一燈照隅

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歌会始

2007年01月15日 | 皇室
歌会始の儀 今年のお題は「月」

 新春恒例の「歌会始の儀」が15日、皇居・宮殿「松の間」で開かれた。今年のお題は「月」。天皇、皇后両陛下、皇太子ご夫妻はじめ皇族方のお歌のほか、天皇陛下に招かれた召人(めしうど)で歌人の大津留温さん(85)や、一般応募で入選した10人の歌などが、古式ゆかしい発声と節回しで朗詠された。

 宮内庁によると、天皇陛下は、宮殿で認証官任命式を終え、御所に戻るときの情景を詠まれた。皇后さまは毎年元日の明け方、宮中祭祀(さいし)に出られる陛下を見送り、ご自身も御所の外で拝礼する際に、年ごとに月や星の位置や満ち欠けが異なるのを楽しみにしながら、空を見上げる気持ちを歌にされたという。

 皇太子さまは、ほおを刺すような寒さと静けさに包まれたスキー場で、明るい月の光が注がれ、雪をかぶった木の茂みがくっきりと浮かび上がってくる様子を詠まれた。雅子さまは、昨秋のお月見のころ、「お月様がみたい」という愛子さまのお誘いで、一緒に東宮御所の庭に出て、手をつないで月夜を見上げながら、幼い愛子さまと過ごす日々の幸せを歌に込められたという。

 昨年9月に悠仁さまを出産された秋篠宮妃紀子さまは、入院中の病院で、家族の元を離れて入院生活を送る子供たちと、その子供たちを見守る医師や看護師に思いをはせて詠まれたという。
(産経新聞)


御製(天皇陛下のお歌) 
 務め終へ歩み速めて帰るみち月の光は白く照らせり

皇后陛下御歌 
 年ごとに月の在(あ)りどを確かむる歳旦祭(さいたんさい)に君を送りて

皇太子殿下お歌 
 降りそそぐ月の光に照らされて雪の原野の木むら浮かびく

皇太子妃殿下お歌 
 月見たしといふ幼な子の手をとりて出でたる庭に月あかくさす

文仁親王殿下お歌
 モンゴルを走る列車の車窓より見えし満月大地照らせり

文仁親王妃紀子殿下お歌
 月てらす夜半の病舎にいとけなき子らの命を人らまもれり

正仁親王殿下お歌
 望月の光あまねき草生(くさふ)よりかねたたきの声しづかに聞こゆ

正仁親王妃華子殿下お歌
 をとめらは夏の祭りのゆかた着て月あかりする山の路ゆく

崇仁親王妃百合子殿下お歌
 ならび立つ樹氷を青く照らしつつ蔵王(ざわう)の山に月のぼりたり

仁(ともひと)親王妃信子殿下お歌
 澄みわたる月の光をあふぎみて今の世思ひ次の世を思ふ

憲仁親王妃久子殿下お歌
 知床の月のひかりに照らされて梢にとまるしまふくろふ見ゆ

□お歌について


選歌(詠進者生年月日順)

岡山県  高原康子
 有明けの月照る畑に総出して出荷のアスター千本を切る

愛知県  奥村道子
 黒板に大き三日月吊されて園児らはいまし昼寝のさなか

徳島県  金川允子
 台風に倒れし稲架(はさ)を組みなほし稲束を掛く月のあかりに

秋田県  田村伊智子
 月光をたよりて屋根の雪をきる音かすかして子の丈みえず

広島県  杉田加代子
 弓張の月のかたぶくころほひに携帯メールはひそやかに来ぬ

北海道  藤林正則
 サハリンを望む丘のうへ放牧の牛千頭を照らす満月

秋田県  山中律雄
 映像に見し月山の朝のあめ昼すぎてわが町に移り来

東京都  藤田博子
 月の庭蒼き梢に目守られて昨日となる今日今日となる明日

東京都  一杉定恵
 実験のうまくゆかぬ日五ヶ月の胎児動きてわれを励ます

大阪府  吉田敬太
 帰省した兄とボールを蹴りに行く土手一面に月見草咲く

毎年ニュースの映像だけですが、今年はビデオに録画して後で見ました。
静かさの中の講師の独特の詠み。何となくですが風を感じました。
静かな中で厳粛な感じで行われるようで、自然と正座して背筋が伸びていました。

ところで、同じ事を言いますが、全マスコミに言えることですが、皇族方の正しい敬称を何故使わないのでしょう。変に親しみを覚えるからとか、開かれたなどの理由で使わないのでしょうか。
ちゃんと皇室典範に書かれています。
 「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする」
 「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする」
マスコミもそろそろ、まともに成るべきです。

宮中歌会始がどのような感じなのか「宮中物語」から見てみます。
平安朝に遡る「歌会始」

宮中諸行事のなかで、いかにもそれらしき文化的雰囲気をもつものが、歌会始である。毎年一月十日前後に、あらかじめ公表したお題によって、広く国民の応募を求めた入選短歌の優秀作を公にする行事であるが、宮中文化というものの代表的な行事であろうか―。
昭和五十八年のお題「島」による歌会始の儀を見てみると、三万五千二百通のなかから選ばれた十首が(これを預選歌(よせんか)と呼んでいる)天皇陛下の御前で披講(ひこう)されるのである。(皇后陛下はご健康がすぐれず五十七年以降、ごく例外的な場合を除いていっさい公式行事にはお出になられなくなった)。応募作は広く米国、欧州、南米、アジアまで含む全世界から寄せられ、そのなかから優秀作を選ぶことになっている。
式場は宮殿松の間であり、歌会始委員、預選者、ついで各界および一般の陪聴者、さらに一部閣僚、議員、歌人、文化人その他約百名が着席する。このあと、この儀の司会役である読師(どくじ)(進行係でもある)、講師(こうじ)(読み上げ)、発声(独唱)、講頌(こうしょう)(合唱)およびそれぞれの控の方がたが着席、また陛下から特に歌を詠進するよう(召歌という)求められた召人(五十八年度は国学院大学、桑田忠親名誉教授)が出席する。
こうして一同が黒塗り枠の透かし背もたれに菊紋散らしを施した、紫布地の小椅子に着席を終ったのち、皇族各殿下および預選歌の懐紙が式場中央の披講席の卓上に準備され、さらに侍従が皇后陛下のご懐紙を捧持して式場に入り、空席のままの皇后陛下のお机の上に置く。
このあと天皇陛下がお出ましになられ、皇太子殿下、同妃殿下、浩宮殿下、常陸宮殿下、同妃殿下が従われる。ついで侍従が陛下ご着席の、菊紋模様の金欄地卓布を掛けた机上に御製の御懐紙を置き、このあと読師が参進して披講席について、歌会始の儀式が始まるのである。
式次第は選歌、召歌(召人の歌)、皇族、浩宮、皇太子妃、皇太子、皇后陛下御歌、陛下御製とつづくのである。講師が「年の始めに―ということをおおせごとによりてよめる歌」、つづいて「青森県、佐藤の春夫」といった前置きで懐紙を捧げてふしをつけずに詠み流す。読み終って発声に入り、古式にのっとったのどかで低い、しかし朗々たるよく透る声で、独特の節をつけて第一句を朗唱し、第二句目から講頌の四人が合唱風にのびやかに読み上げて、一首を終るのである。
朗唱が終り、預選者は一礼して着席、順次同じように(ただし二首目から「年の始めに」の言葉を省略する)繰り返されたあと、皇族の歌がつづく。このあとの皇后陛下の御歌の場合は、講師が御懐紙を卓上からいただいて戻り、読師とともに起立して黙読、「島、ということをよませ給える妃の宮の御歌一」と言い終るとともに参列者一同起立、講師の拝読ののち、二回の朗詠で終るのである。
次に講師は陛下の御前に進み、お机の上のご懐紙をいただいて披講席に戻り、起立したまま読師とともに黙読、次いで拝読、一同起立して御製を三度朗唱し終って着席となるのである。

講師はこのあと懐紙を折り畳み、御前に進んで卓上に戻し、陛下のご退場となる。
ついで両陛下机上のご懐紙をそれぞれの侍従が捧持して退出ののち、参列者一同の退場となる。この間、式次第の一部始終は松の間両側の高天井から落ちる照明のもとで、壁にはめこまれた薄墨色のガラス窓のなかのテレビ席から、全国に中継されているのである。
このあと関係者に対して陛下よりのお言葉があり、また記念品の伝達、記念撮影、記者会見、お祝いの食事(「賜饒」と呼んでいる)がつづき、さらに懇談会や記帳などがあって行事を終るのである。なお参列者はすべてモーニングコートまたは相当和服である。
ちなみにこの年の御製は、
「凪ぎわたる朝明の海のかなたにはほのぽのかすむ伊豆の大島」
であり、御歌は、
「島人のたつき支へし黄八丈の染めの草木をけふ見つるかな」
であった。