ランダムなまず庵

 何事にも一寸手を出すが人並みに出来ず、中途半端なその日暮らし・・何でもありの風来ブログ、暇にまかせて「庵」ってます。

市川あたりブラブラ

2009-04-19 07:34:46 | なまサンプー
何となく思い出したのである。高校時代、同級生の音楽部員たちが歌劇かオペラかを上演した・・嗚呼麗しき手児奈よ~・・・・真間の入り江~と今でも耳に残っている。
 手児奈役の女性も還暦の同窓会ではそれなりに・・求愛男役たちは何故か早世したと聞いた。

 奈良時代の早い時期か?手児奈という評判の美しい女性がおり、多くの男から求愛され困り果てて海に身を投げた。今の市川市京成真間駅付近が舞台のようである。

 手児奈に因んだ歌も多く万葉集などに「われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名(奈)が奥津城処(おくつきどころ・墓所)」と山部赤人が詠んでいる。それ以前の事実か伝説か思いは馳せる。
 また、「勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」など多くの歌がある。


 そこから北上約5キロの下矢切に「野菊の墓文学碑」があるので寄ってみた。
 ここは伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の舞台である。時代は明治39年(1906)以前のことか・・ 旧家の15歳の次男政夫と17歳の町家の娘で従姉の民子との聞くも涙の純愛物語である。

・・・・政夫の家に手伝いに来ていた民子、二人はお互いに淡い恋心を抱くようになった。政夫の母はこれを嫌い、政夫を中学校の寮に入れ、民子を他家に無理やり嫁がせた。そこで民子は流産がもとで死んだ・・・

 昭和30年、「野菊のごとき君なりき」として映画化された。
 主演・民子役は新人、有田紀子であった。まさにこの映画のために出てきたようであった。すぐ結婚したようだがその後は知る由もない。

 市川駅近くのジャンボ餃子店を思い出し、混む前にビールでも・・もうトックに廃業してしまったとのことであった。残念・・船橋駅で下車し、昔よく行った「加賀屋」にチョット寄って酔って帰ってきた。


最新の画像もっと見る