昨日の日記の続きなんやけど、
ここ数日、帰宅するとハマキンのCDを聴きながら夕飯の支度をして、
ハマキンのCDを聴きながら食事をする、という日が続いている。
んで、思ったのは、
公衆電話、って最近使わへんなぁ~、と。
(歌詞に公衆電話がどーのこーの、と出てくるので)。
その昔、当然に携帯電話とかなくて、
出先から誰かに連絡する術は公衆電話だった。
10円しか入れずにダイヤルすると、
繋がったときに「ツー」という音がしたりして、
それを聞いたこっちは、
3分という枠の中でなにを喋ればいいのか、なんて思ってる間に
3分経ってしまったりして。
両替した硬貨が次々と落ちていく音を聞いて
すごく切ない思いになったり、
うしろに電話かけたい、と待ってる人がいるから切らないといけなかったり。
自由にならないもどかしさ、みたいなもんを感じていたあの頃(遠い目)。
携帯電話は通じるか、通じないか、のどっちかだ。
まぁ、たまにあるのは電池切れで切れるくらい。
そこに情緒なんてない。
携帯電話で切ないラブソングは作れそうにないなぁ。
ここ数日、帰宅するとハマキンのCDを聴きながら夕飯の支度をして、
ハマキンのCDを聴きながら食事をする、という日が続いている。
んで、思ったのは、
公衆電話、って最近使わへんなぁ~、と。
(歌詞に公衆電話がどーのこーの、と出てくるので)。
その昔、当然に携帯電話とかなくて、
出先から誰かに連絡する術は公衆電話だった。
10円しか入れずにダイヤルすると、
繋がったときに「ツー」という音がしたりして、
それを聞いたこっちは、
3分という枠の中でなにを喋ればいいのか、なんて思ってる間に
3分経ってしまったりして。
両替した硬貨が次々と落ちていく音を聞いて
すごく切ない思いになったり、
うしろに電話かけたい、と待ってる人がいるから切らないといけなかったり。
自由にならないもどかしさ、みたいなもんを感じていたあの頃(遠い目)。
携帯電話は通じるか、通じないか、のどっちかだ。
まぁ、たまにあるのは電池切れで切れるくらい。
そこに情緒なんてない。
携帯電話で切ないラブソングは作れそうにないなぁ。