魂のしくみからの独り言✨

過去の経験からその{意味}を探し・・
スピリチュアルな世界を知った私の独り言。。

母たちの想い

2008-07-30 19:03:27 | 家族
気丈な祖母は・・

過去の経験を私達に話して聞かせることは ありません。
愚痴らしい愚痴は・・漏らさない。

そんな祖母が話してくれた印象深い会話。

「生きてきて 一番悲しかったのは、お父さん(戦死した祖父)が亡くなったこと。
あの時に、全ての涙を流した。」

「親が亡くなった時でさえ、これほど悲しくなかった」

・・とても印象に残っています。
(祖母は存命です^^今度、米寿のお祝いです)

子供心に・・
「気丈なおばあちゃんがこう言うのだから・・本当に悲しかったのだろうな・・」と感じました。

祖母は・・
「死ぬなんて・・考えてもみなかった。生きて帰ると思っていた」
「戦死してしまうとは 思いもしなかった」

話してくれる祖母の顔は、、真顔でした。
今でもよ~く覚えています。

祖父が戦死したのは・・32歳の時だと聞いています。
祖母は・・25歳。

母は、3歳。
確か、叔母は6ヶ月。
父親の事を、覚えている訳がありません。

祖母と母達は 当時は多くいた戦争未亡人?が共同生活する寮?のような所に住んでいた時期もあるらしく・・
夜遅くまで帰らない母を待てずに{味噌}をなめてしまった話や・・
寮の中に 意地悪なお姉さんがいて、仲間はずれにされた話・・
夏休みに毎日プールに通い、真っ黒だったこと・・
等、色々なエピソードを聞かされました。

母から聞く当時の話は、結構面白い話しも多く、、
味噌を全部なめるほど、お腹が空いていたんだろうな~ と可愛そうに思う反面、あとで「お腹を壊した」と聞いて笑ってしまいました。

子供の頃にプールばかり行って、真っ黒に日焼けしたせいで、今でも{ジグロ}なんだと、本人は主張しています(^^)

勉強はしなかった・・うるさく言う母親は外で働いているため、自由気まま・・
「もう少し勉強していればよかったのに・・今とは違う人生だったかもしれない」と 笑います(^^)

当時の事を、祖母からはあまり聞いたことがありません。
唯一印象に残る話が、先に書いた話です。

祖父は長男ではないために、旦那の実家に頼るわけにもいかず・・
女手ひとつで、働いて・・2人の娘を育て上げました。

前に 少し触れましたが、祖父の最後は戦後ずーっと分からないままでした。
どんな最後で、何処でどういうふうに亡くなったのか?
必死で調べながら・・なかなか手がかりが掴めずにいました。

祖母は、戦争が終わって、祖父の戦死を知らせてくれた人にも詳しいことを聞きそびれ・・
その人の連絡先や、どの部隊に所属しているのかも分からず・・戦後何年も経過。

私が物心ついても分からないまま。。

母の気持ちは・・
父の面影を知らない上に、最後の様子も分からない・・想像できないな~。
さぞかし寂しかっただろうな~と、想像することしかできません。

父への想いを話しながら、時々涙ぐむ母の姿に・・感じるものがありました。

母は、ある時新聞に投稿。
「亡・父・・最後の様子が分からない父」についてを書き、掲載されたことがあります。

世の中は いい人ばかりではありません。
それを読んだ人から、「自分が最後を知っている」と名乗られ・・
詳しく調べると・・嘘。

騙されたりの詐欺被害にはあいませんでしたが・・嫌な思いをしました。
「警察に知人がいる」と言うと、パッタリ連絡がなくなりました。
(子供心に恐かったな~)

心の弱みにつけこもうとするなんて、ひどいですよね。

とにかく・・
手を尽くして調べていました。

私は子供だったので、一緒に調べたり、意見したりとかはしませんでしたが、
母たちにとって{大切なこと}であることは痛いほど伝わってくる。
母たちの想いを 側にいて感じていました。

縁というものは・・
手を尽くしても、時期がこないと繋がらないものなのでしょうか?

そこまでしても 分からなかったのに・・
あることで繋がりはじめる。

諦めなかった 母と祖母の想いは・・
やっと繋がります。

          
                      続きはまた。。




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