ランダムなまず庵

 何事にも一寸手を出すが人並みに出来ず、中途半端なその日暮らし・・何でもありの風来ブログ、暇にまかせて「庵」ってます。

大根メシ

2010-03-19 09:24:23 | 思い出はホロ苦く
最近のある人との会話である。その人は60歳前後か、麦飯の話から「私はダイコン飯というものを知らない。食糧難の時に食べたらしいが・・・」

 そういえば私も食べた記憶がないが、大体こんなものであろうと推測できる。
 米が足りないので「大根」を短冊に切ってご飯を炊くとき一緒に入れるのである。
 要するに量を増やすのである。食べてみなくても判る。腹もちがしないであろうし、水っぽくて不味い。

 サツマイモ飯は食べたことがあるが、これは美味い。飯代わりにイモを食べていたのであるから・・・

 飯代わりに大根を齧った話もあるようだ。水分が殆んどで、それこそ、腹の足しにはならないだろう。食べられる小動物、草木を食べ尽くして全く何も無かったと言う。

 食べるものがあるだけましである。先の大戦の南方戦線では食べられる小動物、草木を食べ尽くして全く何も無かったと言う。

 終戦直前の5歳のころか、市内の道路に配給であったであろう「大根」が大量に並べられて各家庭が受領していた光景の記憶があるし、その時、齧った記憶もある。

 数え年7歳のおしんは、米一俵とひきかえに年期奉公に出される。おしんを乗せた筏が雪の最上川を下っていく。
 母親役泉ピン子、父親役伊東四朗・・・おしん役(少女期)は小林綾子・・・
 両親と別れ際に「父ちゃーん、母ちゃーん!と血を吐くような叫びには誰もが涙を流した最も印象に残る場面であった。

「おしん」は、テレビドラマの最高視聴率記録である。その後、タイ、台湾、香港、ベトナム、、エジプト、イランなど世界63ヶ国で放送され、日本だけでなく各国で人々の共感を呼んでいる。
 中国では阿信・アーシンである。「おしん」は辛い、辛抱のシンかと思っていたが、本名は「しん」であった。名付けた親は単に「しん」であっただろうが、辛抱の極限まで味あわせるとは夢にも思わなかったであろう。

 「大根メシ」で育ったのか、聞くも見るも涙、なみだである。


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2 コメント

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Unknown (どっちん)
2010-03-19 20:02:58
戦中戦後のひもじい思いをした世代は、今日の飽食の時代を何と考えるか。コメがなく、大根飯はおろか、粟を米の代用としたり、メリケン粉を練って水団(団子汁)を食ったり、塩さけが入った雑炊など・・。母はヤミ米を買った罪で始末書を書かされたことなど昨日のことのように思い起こされる。幼い時に体験したことは、中々拭い去ることができないでいる。娘が、お父さんは”貧乏性だ”といわれるゆえんである。
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浮浪児狩り (なまず)
2010-03-20 06:09:33
廃墟の町には浮浪児が・・1、2年で姿を消した。拾い食い、盗み食いで・・・
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