一燈照隅

日本が好きな日本人です

ローマ法王が所謂ABC級戦犯を慰霊

2007年01月16日 | 大東亜戦争
最近出版された本に、「東京裁判の亡霊を撃て」(展転社)というのがあります。
今日購入したとこなのでこれから読みますが、名越二荒之助氏が推薦の言葉を書かれているので、その言葉を掲載します。

アジア独立のメッカは靖国神社―イドリスノ特派員のことば
昨年の八月十五日には、靖国神社に二十万五千人の人々が参拝した。その時例年のように境内で、大規模な慰霊集会が開催された。何人かの登壇者の中で、世界イスラム連盟東京特派員のイドリスノ・マジッド師の発言が忘れらない。彼は言う。

「大東亜戦争によって、アジア諸国はすべて独立した。命をかけて独立に献身した人は誰か。言わずと知れた靖国の神々である。靖国神社は我々アジア人にとって独立のメッカである。我々は毎日五回ずつ、靖国神社に向かって祈りを捧げなければならない」

私は聞きながら想起した。メッカは他にもある。ビルマ独立のメッカは、静岡県浜松ではないか。
鈴木敬司大佐は開戦前、ビルマからオンサンやラミヤンを自分の郷里・浜松に招いて、独立の秘策を練った。まず三十人志士を養成し、開戦と同時に彼らを先頭にして、ビルマ国内に進撃することで独立の波を一挙に高める。この戦略は見事に成功し、いま浜松の大草山頂に記念碑が建っている。それではフィリピン独立のメッカはどこか。愛知県の三ヶ根山には比島観音がある。いやフィリピン人に聞けば、「それは特攻隊発進基地があったマバラカットだ。そこには銅像と記念碑もある」と答えるかもしれない。

独立を忘れた国・日本―ビル・トッテン氏のことば
そんなことを連想しながら、また別のことを思い出していた。それは平成十四年の九月に、参議院議員会館でビル・トッテンというアメリカ人の事業家の講演を聴いたことだ。彼の発想は日本人がとても及ばないくらいずば抜けていた。

「大東亜戦争によってアジアのみならず、アフリカ諸国までようやく独立した。世界史の大転換であり、いくら評価しても、し過ぎることはない。その中でまだ独立していない国が一つだけ残っている。その未独立の国は、外国製の憲法を今も有難がっている。隣国から教科書の書き直しを要求されたら、オタオタしながら従っている。日本人にとって最も神聖な靖国神社だが、首相が参るべきかどうかをめぐって、内輪喧嘩をしている。第一、国家の総力を挙げて戦った自国の戦争に『侵略』のラベルを貼り、それを首相談話に盛り込み、教科書にまで書き連ねている。こんな国が世界のどこにあるか。愛すべきミスター・ニッポンよ。サッカーの時だけ『ニッポン、ニッポン』と言わずに、歴史認識や国家観の中にニッポンを盛り込まなければ、独立国とは言えない」

彼があまりにもうまいことを言うので、質問するのを忘れていた。もしあの時私が、「日本の独立を奪ったのは、アメリカである。東京裁判といい、憲法の押し付けといい、まずアメリカから謝罪すべきではないか。一つだけ例を挙げよう。東京都品川区に品川(ほんせん)寺という真言宗のお寺がある。そこの仲田順和住職が、ローマ法王に会ったことがある。『東京裁判をどう思うか』と聞いてみた。法王は『連合国が自分のした事を棚に上げて、日本だけを裁いたのが、東京裁判である。私は恥かしいことだと思っている。処刑された人々を慰霊したい』と述べた。住職は法王の願いに応えて昭和五十五(一九八O)年、ABC級戦犯といわれる千六十八柱の位牌を、別製の五重塔に詰め、ローマまで持参した。五月二十一日、法王拝謁の大集会の時、法王は荘厳なる鎮魂のミサを捧げた。

このことはイタリアの新聞に写真入で報じられている(詳しくは拙著『昭和の戦争記念館第三巻』展転社刊を参照のこと)。ローマ・カトリックは歴史も古く、信者も十億を超えている。さすが法王である。不当な裁判で処刑された日本軍人に鎮魂のミサを捧げたのである。それに対してアメリカは直接手をくだした下手人である。処刑された遺族には、一人当たりウン億円の慰謝料を払ったらどうか」と言ったら、トッテン氏は何というであろう。

「初めて聞く話だ。こういう問題は私ではなく日本の国会が取り上げるべきだ。アメリカが日本の独立を奪ったと言うが、責任をアメリカに転嫁するようでは、真の独立国にはなれないよ。独立を奪われたというなら独力で跳ね返すべきだ。日本はかつて教育勅語を衆議院で排除決議を行い、参議院は失効決議を行った。東京裁判についても、衆参両院で排除・失効決議を行えばよいではないか。憲法とて同じ事である。マッカーサーが作ったコンスティテューションだから、それを破棄して、新しい自前の憲法を作ればいい。話しはそれからだ」と答えるのではないか。
(赤文字管理人)


太文字の部分ですが、ローマ法王(ヨハネ・パウロ2世)が、いわゆる戦犯とされた方々の鎮魂のミサを捧げていたのをこの本で始めて知りました。
カトリックの総本山であるバチカンが、昭和殉難者の慰霊をしているのなら、日本のカトリック信者が、首相の靖国神社参拝を違法と言うのは法王に逆らっているのではないか。
また、支那はバチカンと友好を結ぼうとしているが、支那も首相の靖国神社参拝に反対するのは矛盾するではないか。
元々支那は、日本のマスコミが騒ぐから利用しているだけに過ぎない。

このローマ法王の慰霊のことは「反日ワクチン」さんのブログに「昭和殉難者のミサ」として詳しく書かれていますので、そちらをご覧下さい。
http://vaccine.sblo.jp/article/1850309.html