ムネコマサン

写真付日記で~す。物忘れないうちにメモして、日々の出来事、アチコチ出かけコンデジ・一眼画像をアップしてます。

天満橋界隈

2018-10-15 13:10:15 | 旅行記

 法円坂界隈 昔、この近くの職場へ約10年ほど通勤してました 当時は 難波の宮
5世紀ころの法円坂倉庫群などの話は全く知らなかった・・・ 残念です。
小学校、中学校でも この場所のことは全く触れらなかったような気がしますね
聞いたけれど、忘れているかも・・・・
 バスで帰路へ いったん天満橋へ出て乗り継ぎ 発車まで時間があるもので
大川を行きかう船を眺めて楽しんでました。
この日は、珍しい遊覧船も見かけたところです。(^-^)
 中の島方面のビル群


あまり見かけない遊覧船 ミュージックが大きな音で聞こえてました。
海外観光客かも

大型観光船(定期航路)と行きかう


なみわ2号 屋根が高く上がってます 低い時は船首側の低い屋根と同じ高さまで下がるんですよ。

なにわ5号がやって来た



ダックツアーがやって来た 水陸両用車両で 乗車したまま船として大川を航行していきます。
上流へ向かってます。

運転席 船にバックミラーが 面白光景ですね


小連は乗ったことが無いので一度経験しないいけませんね 寒くならないうちに参加しようかな
それとも桜の季節がいいかも 

最後までご覧いただきありがとうございます。


難波の宮 広場で

2018-10-15 06:10:15 | 旅行記

 10月14日は いい天気でしたね~ (^^♪~
いつもの公園では、日曜日の久しぶりの晴天だったのでは 多くの方が楽しんでました。
最近は、ミニテントを持ち込み、昼寝、荷物置場などに使用して あちこちにカラフルな
テントが目立ってます。 
10月7日に法円坂へ出かけてみました。
 大阪には およそ1400年ほど昔、都があったんですよ~ 昭和29年から開始された
発掘調査で明らかになってます。
 前期難波宮は 645年に孝徳天皇が灘波(灘波長柄豊崎宮)に遷都し、宮殿は652年に
完成しているとか 686年全焼してます。
 その後、あちこちへ
 後期難波宮が726年頃造営されてます。発掘後、難波宮跡公園になって、
当時の大極殿基壇が復元されてます
この広場で 中国系の仲秋名月際が開催されてました 大音響で音楽などが演奏されて
ました。
少しだけ雰囲気を 可愛い龍ですね


周囲の樹を眺めると 黄色い花が満開 初見の花です。
モクゲンジと思います。



クマバチもやって来てます。


難波の宮 大極殿基壇 平城京と同じような建物があったのでは・・・
大阪歴史博物館では部分モデルがあります。

灘波宮跡公園(なにわのみやあとこうえん)の一部

この場所には昭和50年代まで公安調査局の建物があったことを思い出しました。

基壇上部の柱基礎



基壇だけではちょっと迫力がないですねぇ 想像力を働かせて ご覧ください(^-^)

石段も立派ですね 平城京の物より少し小さいかも
遠くに見える塔は 大阪府の教育関係殉職者の方々の慰霊塔で
教育塔とよばれてます。                     大阪歴史博物館 後ろはNHK大阪放送局です

 

この日、ちょっと中身が薄かったなぁ~(-_-;)  大阪歴史博物館前の模様です。
この建物は 古墳時代(5世紀ころ)の法円坂倉庫群の建物を復元(想像)したもので
柱跡はしっかり確認されてます。 柱跡には石が置かれてます。
歴史博物館へ入ると1階のガラス張から 発掘された柱跡が観れます。




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