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ねぇさん日記

ねぇさんの「寝言は寝て言え!」的酔っ払いのつぶやき
<2004.10.29~>

二月も終わり…

2025-02-28 17:45:00 | 日記
父が亡くなって三週間以上が経ちました…

入院中だった父が帰宅するものだ、と
思っていた母はそれをワタシから聞かされて半狂乱になり、
ただ落ち着かせるのに必死で、
ちゃんと泣いていない気がして…

たしかに父が亡くなって悲しいのはあって、
でもどこかでずっと私たちを支配していた
教祖のような存在の父がいなくなって
どこかでホッとしてる自分もいて…

その間でどうしていいのかわからないから
なにかしらやらないと自分が保てない感じで…

すごく後悔が残るのは亡くなる前の日、
手術をした父を兄とお見舞いに行った時、
父の手を握るしかできなかったこと。

ちゃんと麻酔がさめるまで待てばよかった。
話せばよかった。

意識のないままの父がワタシの中での最期の姿だと言うのは、やはり悲しすぎるのです。

そんなこんなで実家に行って、
いろんな書類を片付けたりしていると、
なぜか必要なものは見つからないのに、
懐かしいものが出てきたり…で、
なかなか仕事が前に進みません😅

そんな今日この頃…
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感謝

2025-02-12 20:09:00 | 日記
先週4日に入院、緊急手術をした父が、
翌5日、あっけなく検査中に逝ってしまいました。
93歳…大往生です…

火葬場が混んでいるということで、
ほぼ丸一週間実家で過ごし、
本日無事に告別式を終えることができました。

甘えたり甘えられたりすることのない父娘でしたが、
最後に残ったのは「感謝」しかありませんでした。

これからは残された母を大切にしようと思います。
備忘録として…
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父へ…

2025-02-05 21:11:47 | 日記
今朝、シャワーを浴びたあと、
ドライヤーをかけていた際、
着信音のようなものが聞こえた気がした。

リビングに行ってスマホを見ると、
兄貴からの着信履歴。

ここでワタシの中である程度の覚悟ができた。

かけなおす。

兄貴が「落ち着いて聞いてください」と…

まるでドラマのような展開だなぁー、なんて思うワタシがいて、
父が心停止して、兄貴が病院に向かっていることを聞かされた。

ワタシは実家にいる母に付き添い、
ほどなくして、父が亡くなったことを伝えた。

65年ほど連れ添った夫婦の、
しかも父しか見てこなかった母の半狂乱ぶりはすさまじく、
こちらが悲しみに暮れるどころではなく、
そこからは葬儀屋さんが来たり、
お参りに来られる方の対応に追われた…

ようやくさきほど自宅に戻ってきたのだが、
一人になって父とのここまでの日々を思い返すとき、
決してそこいらにあるようなアットホームな親子の関係ではなく、
甘えることも騒ぐこともわがままを言うことも許されない子供時代を過ごし、
離婚してからはとにかく自立して生きろ!と強く言われ、
それをひたすら守って強い女の殻をまとって生きてきた。

母は「もっとお母さんみたいにお父さんに甘えたらいいのに」と言っていたけれど、
父もワタシも人に甘えるのが苦手な似た者同士だったんだよ。

甘えることとわがままをいうことの境界線がわからなくて、
自分でできることは極力自分でやってきたし、
それが染みついてかわいくない女になってしまった。

病院から自宅に戻って、
布団の上で冷たくなっていく父の頬に手をあてて、
「うまく甘えられない娘でごめんね」と謝った。

いまさらだけれど…

これから折に触れて父のことを思い出す機会が増えるだろう。
そしてそこに残るのはやはり後悔なのかもしれない。

春まで持たないと先生には言われていたけど、
あまりにも急すぎて心が追い付かないよ、おとうさん…
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あの日から30年

2025-01-15 20:19:00 | 日記
1995年1月17日 午前5時46分。

前触れもなく突然地鳴りの音と共に揺れ始め、
それがのちに「阪神淡路大震災」と名付けられた
あの日からもうすぐ30年。

いつもなら当日に書くのだが、
先ほどテレビであの日の特番が始まり、
ものの3分で動悸と涙が止まらなくなり、
テレビを消してしまった。

本当なら目をそむけず、見るべきだったのかもしれない。

けれど30年経った今でも、
これだけ心に大きな衝撃を残したあの日をワタシは忘れない。

だから、無理はせず、
ただ自分と向き合おうとこれを書くことにした。

30年…あれからいろいろあった。
神戸に遊びに行っても、あの震災を感じさせるものはほとんどない。

逆に綺麗に建て直され、
オシャレな街並みになっている。

けれど、あの日テレビから流れてきたあの風景を
ワタシは一生忘れることはないだろう。

先日も宮崎を震源とする地震があったばかり。

地震大国の日本に住む以上、
いつどこで起こるかわからない地震に備えることは必要である。

またそれを新たに思い、
備蓄品のチェックをしようと思う。
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今年も終わりですね

2024-12-29 22:03:00 | 日記
家の掃除もだいたい終わり
(年賀状は最後まで残してましたが)
昼前に実家に行くと、
父が朝からなにも食べられず、
母のすりおろしたリンゴジュースを飲んで、
そのままソファーで横になってしまいました。

ここ数週間でみるみるげっそりして、
どうにか年は越せそうだけど、
いよいよその日が近いのだなー、と感じる日々。
実際先生からも「桜を見るのはむずかしいかも」と言われているので…

今のワタシにできることはなんなのか、
いろいろ考えたりもするのだけれど、
結局、冷蔵庫の片付けをしたり、
母に小言を言って帰ってくる日々の繰り返し。

若い頃、怒られてた分、
こっちがお返ししてるだけのような
ちょっとした罪悪感も感じつつ、
こうした親子の時間をようやく過ごせるようになったんだなぁー、と…
ちょっと遅いけどね…

14時ごろに起きた父がお腹が空いたと言うので、
玉子粥を作ったら、完食してくれた上に、
「ありがとう」とお礼を言われた。

今までそんなこと言われたことなかったので、
免疫がなさ過ぎて、泣ける。
年をとると涙もろくなってしもて困る。

多くの人が経験する親の死…
ここまで決して仲のいい父娘ではなかったけれど、
今になってみんなが言うように
「似たもの親子」だったんだと実感してるよ。

最期は「感謝」で終われることを
よかったと思う2024年末。


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父入院に際し思う…

2024-10-15 22:10:52 | 日記
我ながらビックリだが、
今年の一月から更新していなかった放置ブログ…

久しぶりに備忘録的に残しておこうと思う。
少し長文になるかもしれない…


先週金曜日の朝、
父が胸の痛みを訴え、かかりつけの病院に連絡したところ、
昨年末にペースメーカーを入れたこともあり、
救急車で運ばれそのまま入院することとなった。

タイミング的に3連休前だったため、
検査らしい検査は週明けの今日から、で…

土曜日に兄貴と二人でお見舞いに行ったところ、
ベッドに寝た切りの父は当たり前だが「病人そのもの」で、
本人も「ペースメーカーの不調」で胸が痛いものだとばかり思っていたら、
入院前の簡単な検査ではなにやら肺に影がある、とか…

そんなこんなで夏に骨折して以降、動くのが不自由な母は実家で留守番のいま、
父からワタシ達に向けられたのはほぼ「遺言」に近い言葉の数々であった。


ちょうど十年前に心臓にステントを入れる際、
脳梗塞をおこし左半身に麻痺が残った父…

ここんところ頭の方もずいぶんボケてきて(今年の12月で93歳)、
話している内容が自分が小学生時代の思い出話やら、
祖父(父の父)や伯父(父の兄)との思い出話やら、
あっちへ行ったりこっちへ行ったり…

出来のいい伯父に対してずっと抱いていた劣等感、
そこからの学生時代~社会人、今現在に至るまで思い起こしてみると、
自分はまわりの人が言うほど立派な人間ではなく
出会った方々の支えや運・縁に恵まれてここまできた、と語る父…

そんな話を聞いていて、今までワタシが父を避けてきたのは、
昭和一桁世代の親父にあるあるな「力をもって制する父」に対しての反抗、
出来のいい兄貴に感じていた劣等感、
まわりの人たちから「父と似ている」と言われることに対しての嫌悪感、
当時の恋愛がうまくいかず、そんな折、半ば無理やり父の言いなりで結婚させられる羽目になり、
しかもその相手のDVによって離婚したいと言い出したワタシに、
世間体を気にしてなかなか許してもらえず、
結婚後一年半してようやく「勘当」に近い形で実家から離れた賃貸マンションで
一人暮らしを始めた二十代後半のワタシ…あれから三十年以上が経つ…

その間、父の求める理想の娘には近づくことはできないにしても、
いかに実家に頼らず一人で生きていくか、を模索し、やたらと資格をとり、
そんな硬い殻を身にまとって強がっていた三十代…

当時勤めていた建築会社が世の中のバブル崩壊の波に飲み込まれ、
リストラの嵐から逃げるように、過信して自ら早期退職を申し出たのに、
意外にも四十を過ぎると仕事を見つけるのは難しく、
ちょうど募集していた役所の臨時職員として働き始めた四十代…

役所というお堅い職場が果たして自分にあっているのかわからず、
それでも絶対つぶれることはないという安心感の中で、
それまでの経験やねぇさん気質を活かして自分の居場所を見つけることができた五十代…

父が語る「伯父に対する劣等感」や、
「出会った方々の支えや運・縁に恵まれてここまできた」という姿が、
ここまで「父になんか絶対似てへん!」と拒絶したおしてきたその父が
紛れもなくワタシの中にあるのを感じ、
しかもそれまでワタシのことなんて褒めたことなんかなかった
(正確に言えば宅建に受かった時は生まれて初めて褒められた)父が、
「この女はすごい」
「自分でなんとかしようとする力がある」
「過去のこと(結婚・離婚)を不満に思ってかお互い話すこともなかったけれど、なかなかやりよるわいと思っていた」
「これからもその強さで生きていきなさい」などと口にするもんだから、
ワタシのマスクの中を涙がつたっていった。

病室から出る間際、父が差し出した痩せ細った手と握手をした。
帰りの車の中で兄貴に「父に褒められたの人生で二回目やわ」と言うと、
兄貴は「そうか…」と笑っていた。


実際、これまで近しい人との別れを経験したことがない(祖父母以外)ワタシは、
父が逝ってしまったら、自分がどうなるか、は自分でもよくわかっていなかった。

悲しいのは悲しいだろうけれど、どこかでホッとするんじゃないか、とか思ったりしていたが、
弱っていきながらもワタシのことを心配している父を見て、もうダメだった。

この人がいなくなったら、ワタシはワタシの一部分が切り取られたような気持になるんだろう、と強く感じた。


先ほど兄が担当医に言われた診断内容がLINEで届いた。
「一言で言うと、来るべき時が来たようです…」と…


今週中に退院して、実家に戻り、死に近づいていくのは確実である。
このままだと余命は半年~1年…

ワタシはどのような形で父娘の絆を築けばいいのか、正直まだわからない。

ここから先、もう少し違う形で父と向き合えるといいな、と思っている。
自分が変われるか自信はないけれど、いまの気持ちを忘れないように今を書き留めておく。
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ともに

2024-01-17 07:16:58 | 日記
1995年1月17日午前5時46分に起こった阪神淡路大震災から29年…
もうそんなに経つのか…というのが正直なところ…

29年前になにをしていたのか、を思い出そうとしてみたが、
ぼんやりとしか思い出せず、改めて月日の流れを感じることになった。

今年は元旦から能登半島地震が起こり、
まさかの幕開けとなった。

石川県は母方のルーツでもある小松市があり、
「広くて薄い紐帯」の知人がいて、
彼の家は全壊してしまったらしい。

職場から1/3出発で応急給水活動の応援班が出動。
昨日からは応急復旧活動になった。

そんなこんなで今年は例年よりも地震災害について思うことが多くあり、
そして今日は今日でまたこの日がやってきたな…という区切りの日。

ここ数年はコロナに振り回されてきたけれど、
それも5類に分類されてからというもの、
日常が戻ってきたかのように思っていた。

そこにきての能登半島地震…
被災地に思いを馳せ、自分ができることを続けようと思う1.17である。
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久しぶりに…

2023-12-20 18:40:53 | 日記

思えば結婚していた頃、
DV旦那に「ブレーキに細工してやる!」と言われてから、
恐怖で運転できなくなり、車を手放し、
離婚してからというもの
車には縁がありませんでした…(遠い目)

【ちなみに、電車も「ホームで待ってる時に突き落としてやる!」と言われ、
 いまだに電車恐怖症の一面もあります(だいぶ改善はされましたが…)】

それ以降、もっぱら電動自転車と他人の車に頼りきりだったワタシが、
残りの人生をいかに楽しく生きられるか考えた結果、
ついに!本日納車となりました!

30年以上ぶりの新しい相棒…ヨロシクね♪


そして…ブログを投稿するのも夏以来の久しぶりでした…
もう今年も終わろうとしてる!😲

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福岡・長崎の旅

2023-07-31 07:01:57 | 日記
前回、「企画中」と言っていた九州行き…
7月の中旬に行ってきました!(もう今日で7月も終わりますが💦)

今回は車で二泊三日の旅…
朝7時前に自宅を出発。
最寄りのコストコで給油していざ九州へ!

ランクル、しかもミッション車…ということで、
運転はパートナーにおまかせ。
トイレ休憩をはさみながら爆走!

本州最西端、関門海峡から…
このあと、福岡のコストコで給油して…

一泊目は福岡の薬院にあるホテル泊。
ということで、近くの居酒屋さんで福岡の味に舌鼓!
これは焼きラーメン…味が濃い目でハイボールにあう!!!


そしてこの日のメインイベント!
同じ苗字の方がやられている隠れ家バーへ。
名前にまつわるいろんなお話をしながら美味しいお酒を堪能しました♪

そして二日目…
これまた朝早く出発して、いざ長崎へ!
(ホントは熊本行く予定だったけど、直前の豪雨でルート変更)

暑さの中、クラクラしながらグラバー亭やら、中華街、亀山社中を見たあと、

平和祈念館で閉館時間になり、夕景の平和公園へ…

ホントは有田焼やら糸島めぐりもしたかったんだけど、タイムアウト。
そこから再び博多のホテルにチェックインしたのは21時!

体力も限界に近かったので、ホテル前の居酒屋さんに飛び込み…

おつかれさーん♪の乾杯。

ちょっと詰め込み過ぎの日程でしたが、
思い出に残る旅行でした。

最終日、福岡のコストコで給油したあと…

九州側からの関門海峡をパチリ♪

いざ大阪へ!
8時間ほどかけて無事帰宅…
おつかれさまでした!!!

60過ぎて仕事リタイアしたら、北海道ぐるっと旅に行こう!と盛り上がりました♪
それまで元気に働きましょう!
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いちばん楽しい時間

2023-06-15 20:08:09 | 日記
前回、福岡・熊本に行ったのは10年前の8月だったか…

まずは福岡で本場の水炊き・明太子・チキン南蛮を楽しみ、
翌日は新幹線で熊本に移動…

「広くて薄い紐帯」の仲間に案内してもらって熊本城の天守閣にのぼり、
夜は馬刺し・からし蓮根・ナスの炊いたんの美味しいお店に連れていってもらい、
大きなアーケードの商店街にあるライブバーで素敵な演奏を聴かせてもらった。

翌日はあいにく台風が来てしまい、
天草のイルカウォッチングが中止になったが、
水前寺公園の近くにある馬ホルの店に連れてってもらい、
真っ昼間からビールを飲みながらホルモンを食べたっけ…

懐かしい思い出である。

またいつか行きたい!
そう思っている間にコロナがまん延し、
ようやく旅行のプランをたてはじめたのはつい最近のこと…

当初、福岡から熊本…と同じプランを考えていたのだが、
前回と違うのは「車」で行く、ということ。

運転するのはワタシではなくパートナーなのだが、
(20年もののランクル、しかもミッション車)
流石に一人で大阪→福岡→熊本→大阪を二泊三日で走行するのはしんどいやろうと
初日は福岡まで行き、屋台とお目当てのバーを楽しみ、
翌日は佐賀からフェリーで愛媛に初上陸。

違うルートで戻ってくるプランを考え中…

ガイドブックも買って、
あーでもない、こーでもない、と眺めているこの時が、
もしかしたらいちばん楽しい時間なのかもしれない。

それにしても観光よりも食べ物にばかり目がいってしまうw
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