昨年の建国記念の日(2009.2.11)には・・
日本の建国を祝う会に参加しました。
(その時のことは、<紀元節 1~4 2009.2.12~2.20>に書きました)
この時に、初めて 日本のルーツを知り、
日本の事を知らないこと、今の教育制度でこれらが抹消されていることを痛感。
(このことは、折に触れてここでも書いています)
紀元節
を知ったことで・・
私の中の2月11日はこれまでとはまるで違う日になったように思います。
(*^_^*)
空っぽの神棚も気になりつつそのままでしたので・・
今日はお札も頂くつもりです。
お正月(グレゴリオ歴の)にお札を頂き、お祭りする方が多いのでしょうが・・
私は、初めてお札を頂くなら・・紀元節の日に頂きたい!!
と。
我が家に御神体をお招きするのは・・紀元節の日に!!
と。
(*^_^*)
それも・・
大好きな宇佐神宮で!
と・・決めていました。
なので、今年最初に宇佐神宮にお参り(初詣)した時に、
神棚にどのようにお祭りしたらいいのか?お札のことなど・・
神宮の方に聞いて、教えてもらいました。
その後・・主人にも相談しました。
いよいよ出発!!(またまた大袈裟~(^_^;))
あいにくの雨。
でも 降ったり止んだり・・車の運転にはあまり影響がありません。
祝日で休日ですが、車の渋滞はそうはなく、スムーズに進みます。。
宇佐神宮の手前(我が家から向かって、車で約10分手前)に鎮座している・・
柁鼻神社にも、時間があれば、先にお参りするつもりでした。
が・・
紀元祭の開始時刻は・・AМ10時からで、
家を出るのが少し遅くなったために、残念ながら時間がありません。
(柁鼻神社のことは・・<身近にある神話(3・4)>で書きました。
柁鼻神社の御神体は・・神武天皇と 神武天皇の父、兄なのです。
まさに、紀元祭の主役?の神様の神社。。)
仕方なく、大きな鳥居の前を、
「本当は、柁鼻神社にお参りするのが本来なのに・・」
と、心の中で思いながら、会釈をして通り過ぎました。
約10分・・少し焦り気味で車を走らせ到着。
駐車場は・・雨のせいか?数台の駐車のみ・・
紀元祭
参加は勿論初めてで、どのようなものか?皆目見当もつきません。
祭・・まつり
という言葉の響きから・・
なにがしか?催しもの?があるのかしらん?
と、想像していました。
多少の人が集まっているのか?と思っていますので・・
「それにしては・・車が少ないな~」(^_^;) と そんな想いが頭をかすめます。
が・・もう時間がない!!
走って上宮へ!!
(こんな雨の日に、神社の参道を慌てて走るおばさんを・・
周りの人は滑稽に感じたことでしょう(^_^;))
入口の鳥居をくぐると・・
日本古来の音楽・音色が響き・・
神殿(第二の御殿)の前には人が・・
ひと組の老夫婦 それから、ひと組の家族(3人)
それから・・息を切らすおばさん!(私)
神殿の中を見詰めるのは・・6人でした。
(^_^;)
紀元祭は、古式にのっとり、しきたりに沿った・・神事でした。
一般に公開するとかそういうものなく、神社の宮司さんによる・・神事。
神社が古式に従って行う行事。
想像とは違っていました。
宇佐神宮の本殿は、一の御殿 ニの御殿 三の御殿 から成っています。
御殿の中には 一般の者は入ることはできません。
(祈願を申し込み、初穂料を支払った者は別)
が・・中の様子は外から見ることができます。
ニの御殿の前では、六人が静かに見守ります。。
中では、白い装束に黒い烏帽子?
平安時代の男性の装束とでも言えばいいでしょうか?
そうそう!!お雛さまのお伴をする三人の男性のようないでたちをした宮司さんが・・
祝詞をあげていました。
5分くらい上げられた祝詞の後・・
その背後に 同じいでたちの宮司さん6人が二列に並び、一同で祈りを捧げます。
ニの御殿の前には、6~7種類の供物が横一列に並べられ・・
供物の入れ物は、やはり お雛さまの三人官女の一人が持つ木製の器(名前が分からない)で、それぞれに供物がそなえてありました。
見えたのは・・鯛のお頭付きのみ・・他は見えません。
その後・・
一同は下がり・・
一人の宮司さんが・・供物になにやら手を伸ばしていました。
何をしているのかは 分かりません??
その後、その宮司さんも下がり・・
大太鼓の大きな音が響き・・
巫女さんが 朱色の供物置き(さっき、名前が分からないと書いた入れ物の色違い)
を持ち・・入ってくると・・
少し表情の和らいだ宮司さん達が、供物を下げはじめました。
これで・・紀元祭は終了のようです。
最初 6人いた参列者は・・
途中、老夫婦が、顔を見合わせ「そろそろいこうか?」と合図を送りあった後に、
立ち去っていきました。
三人家族は、いつのまにかいなくなっており・・
結局 最後まで参列したのは・・私だけ。。
「え~ 私だけかよ??」
と、心の中で自分に突っ込みを入れる私。。
他の参列者も・・紀元祭をわざわざ見に来たのではないのしょう。。
お参りしていて、たまたま居合わせただけの人のようでした。
でなければ、最後までいたはずです。
「きゃ~ オタク!!」
また・・一人ツッコミ!!
祭・・とはいえ、神事でした。
日本古来の祈り
古式にのっとった・・古くからの祈りの形式を目の当たりにしました。
これだけ近代化されても・・
ここでは 日本の紀元に祈りを捧げるという祈りの形が受け継がれていました。
神武天皇が・・
7年間の高千穂からの東行を終え、
日本で最初の天皇に即位した日。
日本がひとつにまとまった日。
いつも書きますが・・
このことをどれだけの人が知っているのでしょう。
私自身も・・これまで長い間知りませんでした。
教えてくれる場がないから・・
教育現場から抹消されているから・・
私達の親の世代でさえ、知らない。
その上の親の世代は・・戦争でゆがめられた天皇という存在を・・
敗戦という事実を前に口を閉ざし・・
自分たちのルーツを知る者が・・いない国。
参列者が少ないのは、雨のせいかもしれないけれど・・
ひとりぼっちで、紀元祭が終わったニの御殿の前に立ち・・
寂しい気持ちを感じる自分がいました。
日本の建国を祝う会に参加しました。
(その時のことは、<紀元節 1~4 2009.2.12~2.20>に書きました)
この時に、初めて 日本のルーツを知り、
日本の事を知らないこと、今の教育制度でこれらが抹消されていることを痛感。
(このことは、折に触れてここでも書いています)
紀元節
を知ったことで・・
私の中の2月11日はこれまでとはまるで違う日になったように思います。
(*^_^*)
空っぽの神棚も気になりつつそのままでしたので・・
今日はお札も頂くつもりです。
お正月(グレゴリオ歴の)にお札を頂き、お祭りする方が多いのでしょうが・・
私は、初めてお札を頂くなら・・紀元節の日に頂きたい!!
と。
我が家に御神体をお招きするのは・・紀元節の日に!!
と。
(*^_^*)
それも・・
大好きな宇佐神宮で!
と・・決めていました。
なので、今年最初に宇佐神宮にお参り(初詣)した時に、
神棚にどのようにお祭りしたらいいのか?お札のことなど・・
神宮の方に聞いて、教えてもらいました。
その後・・主人にも相談しました。
いよいよ出発!!(またまた大袈裟~(^_^;))
あいにくの雨。
でも 降ったり止んだり・・車の運転にはあまり影響がありません。
祝日で休日ですが、車の渋滞はそうはなく、スムーズに進みます。。
宇佐神宮の手前(我が家から向かって、車で約10分手前)に鎮座している・・
柁鼻神社にも、時間があれば、先にお参りするつもりでした。
が・・
紀元祭の開始時刻は・・AМ10時からで、
家を出るのが少し遅くなったために、残念ながら時間がありません。
(柁鼻神社のことは・・<身近にある神話(3・4)>で書きました。
柁鼻神社の御神体は・・神武天皇と 神武天皇の父、兄なのです。
まさに、紀元祭の主役?の神様の神社。。)
仕方なく、大きな鳥居の前を、
「本当は、柁鼻神社にお参りするのが本来なのに・・」
と、心の中で思いながら、会釈をして通り過ぎました。
約10分・・少し焦り気味で車を走らせ到着。
駐車場は・・雨のせいか?数台の駐車のみ・・
紀元祭
参加は勿論初めてで、どのようなものか?皆目見当もつきません。
祭・・まつり
という言葉の響きから・・
なにがしか?催しもの?があるのかしらん?
と、想像していました。
多少の人が集まっているのか?と思っていますので・・
「それにしては・・車が少ないな~」(^_^;) と そんな想いが頭をかすめます。
が・・もう時間がない!!
走って上宮へ!!
(こんな雨の日に、神社の参道を慌てて走るおばさんを・・
周りの人は滑稽に感じたことでしょう(^_^;))
入口の鳥居をくぐると・・
日本古来の音楽・音色が響き・・
神殿(第二の御殿)の前には人が・・
ひと組の老夫婦 それから、ひと組の家族(3人)
それから・・息を切らすおばさん!(私)
神殿の中を見詰めるのは・・6人でした。
(^_^;)
紀元祭は、古式にのっとり、しきたりに沿った・・神事でした。
一般に公開するとかそういうものなく、神社の宮司さんによる・・神事。
神社が古式に従って行う行事。
想像とは違っていました。
宇佐神宮の本殿は、一の御殿 ニの御殿 三の御殿 から成っています。
御殿の中には 一般の者は入ることはできません。
(祈願を申し込み、初穂料を支払った者は別)
が・・中の様子は外から見ることができます。
ニの御殿の前では、六人が静かに見守ります。。
中では、白い装束に黒い烏帽子?
平安時代の男性の装束とでも言えばいいでしょうか?
そうそう!!お雛さまのお伴をする三人の男性のようないでたちをした宮司さんが・・
祝詞をあげていました。
5分くらい上げられた祝詞の後・・
その背後に 同じいでたちの宮司さん6人が二列に並び、一同で祈りを捧げます。
ニの御殿の前には、6~7種類の供物が横一列に並べられ・・
供物の入れ物は、やはり お雛さまの三人官女の一人が持つ木製の器(名前が分からない)で、それぞれに供物がそなえてありました。
見えたのは・・鯛のお頭付きのみ・・他は見えません。
その後・・
一同は下がり・・
一人の宮司さんが・・供物になにやら手を伸ばしていました。
何をしているのかは 分かりません??
その後、その宮司さんも下がり・・
大太鼓の大きな音が響き・・
巫女さんが 朱色の供物置き(さっき、名前が分からないと書いた入れ物の色違い)
を持ち・・入ってくると・・
少し表情の和らいだ宮司さん達が、供物を下げはじめました。
これで・・紀元祭は終了のようです。
最初 6人いた参列者は・・
途中、老夫婦が、顔を見合わせ「そろそろいこうか?」と合図を送りあった後に、
立ち去っていきました。
三人家族は、いつのまにかいなくなっており・・
結局 最後まで参列したのは・・私だけ。。
「え~ 私だけかよ??」
と、心の中で自分に突っ込みを入れる私。。
他の参列者も・・紀元祭をわざわざ見に来たのではないのしょう。。
お参りしていて、たまたま居合わせただけの人のようでした。
でなければ、最後までいたはずです。
「きゃ~ オタク!!」
また・・一人ツッコミ!!
祭・・とはいえ、神事でした。
日本古来の祈り
古式にのっとった・・古くからの祈りの形式を目の当たりにしました。
これだけ近代化されても・・
ここでは 日本の紀元に祈りを捧げるという祈りの形が受け継がれていました。
神武天皇が・・
7年間の高千穂からの東行を終え、
日本で最初の天皇に即位した日。
日本がひとつにまとまった日。
いつも書きますが・・
このことをどれだけの人が知っているのでしょう。
私自身も・・これまで長い間知りませんでした。
教えてくれる場がないから・・
教育現場から抹消されているから・・
私達の親の世代でさえ、知らない。
その上の親の世代は・・戦争でゆがめられた天皇という存在を・・
敗戦という事実を前に口を閉ざし・・
自分たちのルーツを知る者が・・いない国。
参列者が少ないのは、雨のせいかもしれないけれど・・
ひとりぼっちで、紀元祭が終わったニの御殿の前に立ち・・
寂しい気持ちを感じる自分がいました。