今日、8月17日の宮代町は青空が広がり、秋の装いを強く感じさせられた。
高い空に心ウキウキ。そろそろ山崎山の彼岸花も開花かと現地に向かった。
ちょっと元気がありませんが、開花していました。
開花宣言を出すには開花している株が数株
他の株は
「あれ」。ちょっと変。誰かが折ったのか、犬が暴れたのか・・・・。 隣に目をやると
掘られている。
その数3、4箇所。近くには花も散乱している。
野にあるものは全部自分のものとばかりに持っていく人が多い。
このため、宮代NOWでは、野の花の開花情報のブログを中止した。
彼岸花は野の花ではなく植えられたもの、それまで持っていくとは・・・。ホームセンターなどに行けば球根は売っているのに・・・。
今咲いている花がほしいということか・・・・。確かに、ここの花は他より早く開花している。
株ごとごっそり、それも数株ということは商売人の仕業?
あの、青空が与えてくれた心ウキウキは一瞬に消えた。暗い気持ちで家路に就く。ところが・・・・・。
途中、植物観察会(?多分)の一団に出会った。ここは、希少植物の咲くところなので、それを見に来たのだろう。(場所が特定できないよう画像を加工しました)
だが、よく見ると
シャベルらしきものに採集用袋。観察ではなく、掘りに来たらしい。
観察会参加者にとっては学術研究(リーダーらしい人がトラストの腕章をつけているので)なのだろうが、掘られる植物にとっては、彼岸花の盗掘者と同じである。
掘られることに変りがないのだから・・・。
掘られた後、彼岸花は売られるか愛好家に育てられるか。ここの花は、標本にされるか研究用に育てられるか。
盗掘は悪で、学術研究は善、というのは人間の論理であって、植物にとっては、どちらも「私を掘る、にくい奴」に変りがない。
希少植物の保護を言いながら掘ったり、抜いたり、摘み取って観察したり。
高齢化社会と自然環境保全の高まりの中で、ますますにわか植物学者が増えてきている。
その人たちが「私だけ一本。私だけ一匹」と採集を行っていったら、生物多様化を大きく阻むことになるのでは・・・。
しかし、そうした人たちが生物多様化の必要性を叫んでいる人たちでもある。
生物多様化を叫ぶなら、生物の命を断つ行為をやめることからスタートすべきだと思うが・・・。
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