあることが分かる。
ホン・ギョンピョのシグネチャーカットともいうべき、『バーニング劇場版』と似た、光やカーテンなどの無機物のカットがある。
ネタバレ。
文は文で、更紗の唇に手で触れようとしているので、ある種の接触を望んでいることが分かる。
肌に触れる、抱きしめることは性的なだけでないが、ある種の快感となる。
唇や触れること(コーヒーもそれに当たる)、肌を意識させるための演出があり、あゆみは文の首元を抱きしめるし、亮は口で触れるラブシーンがある。
肌に関しては、裸足で表現されており、子供更紗、文、幼女梨花は裸足が印象的に映される。大人更紗は足が映るカットが多く、靴下を履いていることが多い。
ラストカットで裸足が写される。
精神的なことを共有することを裸足で示しているようだ。
亮が更紗を蹴ることもそれにつながっている。
文は、男性仮性半陰陽であろう。
半陰陽は両性具有、インターセックスとも言われる。
性が未分化な場合もあるが、だからといって性欲がないというわけではないが。
月は、女性や性的な隠喩にもなるが、欠けることから未完成や欠陥の隠喩ともなりがち。
更紗が見つける昼間の月は半月で陰陽の図のようである。
性器を入れるタイプのセックスは出来ないが、レズビアン同士もそうなので、それが愛を区別はさせるものではない。
画面で小さい性器が映るが、単なる短小にも見える。
成長しないということなどの母の言葉などで埋めることはできるが、違う病気もしれないやだからと言って性欲がないか、逆にそのことによってロリコンというよりペドフィリア(小児性愛)という可能性もある。半陰陽がそうなるわけではない。
どっちだろうというオープンさを見たことで判断しなければならないのだが、編集があまり正直なタイプではないので、ひっかかる。
あえて、何かが欠けているような編集を選んだ可能性はある。だとしたら、周囲との関係や犯罪行為が絡む内容なので、少し悪意を隠しているように感じる。
個人的には、アンティークショップの店長の扱いやグラスのエピソード、梨花のその後がひっかかる。
コンプレックス、経験が精神性に影響を及ぼしている。
更紗は、いとこのタカヒコ?からの性暴力によってセックスへの拒否感がある。
文は、仮性半陰陽であるコンプレックスと母からの拒絶によって、性的なことを望まない。
ある意味で性器がないともいえ、アセクシャル(性的ヨ九がないタイプ)なのかもしれない。
文はそれで唇や舌が敏感になっているのかもしれない。
愛の不足についての物語である。
原作を読んだわけではないが、更紗が実の両親からたっぷり愛情を受けていた描写があるそうで、更紗は愛情の思い出を持つ者であり、文は愛情を受けられなかった持たざる者という対比がある。
どうやら約240分になったものを150分にしたそうなので、そのせいで、妙な都合のシーンや記号的な人物像が出来てしまったのかと推測は出来ますが、話や人物をやや道具的に扱う作家なので、どこかで周囲の人物を道具としてしまったのが際立ったかなと言う印象はあります。
『流浪の月』ホン・ギョンピョ撮影監督 初の日本映画でカタルシスを感じた瞬間【Director’s Interview Vol.205】|CINEMORE(シネモア) https://cinemore.jp/jp/news-feature/2476/article_p1.html