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みこの手仕事

手作り大好きの私がその日の出来事など書いています

インスタグラムを

2022-08-22 17:59:52 | 家族
息子が来てK子さんの果樹園のことはインスタグラムで見るといいよ。と言ってスマホに入れてくれました。

早速開いてみると写真などたくさん載っていて分かりやすい。
見るのは何とかみられるのだけれど使い方が解らない。

写真などもいろいろは入れることが出来そうなのだけれど使い方が解らないので見るだけになっている。
息子に聞いても解らないというのです。
私せっかく入れてもらったのに使えないのは残念なのでネットで「インスタグラムの使い方」と入れて調べながらいろいろ試してみています。

この年になると新しいことを覚えるのは大変だけれど。やっぱり使ってみたいのです。
ブログを書きか始めた時にも本を買って来て少しずつ覚えながら初めて、今日まで続いているのだけれど。
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終戦記念日でもあり主人の命日です。

2022-08-15 16:52:53 | 家族
主人が亡くなって6年が経ちました。この間子供たちが7回忌をしてくれました。

主人は戦争体験者です。15歳で少年飛行兵として志願したのだそうです。
孫たちに話すと「おじいちゃんはどうしてそんな小さいのに志願したの」と不思議がられていましたけれど。今の中学生ですものね。
主人はどうせ何時かは兵隊に行かなければならないのだから少しでも早くいって偉くなっていたかったからと言っていましたけれど。
その頃の教育はそんなだったのでしょうね。

8月15日が主人の命日なのです。
丁度お盆で息子たちも来ていて前日には皆で病院に行って逢っていたのです。
15日の朝病院から電話で容態が急変したからと電話を貰って皆で駆け付けたのです。

もうその時には意識はありませんでしたけれど。
前日に家族皆にあえて安心したのでしょう。


終戦記念日。亡くなった同期の人たちが主人を迎えに来てくれたのでしょう。
「皆に逢えたかな」と主人に声をかけました。

88歳まで長生きをした主人、同期の人は皆亡くなってさびしかったとおもいます。
話好きな人でしたから。

元気な頃は集まって靖国神社で集まったり、年に1回誰かが企画をして旅行などを楽しんでいましたから。私も一緒に参加をしたことが有ります。
そう広島と、小豆島の時に参加したのを思い出しました。

晩年はそんな話をする人もいなくなって寂しかったと思います。
主人が亡くなった時に私は主人に声をかけていました

「皆がお前ずいぶん長生きしたな、早く来ればよかったのに」と声をかけられたことでしょう。
主人もその後のことを色いろと話をして盛り上がっていたのではないかと思っていました。
そんなことを思い出した命日です。

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迎え盆です

2022-08-13 16:04:03 | 家族
今日は迎え盆です。
息子と孫とで行って来ました。
例年は夕方行くのだけれど今年は台風が夕方接近してくるという事なので午前中に行って来ました。雨に降られてしまったけれど

皆台風の来ないうちにと思ったのでしょうね。

15日は施餓鬼だけれどコロナの関係で新盆の家だけという事です。

いろいろなところでコロナの影響が出ています。


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次男の誕生日

2022-07-21 18:56:10 | 家族
パソコンを開いてメールをチェックしたらこんなメールが入っていました。
Facebookで「今日は〇〇〇〇さんの誕生日です、お祝いをしましょう」というメールです。
我が家の亡くなった次男なのです。
「そうだ次男は今日が誕生日だったな」と。
元気でいればおめでとうのメールをしていたのにと又寂しくなってしまいました。
我が家の仏壇の写真にKちゃんおめでとうと話しかけた私です。

去年の誕生日にはもう亡くなっていなかったけれど。息子の家族のもとにメールをしたら仏壇に次男の好きなビールとモンブランケーキが備えてある写真が送られてきたなと思い出しました。
今年は如何なのかな?

そういえば去年の10月にもリメイク教室のお仲間でリーダー的な存在だったSさんの誕生日にもこんなメールが来たなと思いました。

追記
今年も次男のおよめさんKちゃん忘れずに仏壇に花束。お酒、お菓子など次男の好物がお供えしてある写真がメールで送られてきました。

次男の家族元気でいた時と同じように織誕生日祝いをしてくれているのですね。

ありがとう

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様子を見に。

2022-07-16 15:26:44 | 家族
昨日ワクチンを打ってきたので今日はラジオ体操もウオーキングもお休みです。

息子に昨日ワクチンを打ってきたと報告したので様子を見に来てくれました。

何事もなく熱も平熱(3回目の時にはちょっと熱が出たけれど)です。

でもワクチンを打ったところがちょっと痛い。お友達に痛み止めの湿布薬を貼っておくといいよと教えていただいたので張っておきました。
日が経てば痛みの取れてくるのでしょう、
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下書きのノートが

2022-05-13 16:55:41 | 家族
主人が亡くなって6年もたつのにそのままになっていた使っていた棚を整理してみました。
その中からノートが出てきたので何だろうと思って開いてみました。

戦争体験者なので地域で手記を出したいので書いてくださいと頼まれたのでしょう。
「語り継ぐ戦争体験。私の戦後50年」という題で書いた下書きのノートでした。

原稿用紙に書く前の下書きでした。
少年飛行兵時代のことなどを書いているのです。
どうして少年飛行兵に志願したのかなど。
少年飛行兵としての毎日のことなどが書いてあります。
書いてあることによると終戦から終戦から1週間ほどで自分の生まれた所に帰ってきたようです。
私はあまり聞かなかったのですが。
戦友会には良く出席していました。又住所がわかると尋ねて行ったりしていました。
逢うと少年飛行兵時代の懐かしい話で盛り上がったのでしょう。

主人が孫と二人で出かけて言った靖国神社のことはとってもたのしかったのでしょう。
昼食会などに参加した時にもよく話していたようですから。
これも下書きがありました。
このノート捨てないで採っておこうと思います。息子にも見せようかな。
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思い出しました。

2022-05-07 16:21:03 | 家族
新聞の天声人語に投稿された俳句が載っていました。
新しい
 帽子のように
   オレ おら 僕
という句でした。

これを読んで
思い出しました。
我が家の息子達、小さい時には「僕」と言っていたのに小学校に上がった時かな、いつの間にか自分のことを「俺」というのを耳にしたのです。
私はそれを聞いた時に「アレ」と思いました。

小学生になったので少し大きくなったので「俺」と言いたくなったのでしょう。
もう子供扱いしないでくれという合図だったのかな。
そんなことを思い出させてくれた俳句でした。
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今日は私の誕生日

2022-03-29 14:00:44 | 家族
今日は私の84歳の誕生日です。
母が亡くなった年でもあるのです。まだ私は元気ですけれど。
80歳の誕生日の時には息子たちが80のお祝いだと言って家族皆でお祝いをしてくれました。
私のパソコンのデスクトップに元気な皆の顔が揃っています。
その後に次男が亡くなったりして寂しくなってしまったけれど。
80を過ぎたら月日の立つのがとっても早い。もう今年に入って4分の1経ってしまったのだから。
なんだか私の残された日はコロナコロナで終わるのかなとちょっと寂しくなる。
前のように自由に人に逢ったり、マスクなしで人とお話ができるようにはならないのかな。
マスクを通しての会話は聞き取りにくいのだから。

長男と孫のSからおめでとうとメールが来ました。次男から来ないのはちょっと寂しいけれど(当たり前亡くなっていないのだから)

sからのメールはうれしいものです。私が52歳の時に生まれた初めての孫です。両親が教師なので病気になったりするとお呼びがかかったのです。
主人が元気な時だったので親が出勤する前に着くように送ってもらったりしたのです。
私の第2の子育てを手伝わせてもらったのです。
やっぱり子育てを手伝ったという事でつながりが深いのです。いくつになっても可愛いものですね。

早く結婚して私にひ孫を見せてもらいたいのですが、これは無理かな。
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命日でした。

2022-01-31 14:55:27 | 家族
昨日は長男の所の1歳で亡くなった孫娘の命日でした。
元気でいたら26歳ぐらいになるのかな。
主人が亡くなった時に一緒に埋葬したのです。
いつも私も一緒に墓参りに連れて行ってもらいます。

その後で、お正月に行けなかったからと息子の家の御札、正月飾りなどのお炊き上げをしていただくために高麗神社に一緒に連れて行ってもらいました。
高麗神社に行くのはひさしぶりです。

主人が元気だったころは行ったことが有るのですがお正月に行くと駐車場が混んでいてなかなか置けないのです。そんなことで行かなくなっていたのです。

息子も来年は厄年、前厄という事でお祓いを申し込んでしていただきました。私も一緒に参列です。此処でもコロナアの影響でしょうかただ2拍2礼の礼拝だけです。

その後息子の行きつけの食事処があるからと連れて行ってもらいました。
古民家を改造して食事処にしたのだそうです。この頃若い人が古民家を改造してお店を持つ人が増えているのですね。

高麗川近くに有る「芳月」という食事処です。
息子達はとんかつ定食を頼んだのですが、私はお弁当を頼みました。

煮物やてんぷら、お刺身など個々,皿に入っていて、ご飯。お味噌汁が付いていました。
静かな所でゆっくりと食事が出来混んではいなくて、私達が行った時には1組の人が食事をしていただけでした。
予約をしてから行くお店のようでした。
コロナの関係でそんな方法になっているのかもしれませんね。

孫娘のお墓参りもでき、初詣?もでき、おいしいものもいただけて楽しい1日でした。
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既読にならなくても

2022-01-30 09:03:24 | 家族
亡くなった千葉の息子のお嫁さん。Kちゃんから孫のT君の就職が決まったよといううれしいメールが入りました。
音楽関係の仕事がしたいという事でそのような専門学校に行っていたのです。

コロナ騒ぎでこのような職業の就職も大変だろうと思っていました。
お正月に行った時にはまだ決まっていないという事だったので心配していたのです。

好きな仕事に就職が決まってホッとしました。
我が家の仏壇の次男に報告しました。

私の携帯も次男が元気な時にやり取りしたものがそのままラインに残っています。
最期の息子の返事は私が送った|お医者さんに行ったの」というメールに「行ったよ」というのが最後なのです。

返事はないのが解っていてもラインで送りたくなりました。
「Tちゃん就職が決まっておめでとう」とラインで送りました。

既読や返事は来ないけれどやっぱり知らせてみたくなったのです。
私の気持ちとして無くなってしまったと思いたくないのです。
まだ元気でいると思いたいのです。



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