「お預けを食った」の表現が相応しいかどうか、聞くも涙の話である。いや、現実にあった。
ここでは「食止め」と言うらしい。食事を貰えないことで「お食事を入れる」と言ってるらしい。胃に入れることには違いない様だが・・・
徒然に聞くところによると、何十日も点滴だけの人がいる。
点滴でも相当期間生きられるようだ。腹は減らないのである。大小便の排泄は普通にとはいかないようで、大は偶に少々、小は多いようである。
寝たきりで身動きならない人に、この点滴が何種類もWっていることが多く悲惨である。
歩ける人で「食止め」の人は、同室者の食事の音、カチャカチャグチャグチャに耐えきれず、点滴を携行しテレビの部屋に行く。将に明日が見えないのである。
「ようやく水が許可になったよ」嬉しそうに私に告げた人がいた。あの人はその後どうなっただろう。
「食事はどれぐらい摂れましたか」と毎回聞かれるが、私は完食+α・・・半分とか、全く手が、いや箸が付かない人もいる。
お預けも厳しい生き地獄である。小学校の時、弁当を持ってこられなくて、校庭の鉄棒にぶら下がっている子を思い出した。
ここでは「食止め」と言うらしい。食事を貰えないことで「お食事を入れる」と言ってるらしい。胃に入れることには違いない様だが・・・
徒然に聞くところによると、何十日も点滴だけの人がいる。
点滴でも相当期間生きられるようだ。腹は減らないのである。大小便の排泄は普通にとはいかないようで、大は偶に少々、小は多いようである。
寝たきりで身動きならない人に、この点滴が何種類もWっていることが多く悲惨である。
歩ける人で「食止め」の人は、同室者の食事の音、カチャカチャグチャグチャに耐えきれず、点滴を携行しテレビの部屋に行く。将に明日が見えないのである。
「ようやく水が許可になったよ」嬉しそうに私に告げた人がいた。あの人はその後どうなっただろう。
「食事はどれぐらい摂れましたか」と毎回聞かれるが、私は完食+α・・・半分とか、全く手が、いや箸が付かない人もいる。
お預けも厳しい生き地獄である。小学校の時、弁当を持ってこられなくて、校庭の鉄棒にぶら下がっている子を思い出した。