昨日、今日と朝日放送で「白虎隊」が放送されています。
朝日が「白虎隊」とはと正直思いました。
年代を基督暦で示していたので、分かりにくい。ちゃんと和暦で表してもらいたいですね。
幕末から戊辰戦争における、会津藩のことは早乙女貢氏が書いた小説「会津士魂」を読めば詳しくわかります。
白虎隊が切腹したのは、旧暦の明治元年(慶応四年)八月二十三日です。
昨年六月二十六日の記事を掲載します。
http://blog.goo.ne.jp/misky730/e/f926229943e40cb61e18580da29fac7b
追記
※明治に改元したのは、慶応4年9月8日であるが「慶応4年をもって明治元年とする」としているため旧暦1月1日に遡って適用される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/明治
朝日が「白虎隊」とはと正直思いました。
年代を基督暦で示していたので、分かりにくい。ちゃんと和暦で表してもらいたいですね。
幕末から戊辰戦争における、会津藩のことは早乙女貢氏が書いた小説「会津士魂」を読めば詳しくわかります。
白虎隊が切腹したのは、旧暦の明治元年(慶応四年)八月二十三日です。
昨年六月二十六日の記事を掲載します。
http://blog.goo.ne.jp/misky730/e/f926229943e40cb61e18580da29fac7b
「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそきけ」
西郷千重子
弱いなよ竹のように吹く風に連れてゆれ動くばかりの弱い女の身だが、そのなよ竹にはどんな強風にも曲がらない節があると聞く。私も節義に殉じて一死を選ぶ。
西郷千重子は会津藩家老西郷頼母の妻。
戊辰戦争で兵力で勝る新政府軍は会津にも攻めてきました。慶応四年八月二十三日新政府軍は会津城下に侵入してきました。
この時兼ねてからの合図である士族家族の入城を告げる鐘の音が鳴り響きました。
しかし、西郷頼母邸では、家を守る母と妻千重子が子女に向かって「お城に入って殿様に従いたいが、子連れではかえって足手まといになるやもしれぬ、むしろ自刃して国難に殉じたい」と伝え、長子吉三郎のみを城に入れ、頼母の母律子、妻千重子、妹眉寿子、由布子、長女細布子、次女瀑布子、三女田鶴子、四女常磐子、五女季子、他縁者の計二十一名が自決しました。
この時に千重子が残した辞世がこの「なよ竹…」です。
二十年ぐらい前、年末の民放番組で「白虎隊」を放送したのを見たのですが、その中でこの自刃の場面が描かれていたのを思い出します。
武士の妻と言うか、本来の日本女性の気持ちを表しているように思へます。
私は偉そうに言えませんが、今は男女問わず、この辞世と逆な人が多いのではないでしょうか。
引用
「名歌でたどる日本の心・スサノオノミコトから昭和天皇まで」
国民文化研究会・小柳陽太郎編 草思社
追記
※明治に改元したのは、慶応4年9月8日であるが「慶応4年をもって明治元年とする」としているため旧暦1月1日に遡って適用される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/明治