まず、今日は私の中国生活のなかで、恐らく忘れらない一日となると思います。
御存知の通り今日は9月18日で、1931年の同日、中国瀋陽(旧奉天)にて満州事変が起こった日です。
(その発端となったのが、柳条湖事件)
最近の日中間の領土認識の相違、それに関わる騒動の激化に懸念が高まっている中、
こうした反日感情にさらに火をつける日が重なったことを不幸に思います。
中国に来て以来、外教をして4年目ですが、9月18日に講義があったのは実は今年が初めてでした。
また、昨日は大学側から
「18日は上海で大規模な反日デモがあるので、十分気をつけるように。」
と通知を受け、そのデモに学生達が参加する事態さえも予想しなければいけないと言われました。
それを聞かされた時は正直、18日を迎えることへの強い不安感を感じざるを得ませんでした。
(もちろん、大学側はただ私の身を心配して通知してくれただけなのですが…)
そして、あまり深く眠れないまま本日を迎えました。
ちなみに、本日は講義が三コマ(4年、3年のそれ)。
まずは、大学四年生達の講義(小論文、卒論指導)がありました。
その教室へ向かう途中、
「M先生ー!」
と私を大きな声で呼ぶ女性の声。
振り向くと、顔を知らない女子学生でした。
聞くと、彼女は大学院生で、私の大学院生対象の講義を受講しているそうなのです。
ですが、その講義は学生数が120人近い為、私は顔を覚えていなかったのでした。
(この講義のお蔭で、最近は大学院生からも声をかけてもらう機会が増えてきました)
彼女の明るい顔を見ていて、私の教室に向かう足取りも不思議と軽くなっていました。
そして教室に着くと、四年の学生達は朝早いにも関わらず、いつもと変わらず出席。
そして、いつもの通りきちんと、そして、時に笑いながら講義を真剣に受けていました。
名前を失念してしまったのですが、日本の短期留学から戻った学生も聴講でわざわざ参加していました。
(それなのに名前を忘れて申し訳ない!!)
午後にあった三年生対象の講義もいつもと同様に全員出席していました。
さらに、今日から新たに講義を受けたいという他専門の女子学生二人も来てくれていました。
雰囲気は相変わらずいつもと同じで、皆真面目に受講していたと思います。
要するに、私が昨日感じた不安や懸念は全くの杞憂に終わったわけです。
講義をしながら、こうして変わらない姿勢で当然のように受講してくれる学生達の姿勢に胸が熱くなりました。
そんな学生達を見て、私は講義を終える際のあいさつで思わず、
「皆さんが承知の通り、今日は日本にとっても中国にとっても特別な日です。様々な思いを持って中国人はこの日を迎えていると思います。そして、最近の日中間の政治問題も複雑です。ですが、そうしたこととは別に、こうして日本語、或いは「日本」について真剣に学ぶ君たちを私は大変嬉しく思います。」
と言ってしまいました。
学生達の反応から、何かそこで互いの気持ちがきちんと通じ合ったような雰囲気が確かにありました。
何か心の奥までジーンとくるような、暖かな気持ちにもなりました。
講義を終えて、夜は四年生達と一緒に大学近くのレストランで食事をしながら楽しく過ごしました。
今夜の東北料理の味、そして青島ビールの味は格別でした。
そして、そこで過ごした空間も私にとっては特別でした。
自宅に帰ると、千葉大学から「安否確認」として私の安否を問うメッセージが二通入っていました。
その回答に、上記のような内容を書いて返答したのは言うまでもありません。
自宅の母にも同様の旨をスカイプを通して伝えると、母は学生達に対して大変感激していました。
もちろん、上記のような経験は大学のような環境で働く立場だからこそ得られるものなのかもしれません。
実際に企業は大変な御苦労をされているとニュースなどから容易に想像ができます。
ですから、安易に私の情報だけを鵜呑みにし、安直に現在の事態を考えてほしくはありません。
ただ、私の場合、こうした経験を2012年9月18日にしたということは紛れもない事実です。
そういうことです。
御存知の通り今日は9月18日で、1931年の同日、中国瀋陽(旧奉天)にて満州事変が起こった日です。
(その発端となったのが、柳条湖事件)
最近の日中間の領土認識の相違、それに関わる騒動の激化に懸念が高まっている中、
こうした反日感情にさらに火をつける日が重なったことを不幸に思います。
中国に来て以来、外教をして4年目ですが、9月18日に講義があったのは実は今年が初めてでした。
また、昨日は大学側から
「18日は上海で大規模な反日デモがあるので、十分気をつけるように。」
と通知を受け、そのデモに学生達が参加する事態さえも予想しなければいけないと言われました。
それを聞かされた時は正直、18日を迎えることへの強い不安感を感じざるを得ませんでした。
(もちろん、大学側はただ私の身を心配して通知してくれただけなのですが…)
そして、あまり深く眠れないまま本日を迎えました。
ちなみに、本日は講義が三コマ(4年、3年のそれ)。
まずは、大学四年生達の講義(小論文、卒論指導)がありました。
その教室へ向かう途中、
「M先生ー!」
と私を大きな声で呼ぶ女性の声。
振り向くと、顔を知らない女子学生でした。
聞くと、彼女は大学院生で、私の大学院生対象の講義を受講しているそうなのです。
ですが、その講義は学生数が120人近い為、私は顔を覚えていなかったのでした。
(この講義のお蔭で、最近は大学院生からも声をかけてもらう機会が増えてきました)
彼女の明るい顔を見ていて、私の教室に向かう足取りも不思議と軽くなっていました。
そして教室に着くと、四年の学生達は朝早いにも関わらず、いつもと変わらず出席。
そして、いつもの通りきちんと、そして、時に笑いながら講義を真剣に受けていました。
名前を失念してしまったのですが、日本の短期留学から戻った学生も聴講でわざわざ参加していました。
(それなのに名前を忘れて申し訳ない!!)
午後にあった三年生対象の講義もいつもと同様に全員出席していました。
さらに、今日から新たに講義を受けたいという他専門の女子学生二人も来てくれていました。
雰囲気は相変わらずいつもと同じで、皆真面目に受講していたと思います。
要するに、私が昨日感じた不安や懸念は全くの杞憂に終わったわけです。
講義をしながら、こうして変わらない姿勢で当然のように受講してくれる学生達の姿勢に胸が熱くなりました。
そんな学生達を見て、私は講義を終える際のあいさつで思わず、
「皆さんが承知の通り、今日は日本にとっても中国にとっても特別な日です。様々な思いを持って中国人はこの日を迎えていると思います。そして、最近の日中間の政治問題も複雑です。ですが、そうしたこととは別に、こうして日本語、或いは「日本」について真剣に学ぶ君たちを私は大変嬉しく思います。」
と言ってしまいました。
学生達の反応から、何かそこで互いの気持ちがきちんと通じ合ったような雰囲気が確かにありました。
何か心の奥までジーンとくるような、暖かな気持ちにもなりました。
講義を終えて、夜は四年生達と一緒に大学近くのレストランで食事をしながら楽しく過ごしました。
今夜の東北料理の味、そして青島ビールの味は格別でした。
そして、そこで過ごした空間も私にとっては特別でした。
自宅に帰ると、千葉大学から「安否確認」として私の安否を問うメッセージが二通入っていました。
その回答に、上記のような内容を書いて返答したのは言うまでもありません。
自宅の母にも同様の旨をスカイプを通して伝えると、母は学生達に対して大変感激していました。
もちろん、上記のような経験は大学のような環境で働く立場だからこそ得られるものなのかもしれません。
実際に企業は大変な御苦労をされているとニュースなどから容易に想像ができます。
ですから、安易に私の情報だけを鵜呑みにし、安直に現在の事態を考えてほしくはありません。
ただ、私の場合、こうした経験を2012年9月18日にしたということは紛れもない事実です。
そういうことです。
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