聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書6章 五千人に食べ物を与える その3

2008年03月21日 | 新約聖書日記
つづき


新聖書講解シリーズ マルコの福音書 いのちのことば社 を、まとめて
『イエスは彼らに対して有名なパンの奇跡を行うのであるが、私たちは三通りの人間を観察することによって、この出来事を見ていこう。

第一は民衆の姿である。
この頃になると、イエスの行く所にはどこでも、朝早くから夜遅くまで、群集が押し寄せて来た。
イエスはそのような民衆を「羊飼いのいない羊のよう」だと感じられた。
当時の民衆は、政治的にも宗教的にも社会的にも放置されていた。

イエスはこのような民衆の姿に目を留めて深く憐れまれ、時の経つのも忘れて彼らを教えられた。
また、彼らの必要にこたえて、悪霊を追い出し、病気を治された。
自ら進んで人々の中に身を投じ、彼らの必要にこたえ、彼らに仕えられた。

第二は、目先のことに心を奪われた弟子たちの姿である。
イエスは熱心に教え、民衆は真剣に聞いていた。時がどんどん過ぎていくのに誰も気が付かなかった。
しかし弟子たちは時間を気にして落ち着かず、イエスに群集を解散させるように申し上げた。
弟子たちは信仰と思いやりが欠けていて、時間が遅いこと、へんぴな場所、大勢の群集が空腹であることなどに心が奪われ、イエスへの信頼と群集に対する配慮に欠けていた。
彼らは多くの奇跡を行って民衆の必要にこたえてきた方がそばにおられることも、自分たちが伝道旅行においてどのように人々の問題にこたえてきたかも忘れてしまっている。

私たちも、現実の問題に直面したとき、その状況に心が奪われ、あれこれと思い悩むことが多い。
問題を現実面だけで解決しようと躍起になって、イエスに対する信仰と隣人へ愛の配慮をなおざりにしてしまう。

第三は、民衆の必要にこたえるイエスの姿である。
イエスはまず弟子たちを訓練するために言われた。「あなたがたで、あの人たちに何か食べるものをあげなさい」。しかし弟子たちは、イエスの真意を悟ることができず、相変わらず現実のことだけに終始していた。
パンの奇跡が行われたのはこの後である。
イエスの奇跡が民衆の必要に十分こたえたことを示している。
イエスは飼う者のいない羊のような民衆を、神のことばと実際のパンをもって養われたのであった。

今日、日本は平和と繁栄を享受しているが、世界には飢餓と貧困に苦しんでいる人たちが決して少なくない。
日本のクリスチャンは、イエスの模範にならい、福音の伝道と共に、実際的な協力においてもそうした人々に仕えていかねばならない。』



お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
イエスさまにならい、神様のことばを伝えることと共に、現実的な協力もしていくことができますように。
イエスさまの奇跡により現された、終末の神の国を、待ち望みます。
羊飼いのいない羊のようであった私たちが、整然と並ぶ共同体となる、完成された神の国をおもいます。
至福を感じることができる御国の到来を待ち望みます。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りします。
アーメン