ムネコマサン

写真付日記で~す。物忘れないうちにメモして、日々の出来事、アチコチ出かけコンデジ・一眼画像をアップしてます。

朱雀門 古都奈良の文化財・・・世界遺産

2014-11-22 09:13:50 | 旅行記

平城宮跡 初日は 途中で 大雨 全部観れなかった 再訪問
朱雀門(すざくもん)は 平成10年(1998年)に完成した

平城京は、今から1300年ほど前に、現在の奈良市につくられた都で
74年間は奈良時代と呼ばれています
平城京を中心に、律令国家としてのしくみが完成し、天平文化が花開
きました。

平城京ができたのは西暦710年。
元明天皇が律令制にもとづいた政治をおこなう中心地として、それまでの
都だった藤原京から遷都し、新しい大規模な都をつくりました。
平城京のモデルとしたのは、その頃もっとも文化の進んでいた唐(中国)の
長安という都でした。

この時代の遺蹟、出土品などの発掘 調査の結果 当時の模様が判り
歴史的価値の高いものとして 現在に至り 朱雀門 大極殿が復原されています

朱雀門の歴史をちょっとだけ学んだところです

無料駐車場の でかい看板

撮影 2014-11-03 10:17

世界遺産の石標

撮影 2014-11-03 10:30

平城宮の正門・朱雀門。
その前では外国使節の送迎を行ったり、大勢の人達が集まって歌垣などを
行ったりし、正月には天皇がこの門まで出向き、新年のお祝いをすることもありました。
朱雀門の左右には高さ5.5mの築地がめぐり、130haの広さの宮城を取り囲んでいました。

名前の由来
四神において南方を守護するとされる朱雀の名を冠したものとした
四神 天の四方の方角を司る霊獣の事
青竜 東を意味する 季節では春 色は緑(青)
朱雀 南          夏 色 朱または赤
白虎 西          秋 白
玄武 北          冬 黒
黄竜 中央        土用 黄

平城宮跡の保護に尽力した 棚田嘉十郎 さん の銅像

 奈良公園の植木職人であった嘉十郎は場所がわからなくなるほど荒れ果てた
平城宮跡を保存する為、上京し多くの著名人の署名を集め地元の有志に援助を
求めます。
 その努力が実り1910年(明治43年)には平城遷都1200年祭を成功させ、
1913年(大正2年)には「奈良大極殿趾保存会」が設立され念願がかないます。
その後1921年(大正10年)に私財を使い果たし心労で嘉十郎は自害してしまう
のですが、翌年には支持者の努力により国の史跡として保護されることになります。
銅像の左手には平城宮跡から出土した瓦、右手は大極殿跡を指差しています

国の史跡となってから実際に発掘作業が開始されるのはずいぶん時間が
経って昭和の戦後から開始されました。


撮影 2014-11-03 10:30

平城宮の周りに有った 築地(塀)の一部(復原) 高さやく5,5m

撮影 2014-11-03 10:34

この朱雀門から南に伸びる道が平城京のメインストリートの朱雀大路です。
幅74mあり大和郡山市にある羅城門跡まで約4kmまっすぐ伸びていました。
現在はすぐ南の国道までしかないのですが、全体を公園として復元する計画が
進められています
朱雀大路の西側の工場が取り壊しを始めており その後 朱雀大路が 当時の
ように復原され 公園も整備されるそうです・・・・いつごろかな

撮影 2014-11-03 10:40

この朱雀大路は 下つ道と言われ 大路の両脇には 側溝も
設けられた立派なものです

撮影 2014-11-03 10:41

朱雀大路 東側の側溝

撮影 2014-11-03 10:41

壮大な都市計画 藤原京まで伸びていたとか 今では 国道が
整備され それ以上の道路が出来ていますが
当時では 何も構築物の無い 広々した道路 復原できると
いいなぁ・・・・・無理でしょうね