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超心理マニアのためのブログ

マット・イシカワによる超能力研究の文献ガイド

物質的生命観 対 精神的生命観

2010-08-02 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(3-4)

第3章:無知の知~科学と知性の誤用
・物質的生命観 対 精神的生命観

本流自然科学の唯物論の生命観では、心とは
創発的な随伴現象であり、自由な意志は幻想
にすぎない。心の機能は脳を調べれば十分で
あり、脳の挙動は身体生理的な条件と社会
文化的な条件とで、ほとんど決定される。

それに対して、超心理学が基盤とする精神的な
生命観では、上述の物質的な諸条件に加え、
超心理や精神世界の諸条件により、心が規定
される。この考えでは、五感に加えた超常的知覚
や、心から物への作用や、心と心のつながりが
存在する。肉体の死後の存在もあるかもしれない。


懐疑論と疑似懐疑論

2010-07-28 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(3-3)

第3章:無知の知~科学と知性の誤用
・懐疑論と疑似懐疑論

信奉者と呼ばれるより懐疑論者と呼ばれるほうが
聞こえがいい。懐疑論者の一部は、何かの信奉者
であることを隠した、疑似懐疑論者ではないか。

何かの体系に対して強い信念をもった、前項の
ような認知上の病をもった人々が、それに反する
主張に対して「懐疑」している事実があるのだ。

※つまり精神世界の主張に対する「懐疑」の背景に
 は、唯物論に対する強い信奉があるという指摘。


知ると学ぶに由来する病

2010-07-27 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(3-2)

第3章:無知の知~科学と知性の誤用
・知ると学ぶに由来する病

知性や感情を含めた認知上の病を、マズローは次のように
リストアップした。

・脅迫的に確信を求めてしまう
・過度に一般化をしてしまう
・体系に反する事実を無視してしまう
・無知であることを認めない
・自分を疑うことをしない
・こだわりが現れ柔軟でなくなってしまう
・支配的になり融和を忘れてしまう
・合理化してしまう
・あいまいなままでおいておけない
・社会的にふさわしくふるまってしまう
・誇張してふるまってしまう
・過度に誇張を恐れてしまう
・権威を尊重しすぎる
・権威を軽んじる
・知性を誇大視する
・知的でないことをさげすむ
・支配的になる
・真実を恐れる
・形式にあてはめてしまう
・過度に白黒つける
・過度に新規性を求める


無知の知~科学と知性の誤用

2010-07-26 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(3-1)

第3章:無知の知~科学と知性の誤用

人間性心理学とトランスパーソナル心理学の草分け
である、アブラハム・マズローは、「もしあなたが、
ハンマーという道具しかもっていなければ、あらゆる
物が釘の頭のように見えることだろう」(1966)という
言葉を残した。

かように、私たちは自分に何か力がつくと、その力を
使いたくなるし、外の世界にはその力が使えるものが
たくさんあると思いたくなるし、成功体験を続けば、
さらには、その力ですべてが片付くと信じるように
なるのである。

ここから、知ってしまったことによる病が始まる。


科学的な発見の喜び

2010-07-24 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(2-4)

第2章:精神の存在はどうしてわかるか
・科学的な発見の喜び

理論が確実になれば、科学的な発見がなされたことに
なる。その確実さとは、観察によって予測の正確さが
明らかになることである。不正確な結果であれば、理論は
修正するか捨てるしかない。

なかには自分の理論に都合がいい観察データを捏造する
科学者がいる。他の分野と同様、超心理学分野でも過去に
その例が見られた。しかし、データは他の科学者の観察に
よって再確認されねばならず、捏造や誤りのデータはそれに
よって明らかになる。しかし、その精緻化の過程にときには
長い年月がかかることがある。

次章では、精緻化の過程に、唯物論が障壁になった実態を
明らかにする。


科学の本質、そして常識

2010-07-23 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(2-3)

第2章:精神の存在はどうしてわかるか
・科学の本質、そして常識

科学の基本的方法は次のサイクルである。
 理論を立てる⇒予測する⇒世界を分節する⇒観察する
 ⇒理論を修正する⇒…

観察という直接経験に負っているが、個人の経験には
限界があるので、科学者集団のなかでコミュニケーション
がとられながら、精度があげられる。さらに、おのおの
の過程が精緻化されれば、理論が安定した知識として
確立し、また一般社会に浸透すれば、常識となる。

たとえば、祈りが病気を治すというヒーリング理論に対して、
ヒーリング効果を予測し、病人を集めて実験を企画する。
実際に行なって観察すると、効果が出たり出なかったり
するが、関係する条件を分類して精緻化したり、遠隔
ヒーリング(詳しくは10章)を行なって条件を絞りこんだりし、
理論をより確実なものにする。

※もし「ヒーリング理論」が確実であれば、それが常識に
 なるはずだが、まだその段階には至っていない。また
 かりに将来そうなれば、精神の働きが科学の方法で
 示されたことになる。


わかるための4つの方法

2010-07-22 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(2-2)

第2章:精神の存在はどうしてわかるか
・わかるための4つの方法

わかる・知るには4つの方法があり、科学にも日常生活にも
これらすべてが利用されている。

経験で知る:自分で実際にやってみて体験することで知る。
しかし、自分の経験は限られている。友達の経験談も役に立つ
部分もある。が、間接的な経験で十分ではない。

権威で知る:その知識分野の専門家に指導をあおぐ。
しかし、専門家であっても、不十分で不適切な指導をすること
があり、完全に信頼をおけるものではない。

推論で知る:知識を組み合わせて論理的に推論して知る。
しかし、前提が間違っていたり、論理の適用の仕方が間違って
いたりすることがある。

直観で知る:突然ひらめいたように適切な知識が現れる。
科学の歴史をひもとくと、重大な発見は変性意識状態において、
直観的になされたものが多い。こうした直観は、われわれの
日常生活でも多く体感される。

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/8-5.htm


精神の存在はどうしてわかるか

2010-07-21 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(2-1)

第2章:精神の存在はどうしてわかるか

精神性・霊性とは、価値や体験、現実感や洞察などの物的世界を
超えたものを表す。人間性心理学、トランスパーソナル心理学、
そして超心理学は、こうした精神性・霊性を研究対象として、
数々の成果をおさめてきた。

「科学」という言葉が、唯物論の意味で誤用される場合がある。
現在の主流科学が唯物論を肯定的にとらえているだけである。
唯物論に凝り固まっている科学者がいるとすれば、「科学主義」
に陥っていると考えよう。

科学が科学主義であれば、宗教的な教えは科学と折り合えない、
対立関係となる。伝染病が悪魔の仕業でなく、病原菌の仕業で
あって、科学的衛生対策が伝染病を排斥できる現実があれば、
科学が宗教に対して勝利をおさめるわけだ。

科学主義が強まれば、宗教を信じることは迷信を信じること、
あるいは日曜日だけの儀式になってしまう。しかし、科学主義
でない科学ならば、宗教や精神性と折り合える道がある。この
観点から科学とは何かを再検討してみよう。


無意味な世界での精神探し

2010-07-20 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(1)

第1章:無意味な世界での精神探し

唯物論に従えば、この世界には物体とそれを支配する
法則と偶然しかなく、創造主や超越的存在はもとより、
心や意識も存在しない。われわれが、心と思うものは
物の働きでしかなく、意味や目的や運命などはなく、
自由意思も幻想にすぎない。教会には社会的機能以上
のものはなく、肉体の死後に魂の存続や救いはない。

こうした考えは5%ほどの人々に、気楽でいいやという
解放感を与えるが、多くの人々に困惑を引き起こす。
物しかないとした世界に精神を見出すのは土台無理な
話である。

※この章の内容は次のHPで体験できる(ただし英語)
http://westerncreed.com/Tart_ITP.html


唯物論の終焉

2010-07-19 | 唯物論の終焉
唯物論の終焉(0)

チャールズ・C・タートが2009年に出版した
『唯物論の終焉~超常現象の証拠による科学と精神の融合』
全20章の概略を紹介することにしよう。

タート博士は<読書ガイド108、14>で紹介したように
著名な超心理学者でかつトランスパーソナル心理学者。

この本では、タイトルからわかるように、超心理学による
科学的な証拠が、自然科学が前提にしているような唯物論に
反して、精神世界の存在とその科学的な究明の道を示す
という実態が明らかになる。