一燈照隅

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12年目の鎮魂の日

2007年01月17日 | 時事問題
救えなかった命かみしめ 元自衛官の神職・高橋さん

    
陸上自衛隊員だった一九九五年、阪神・淡路大震災の現場に入り救助活動に当たった後、神職になった三重県鈴鹿市の高橋洋司さん(44)が十七日、神戸で追悼行事に参列し、木板に異人館街や灘の酒蔵をあしらった手作りの灯ろう百個をささげる。

 底冷えの一月、たき火に明かりと暖を求めていた被災者。「あの光とぬくもりを届けたい」。ささげ続けた鎮魂の灯ろうは今年で七百個を超える。十七日、震災から十二年の朝がくる。

 九五年一月十九日未明、神戸市東灘区。旧三重県久居市(現・津市)の第三三普通科連隊で二等陸曹だった。目にしたのは、街を覆う暗闇と不気味な静寂だった。

 「生存者はいるのか」。地震から二日以上が経過し、半信半疑のまま、夜明けとともに救助活動を始めた。「うー…」。ヘリコプターのごう音やサイレンに混じって、全壊した木造二階建て住宅の奥から女性のうめきが漏れてきた。

 身長一五五センチの高橋さんが、壁の約三十センチのすき間から、ほふく前進した。ベッドの上に仏壇と食器棚が覆いかぶさっていた。ベッドと床のすき間にうつぶせに倒れていたお年寄りが声を絞り出した。「水がほしい」

 同連隊が救ったのは六人。路上には毛布に包まれた多くの遺体が横たえられていた。陸自派遣要請の遅れも人命救助を難しくした、と思う。

 無力さを思い知り、救えなかった命の尊さをかみしめた。「自然の厳しさを世に伝えることが天職だ」。震災の翌年、自衛隊を辞め、以前から持っていた資格を生かし神職へ転じた。神主として新築工事の地鎮祭に立ち会う際、周辺を走る活断層や津波被害の怖さを施主に必ず説明する。

 身をもって経験した自然の力への畏怖(いふ)と鎮魂の思いを背負い、高橋さんは祈り続ける。
(神戸新聞)


阪神淡路大震災から今年で12年経ちました。
震災の年に生まれた子が、小学校6年生になっているのですね。来年からは小学校は、震災以後に生まれた子供だけになるのですね。
年々マスコミも取り上げが小さくなってきていますが、震災直後の惨状のビデオを見ると今でも涙が出てきます。
当時、NHKのアナウンサーが放送途中で涙を流して言葉に詰まったのを今でも覚えています。
この時、国も県もしっかりしていたら、犠牲者を減らすことが出来ただろう。

阪神・淡路大震災から11年。いきなり揺れは来た!