mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

誰もが健康体では無いことを前提に自動車の操縦

2015年10月16日 | 道路交通安全の考え
 本日、というか日付が変わって10分ほど経っていますが、昼間からブログに書くべきネタがいくつかありましたが、午後7時のNHKラジオニュースで、心が痛くなるニュースがありましたので、これについて書きます。

 NHKのニュースでしたので、NHKのニュースサイトでもページがあるだろうと検索しました。
ニュース記事・目の不自由な姉妹 出勤途中にはねられ 妹死亡

 15日の朝方、新潟市で目の不自由な姉妹が腕を組んで歩いていたら、車道に近い方を歩いていた方が、前から来た自動車にはねられて死亡した、というニュース。

 気になったポイントは、目の不自由な姉妹が道を歩いていた、目が不自由という最大のハンディを負った姉妹二人、支え合ってここまで暮らしてきただろうと思います。
 その一方の妹を死に追いやった自動車運転手。残された姉は、この先どうして暮らしていけるのか、と。

 これを考えると、帰宅のバス乗車中でしたが、とても心が痛くなりました。

 はねた自動車の運転手も、交通事故を起こす予定で運転したわけではありません。
 いつも通りの運転をしていたわけです。その「いつも通り」の運転(操縦)というのが、事故に直結する要素をはらんでいたわけで、webページに現場の映像画像がありましたが、道はさほど広くはないけれど、人間と自動車はぶつからずにすれ違える程度の道幅。

 見た目、この道路、高速走行の傾向があるようです。アスファルトと、路側帯の白線の剥がれ方が、いかにもタイヤの高速走行が多いことを伺わせます。
 こういう道路は、歩く側が危険を感じて一列で歩きます。
 しかし、事故にあった姉妹は目が不自由。よって腕を組んで二人並んで歩いたのでしょう。

 運転手はいつもの通りの速度で走り、二列で歩いている人も、一列で道の端に避ける「だろう」との運転、であったであろうと推定。
 人はだれもが健康体ではありません。
 自動車の運転手は、歩いている人が皆、健康で走行する自動車を避ける、という発想は捨てるべきです。

 幼い兄弟が事故にあった、というニュースも心が痛いけど、昨日の姉妹のニュースもとても心が痛いものです。

 しかし、なぜ自動車を操縦(運転)する人は、速度違反を当然の運転をするのだろうか。
 朝は、出勤に急いでいるから自動車の速度が速いのではありません。
 最初から、この速い速度で走行することを前提としています。
 5分早く出たら、落ち着いた運転、にはならないと思います。5分早く出たら、5分早く着こうと思うものだろうと考えます。

 この自動車運転手は、何らかの罰則が与えられることと思います。しかし、事故を起こした者を罰しても始まりません。交通違反自体に厳罰を与えるべき、というのが私の考え。

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