通勤途中に二世帯住居の工事現場がある。
どっちかっつぅと、そっち系(笑)の仕事なので
(現場のことはさっぱりわからんが)まるで他人事ながら、
「住まい」という形になっていく様を見るのが毎日の楽しみであったりもする。
昨日の帰りはちょいと残業をして遅くなったのでこの道を通らなかったのだが
今朝は足場のまわりに養生シートが張り巡らされていた。
現場の前にはガードマンさんが二人。
やっぱり現場の朝は早いんだなー、などと思いながら通り過ぎようとすると
そのガードマンさんが声を揃えて「おはようございます!」と声をかけてきた。
反射的に「あ、おはようございます」と返したが、
意表をつかれたような気がして、
でもそれはこの季節と相まってすごい爽やかな印象を受けた。
ただそれだけのことなのだが、そのイメージだけで
その現場(工事)自体が「えぇ現場」のような気がするのは
まー、単純なワタシだからなのかもしれんが、
でも世の中って結構そんなもんなのかもしれない。
そういえば、先日実家に帰ったとき、
実家の庭に建築中の兄貴の家の工事絡みで電気工事かなんかがあって
昼過ぎに両親と車で外出するときはなんともなかったのに、
夕方帰ってきたら手前30mあたりから通行止めでガレージに入れない。
通行止めの看板の前に立ってるガードマンのおっちゃんは
こっちをボーっと見たまま動かない。
「うちらそこの家のもんやねんけど」と必死で訴えるもなんの反応もなし。
仕方なく普段はゴールデンのジャックを放し飼いにしている裏手にまわって
何度も切り返しをしながら狭いエリアに車を停めたのだが、
その後、ワタシが帰るときにそのガードマンのおっちゃんを見たときは
近隣の家の塀にもたれかかりながらタバコをプカプカふかしていた。
あーいうのはイメージダウンだ。
たとえあの関○が使ってるガードマンだけが怠慢なのだとしても、
そこで工事をしてるもん自体、
延いては「発注者」であるうちまで悪いイメージになりかねない。
たった一人の意識が与える影響は思いのほか大きい。
いいパターンと悪いパターン。
その両方を見た気がした火曜の朝であった。
どっちかっつぅと、そっち系(笑)の仕事なので
(現場のことはさっぱりわからんが)まるで他人事ながら、
「住まい」という形になっていく様を見るのが毎日の楽しみであったりもする。
昨日の帰りはちょいと残業をして遅くなったのでこの道を通らなかったのだが
今朝は足場のまわりに養生シートが張り巡らされていた。
現場の前にはガードマンさんが二人。
やっぱり現場の朝は早いんだなー、などと思いながら通り過ぎようとすると
そのガードマンさんが声を揃えて「おはようございます!」と声をかけてきた。
反射的に「あ、おはようございます」と返したが、
意表をつかれたような気がして、
でもそれはこの季節と相まってすごい爽やかな印象を受けた。
ただそれだけのことなのだが、そのイメージだけで
その現場(工事)自体が「えぇ現場」のような気がするのは
まー、単純なワタシだからなのかもしれんが、
でも世の中って結構そんなもんなのかもしれない。
そういえば、先日実家に帰ったとき、
実家の庭に建築中の兄貴の家の工事絡みで電気工事かなんかがあって
昼過ぎに両親と車で外出するときはなんともなかったのに、
夕方帰ってきたら手前30mあたりから通行止めでガレージに入れない。
通行止めの看板の前に立ってるガードマンのおっちゃんは
こっちをボーっと見たまま動かない。
「うちらそこの家のもんやねんけど」と必死で訴えるもなんの反応もなし。
仕方なく普段はゴールデンのジャックを放し飼いにしている裏手にまわって
何度も切り返しをしながら狭いエリアに車を停めたのだが、
その後、ワタシが帰るときにそのガードマンのおっちゃんを見たときは
近隣の家の塀にもたれかかりながらタバコをプカプカふかしていた。
あーいうのはイメージダウンだ。
たとえあの関○が使ってるガードマンだけが怠慢なのだとしても、
そこで工事をしてるもん自体、
延いては「発注者」であるうちまで悪いイメージになりかねない。
たった一人の意識が与える影響は思いのほか大きい。
いいパターンと悪いパターン。
その両方を見た気がした火曜の朝であった。