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モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



定点観測ではありませんが 3月21日って どんな記事を投稿していただろう・・・ 振り返って 

写真は最小限枚(?)ずつ選んでいます。

2006年3月21日  幻の石橋 

 入れるかどうかも分からないけど居ても立ってもいられず
朝一番の高速バスで行きました。一般公開は19日1回きりで 入れません。工事中でしたので上の道路から、高所恐怖症も忘れてダムの底を見下ろしています。江戸末期に架けられたとみられ7年前に貯水池着工のため水没、今はダムの改築工事のため見えます。長さ約13m 幅約2.5m 橋上の土かぶりは水没中に流され現在は骨格の石組みだけが残っている。(新聞記事)

近日中にまた水没する まるで水中花のようにダムの底で ひっそりと横たわっていくんだ。川なら流失もするけど池だから ・・・・・・。 「いったいどっちがいいの?」と聞きたいくらい色々考える。

 

2007年3月21日  嘉麻市の石橋

今日は又嘉麻市に行きました。掛橋の石橋 の場所を確認したかったのと、先日のお話の中で、玉の井さんの裏にも石の橋があると聞いてましたので それを観る為です。酒造会社玉の井さんの真裏です。
因みに ここでいう掛橋の石橋 とは 現在朝倉高校の生徒さんが 観察されています。)

 

2008年3月21日  鹿児島(3)


宝満寺です。。 廃仏毀釈で廃寺になっています。境内の池に二つの太鼓橋。。。

志布志小学校3年生の女の子二人。。学校からでも地区からでもない。自主的にごみ拾いです。恥ずかしくなりました。





延命橋 です。 この橋を渡ったら3日間 長生きできるそうです。2回渡ったから 私の最後の6日間は この橋のおかげです。。


 

2009年3月21日   黒木町の石橋 

黒木町に行った日はとっても寒く、最初の目的地、中名眼鏡橋についた時は小雪がちらついていました。

そして....こんな可愛らしい石橋に出会いました。「関屋の眼鏡橋」をご紹介します。





やっぱり我慢できないから、橋を渡って よそんちの庭先まで行きます。




何年も何年も 石橋にのぼせていたのですね。2010年 姉妹会 2011年は 料理 の記事でした。  

 

そして 2012年3月21日

石橋探訪の往き道です。龍門橋の駐車場です。 ダム湖の向こう側にヘリコプターが見えます。 ヘリポートもあります。後で分かったんですが、これが熊本県防災消防航空隊のひばりです。




肉眼では分からなかったけど 救助ヘリですから2人ぶら下がっています。もう少しです。。。。。トリミングして大きくしましたが2人います。 

機体に着きました。 今度は ひばり の文字が確認できますね。




2013年 家庭科(料理)

2014年3月21日 脇田温泉 

脇田温泉は 福岡県宮若市 わが町から遠賀川を遡上すること50分くらいのところです。

宴会の前に 男子はゆっくり温泉に入り 女子はとりあえず近くを散策しました。。 喜楽荘さんです。

 

中学の仲間 男女混合仲良し組です。

階段は対岸にしかなかったから 飛び石を渡ります。。。 お転昔乙女の列です。

 

 

2015年3月21日  中国33観音お遍路 雪

清水寺はバスを降りてしばらく・・・しばらく・・・徒歩・・・・希望者はタクシー利用 ほとんどの人は歩きだから負けちゃいられない・・ 

前の記事でもご紹介しましたが雪景色の中を歩くのは嬉しかった・・ほら~ 犬も歩けば石橋にあたる・・・

 

長時間歩いてやっと着きました。。まるでお城のようです。石橋を確認しようと 帰り路もう一度・・・

 

 

2016年3月21日 献血ルームくろさきクローバーさんの温かい対応

献血センターで受け付けを済ませ問診室に行くと 当番のドクターがにこやかな笑顔で 「今日は最後の献血ですね。 しかもゾロ目の111回」 って仰いました。

いつもは緊張して血圧が上がるんですが ふ~っと肩の力が抜けました。 私は大雑把なんですが、数字にこだわる癖があります。 111回 こんなの私しか分からないと思ってた。

 

今日献血できる状態か検査用の採血 係りの看護師さんが 「最後ですね。大丈夫です。」 隣の問診室から先生がこられ 「よかったですね。長い間ありがとうございます。」って。。

そして採血です。 【血漿】を採るため45分くらいかかります。 「最後の一刺しです」 と 係りの方がそれぞれ声をかけてくださいました。68歳以後に献血したから 血液センターから表紙付きの立派な感謝状が送ってきてます。 

 

看護師さんが 「勝手に胸がいっぱいです」 って言われました。 私 自分の記録のためと思っていたけど こんなに大切に思われて・・・ 今日で卒業します と言いました。

 

そして その後 私のために今日作った 感謝状をいただきました。 「長い間ありがとうございました。この111回の献血でたくさんの方が助かりました」 って。。。 本当に胸がいっぱい・・ 小さな感謝状だけど センターからじゃなく スタッフの方から・・

私の言った【卒業】 の文字が入っていました。 プレゼントは携帯の画面を拭くストラップ

 

長々とお付き合いいただき有難うございます。

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まず 今日3月11日は あの震災から12年目の日です。 今なお行方不明の方が ご家族のもとに帰ることが出来ますようにお祈りします。

           

 

水巻町の朗読会 奇数月の第一日曜日に開催 私は勿論 聴く方です。なるべく行くようにしています。

会場のお花は ミモザでした。

 

朗読は 聖水授与者(モーパッサン)  二番目の悪者(林 木林) 黄金風景(太宰治) 

恥ずかしながら どれも知りませんでした。

 

図書館内の 歴史資料室をのぞいてみました。 八剱神社の 木造随神像一対 同じく狛犬一対

黄葉の八剱神社は私が行った時のものです。女学生がお参りしています。

 

図書館の横から急坂を上ってみました。 皿倉山が見えます。

 

この坂の上に墓地があり 十字架の塔がありました。

 

オランダ人のお名前が 刻まれた銅板がありました。

 

遺骨は入っていないので 中に入って拝んでください と書いてあったので 他国の地で無念のうちに亡くなった兵士の為にお祈りしました。

 

十字架の塔 について 興味のある方は 水巻町の ホームページより ご覧ください、

小高いところまで 上りました、 桜が咲いています。

 

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大寧寺(たいねい寺)最後の目的地です。 予定表に湯本大寧寺の紅葉(見学)と書いてあるから ガイドさんに 念を押してます。本堂お参りしますか?って。。

本堂の手前 盤石橋(ばんじゃく橋)です。ネットで調べて楽しみにしてました。

 

寛文8年(1668)に建架され、後 宝暦14年(1764)に再建架されたと 橋石に刻まれているそうです。

盤石橋は 石橋用の別ブログ 【私の宝物】に 写真を載せていますので よかったらご覧下さいね。

 

盤石橋を渡って撮った画像です。 お地蔵さんは右のほう、小さく後姿です。   

 

ここに立派な 山門がありました。私は石橋で時間かけすぎて 小走りで追っかけました。

 

境内に入ります。 境内橋も石橋です。 また石橋に時間をかけてしまった・・・あとで後悔します。

 

本堂です。梵鐘が見たいけど ネットで観た境内見取り図には 鐘楼が無いのです。 だから小さ梵鐘だと分かりました。その後大寧寺さんに電話でおききして 本堂の廊下だと分かってます。

 

私は 本当は今回の日帰り旅行 大寧寺が一番行きたかった なのに時間がない・・ それで私は大変な失敗と ちょっとした失敗をしたのです。

まず大変な方 お参りするのを忘れています。。本堂の写真も ↑と↓ 部分写真しかありません。

 

なぜ 本堂に行きますか❓ って ガイドさんに聞いたかと言えば この寺の梵鐘は わが芦屋町の芦屋釜の鋳物師が造ったものなのです。 これもネットで知ってガイドさんにコピーをお渡ししたから バスの中で皆さんに紹介されています。

 

この通り・・・

 

事前の電話で 鐘撞き棒?は修理中でした、 色んな事を電話でお聞きしています。 

そのお礼に 芦屋釜もなか(菓子)を持参したのに車内に忘れてしまった これが 小さな失敗です。

 

紅葉も見事だったので 機会があれば又行きたいけど きっと無いね。 御朱印です。

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前回まで(1)ボンボニエール展 (2)白蓮さんのお部屋 のご紹介をしましたが 今回は庭園です。

旧伊藤伝右衛門邸、お庭から見た白蓮さんのお部屋です。

 

庭園を一回りします。太鼓橋があります。 立派な石橋です。

 

白蓮さんが 2階からこの橋を見て 何を思われたか いつも思いますが 石橋の方から見たお部屋です。右側に行くと 大広間、お茶室、応接間などがあります。

 

 

桁橋もあります。

 

太鼓橋と一枚橋の桁橋

 

燈籠もいくつか 石塔も 幾つかありました。

 

一周して 東屋でしばらく休憩 本当に誰もいません。 本来なら休館日の水曜日 企画展のため開いてたので。。

 

少しですが 紅葉していました。

 

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コロナ禍で開催されてなく 久々の【あしや砂像展】です。お近くの皆さま どうぞお越しくださいね。

 

さて 旧伊藤邸のシュガーロード展 19日(水)に行った続きです。 今回は 内部 特に白蓮さんゆかりの物をご紹介します。

ここは応接間です。暖炉があって立派です。

 

小さな置き床のようなところ お花はキンモクセイ  お軸は  

  花とはな うすむらさきと くれなゐと うなつきあふは 何のこ〵ろそ  白蓮

 

別のお部屋です。こちらは何と寂しいお歌でしょう。 

お花 シュウメイギク(白)・クジャクアスター(紫)・ ホトトギス(左の方)・ ワレモコウ(後)

お軸  午前二時 月のあるこそ ひと里めさめて いとしけれ  一人ものいふ

 

躙り口から入って お茶室の水屋がありました。

 

二階に上がって 白蓮のお部屋に行きます。

 

本床のお軸   白蓮がこよなく愛した歌です と書いてあります。

  朝化粧 五月となれば 京紅の 青き光も なつかしきか  白蓮 

 

一段低い床の間

額縁に入っています。色紙かな?   【花】の一文字 

 

そして お部屋の窓からの お庭 太鼓橋が見えます。 私なら最高の眺めですが これを見るたびに

白蓮さんはどんな風な思いで ここから月を 雨を 雪を 眺めただろう。。。と思います。

 

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茶屋町橋梁をご紹介します。 煉瓦アーチ橋梁も niemonさんに倣って見学しています。一部分石積みです。

 

お墓参りの7月18日、お寺さんの近くです。川は槻田川(つきたがわ)、茶屋川橋 右側は茶屋町橋梁です。

 

墓参りに付き合ってくれた妹と散策しています。

 

北九州市指定史跡 九州鉄道茶屋町橋梁

明治24年4月に開通した大蔵線の施設 廃線後の一時期多少手を加えて歩道橋として活用しており 昭和51年3月復元した(案内板より抜粋)

 

アーチ部分の内側は こうなっています。

 

休憩する人のためにベンチも設置してあります

 

亡くなった友人の校区 亡くなる前 10日間一緒に過ごした時も ここに来ました。

 

夏の花が迎えてくれました。

 

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8月4日 語呂合わせの橋の日 私は石橋の話をよく投稿していますが 好きな橋5個 などと言えば選びきれない または同じ話になる そこで今回は いつもと趣向を変えて真夏の思い出の石橋をご紹介します。

2007年 阿蘇立野です。 この頃はJRで行ってました。 よそ様のお宅に入らないと ちゃんと撮れません

九電の放水路にかかっている舞堂(まいどう)橋をご紹介します。 

そのお宅にお邪魔してお願いしました。脚立が無いと撮れません 後は川でネットがありますから。
道端にビールケースがあったのでそれに乗って手を上に伸ばして。。



おぉ 撮れました。ちょっと切り取りますね。天気がよすぎて真っ暗ですが背伸びして、あてずっぽうで撮ったんですもん。




汗びっしょり。。。奥様が カンカンに冷えた麦茶と お蜜柑を持ってきて下さいました。
”天草晩柑” といいます。福田さんと仰ってこれを作っていらっしゃいました。 この後も交流が続き

誕生日には阿蘇高菜漬けを送ってくださってました。2016年に熊本地震で被災され連絡が取れなくなりました。

というか 架ける言葉もなく 電話できずにSMSでメール お返事はありませんでした。

また数年後 職場に蜂蜜の販売でデパートから来られた方が立野の蜂蜜屋さん お知り合いでした。 

お世話になったお宅のご主人さまは亡くなられ 奥様は静かに暮らしていらっしゃる。。。連絡は取らずに 思い出したらお祈りしています。

 

 

2009年 石見銀山にツアーで行きました。 頃合いをみて、意を決してガイドさんに聞きました。五百羅漢はどのあたりですか?って。。。 

ガイドさんはコースにないのに廻ってくれるそうです。 思いは深ければ通じる・・・私の持論です。

これを頭に描いて家を出てから6時間 会いに行ったんです。五百羅漢の石橋、3基のうち2基です。





少し離れて3番目の橋があります。左側の山手は五百羅漢。。いくら産業遺産とはいえコースに加えていいと思いませんか?

ひとつづつじっくりご紹介したいんですが、割愛して1基だけ はいポーズ。。




川の下に下りました。3つ 見えないでしょうね。私には見えるんです。弧を描いて3基同時に。。

最近観光客が川に落ちたそうなんです。だから案内しないように「指導」されているそうです。

ガイドさん。ごめんなさい。無理を聴いて下さって有難うございます。。。


 

古い記事を観ていたら 暑い時期なのに 私の気持ちが 暑苦しい・・・

真夏は やっぱり室内ですね。

 

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めい 昨年8月 骨転移 1年目、骨シンチ検査 両親行く予定が、来なくていいとのことで 独りで行くとのこと 頑張れ! 結果は17日



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定禅寺は 通称藤寺です。 求菩提山からの帰り道の田川、福智町。花にはまだ早い頃でした。

 

八重と一重の藤があります。

 

ご覧のように房の下の方は 蕾です。 全部開くと 重さでぐんと下がるはずです。

 

鐘楼から見ると こんな感じ

 

初めてみましたね~ カリカンサス プレゼント 検索してみたら 黒花ろうばい ろうばい??

 

 

道路を挟んで 大きな池があり、すっぽんを観たことがあります。池の向こうが駐車場です。

 

今度は駐車場からお寺を観た所です。 田圃じゃなくて 池です。右上端 定禅寺本堂です。

 

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八角トンネル どんなトンネルだろう 美里町に行く度に思ってました。 二俣橋から行けるのでした。

車は二俣橋の駐車場に置いたまま歩いていきました。 (勘違いして・・・) やっと着きました。 

 

・・・・ここから歩くのか・・・狭い 寂しい 一人旅の3月25日です。

 

やっと見えてきましたよ~ あれですね。。 短いトンネルです。

 

 

八角トンネルです。 詳しい情報は  こちらで ご覧くださいね。

 

トンネルを出て 視界が開けてきました。

 

さっ 急いで帰らなくっちゃ・・・一人で心細かったです。

 

戻ったら二俣福良橋を渡っています。 直角に見える石橋は 小筵二俣橋 その奥の大きなアーチは・・・

年禰橋(としね橋)です。

 

見えている青い橋は車道橋 その向こうのアーチが石橋です。左側が大窪橋や霊台橋への道。上部も観てきました。

 

右が車道橋 石橋は4連橋なんですよ。 美里町の石橋探訪は最後かな~  

 

過去に撮った少しはマシな写真です。

 

案内板です。二俣橋から 歩いて行ける八角トンネルと年禰橋をご紹介しました。

 

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さて 中断していました美里町の石橋 3月25日 誕生日の一人旅の続きです。

二俣橋は ほぼ直角に交わる二つの川にかかかる二つの橋、まずは二俣福良渡眼鑑橋からご紹介します。

 

6年前の熊本大地震で左の方が壊れて 修復されたので上の写真少し色が違います。

 

被災前は 私でも下りられる坂道があって そこから下りたら こんな景色が見られました。 まるで2連のように見えますね。

 

二俣福良渡眼鑑橋(ふたまたふくらわたしめがね橋)川は都留川。 もう一つの石橋 小筵二俣眼鑑橋から撮っています。

 

被災後修復部分 です、

 

小筵二俣眼鑑橋 (こむしろふたまためがね橋)です。橋向こうから河床に下りられるのですが 工事中でした。

 

ハート形が分かりますか? 恋人の聖地 と言われています。 1人で貸し切り 

 

川は釈迦院川です。

 

工事中でなかったら 上の写真に見える階段から河床に下りられます。 恋人の聖地って書いてありますね。 ハート形 も少し端っこがいいと思うけど・・・

 

橋の上部は二俣福良渡眼鑑橋  アーチは 小筵二俣眼鑑橋 その奥にもう一つ 大きなアーチは 次回ご紹介しますね。

 

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