RuN RiOt -marukoのお菓子な美術室-

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法隆寺 -祈りとかたち

2014-05-05 21:30:00 | 美術
見てきました

東京藝術大学大学美術館

会期は2014年4月26日から2014年6月22日。

奈良、斑鳩の地に飛鳥時代から続く法隆寺。
聖徳太子の教えを今に伝える祈りの場として、人々に親しまれています。
私も修学旅行や家族旅行でも行っています。
ここを訪れたことのない人って少ないのでは。

聖徳太子の教えとともに守られてきた多数の美術工芸品は日本屈指の質と規模を誇り、文化財の一大宝庫とも。
今回は、奈良、飛鳥時代以降の優れた彫刻や絵画、色鮮やかな染織品を含む工芸など仏教美術。
そして、フェノロサや岡倉天心による明治期の調査を発端として、法隆寺所蔵の文化財保護と継承に携わってきた東京美術学校(現・東京藝術大学)の活動や法隆寺を主題に制作された近代の絵画・彫刻なども展示。
約70件の名品が展示されています。
この展示は日本大震災からの復興を祈念するとともに、新潟県中越地震復興10年を期しての展示です。

展示は
《第1章:法隆寺 その美と信仰 法隆寺の仏教美術》
《第2章:法隆寺と東京美術学校》
《第3章:法隆寺と近代日本美術》
と構成されていましたが、展示の順番とは違いましたので、ここには展示順に書いていきたいと思います。
ただ、仏様について私自身が詳しくないため、簡単になります。

《法隆寺と東京美術学校》
明治政府の欧化政策と神仏判然令によって廃仏毀釈が進み、南都(奈良)の多くの寺院が苦境に立つ中。
明治17(1884)年に法隆寺夢殿を開扉して秘仏の救世観音像を拝し、その美を発見して日本伝統美術の価値を認識したのはフェノロサと岡倉天心たちでした。
文部省内に図画教育調査会や東京美術学校設立準備室である図画取調掛が設置され、天心はその中心として近代美術教育の整備に努めます。
明治20(1887)年、勅令により東京美術学校が設置、2年後の明治22(1889)年に開校。
それ以来、南都の寺院とりわけ法隆寺と東京美術学校の関係は深く、彫刻の先生が聖徳太子像を造り、工芸の先生が法具をおさめ、日本画の先生が金堂壁画の模写などをし交流してきました。

「星曼荼羅」
防災と延命を星に祈願する修法の本尊。
中央に赤い衣の釈迦。
琵琶を引く弁天などが印象的。

「十六羅漢図」
8曲1双の屏風で1双ずつ、会期を変えての展示。
下に羅漢、上には経典の断巻。
金地に貼られています。
羅漢は穏やかな表情で色彩もいい。

「蓮池図」
紅白の蓮の花と舞う白鷺。
縁起物でしょうか。
色はかなり落ちていますが、優美な様子を思い起こさせます。

平櫛田中彫刻・前田青邨彩色「聖徳太子像(摂政像)」
とても綺麗な像。
繧繝縁に座した太子。
豪華絢爛は彩色が目を惹きます。

《法隆寺と近代日本美術》
東京美術学校の校長となった岡倉天心。
その天心に奈良での修行を進められたのが安田靫彦でした。
明治の末に金堂に入った安田は堂内に立ち並ぶ仏様に圧倒されたそう。
24歳にして壁画を模写。
歴史画を得意とした安田はその後の金堂壁画の模写事業でも活躍します。
明治以降の近代日本画は江戸絵画の伝統を脱し、多様に展開。
歴史画というジャンルを成立させます。
多くの画家は南都・奈良の寺社仏閣に魅了されていたことも要因です。
その中でも法隆寺は別格でした。
ここでは
1.法隆寺を建立した聖徳太子を主題としたもの
2.法隆寺の建築・景観を描いた風景画
3.法隆寺の仏画・仏像に触発された作品
などが展示されています。

和田英作「金堂落慶之図」
鮮やかな色彩が目を惹きます。
止利仏師が聖徳太子らに完成した壁画の説明をしているところ。
朱の柱が美しい。

平塚運一「法隆寺夕景図(法隆寺暮色)」
吉田善彦「五重塔図」
中庭煖華「夢殿桜」
杉山寧「桜」
このあたりは風景画。
どれもみな穏やかな様子です。
四季の美しさも表現されていました。

吉村忠夫「多至波奈大郎女御影」
聖徳太子の妃を描いたもの。
右手には蓮の花を持っています。
仕草も優美な印象。
色彩も淡く優しく美しい。

そして鈴木空如による「法隆寺金堂壁画模写」
仏画家・鈴木空如(1873-1946)
明治から昭和のはじめにかけ、古い仏画をありのままに模写し、後世に伝えようとした画家です。
日清戦争に出征し、九死に一生を得た後、描いた仏画は生涯、五千尊にも上ります。
その空如最大の画業ともいえるのが、「法隆寺金堂壁画模写」
法隆寺金堂壁画12面の原寸大の模写を単独で生涯三度も行っているのです。
生前の空如は画壇にかかわりを持たず、展覧会などに作品を出すこともなかったため、ほとんど無名でした。
しかし、昭和24年、法隆寺金堂が火災によって壁画の焼損。
昭和42年に行われた再現模写事業にとって、空如の模写は貴重な資料となりました。
近年は空如に対する調査もすすみ、再評価が進んでいます。
今回の「法隆寺展」において、空如による模写はその目玉の一つといっても過言ではないものなのです。

欠けている部分、ぼやけているところまで忠実に模写された壁画は素晴らしいの一言。
迫力あり、また優美な姿を伝えています。
表には出てこないけど、伝えようと努力してくれた人の作品を見ることは嬉しい。
古の姿に思いを馳せ、素晴らしい鑑賞となりました。

《法隆寺 その美と信仰 法隆寺の仏教美術》
推古天皇15(607)年、聖徳太子によって建立された法隆寺。
天智天皇9(670)年の火災により、伽藍はすべて灰塵に帰したと伝えられます。
その後、復興された金堂や塔を中心とする西院伽藍は世界で最も古い木造建築であり、
法隆寺地域の仏教建築として世界遺産に登録されていることはよく知られます。
しかし、建築以外にも彫刻、絵画、工芸にも飛鳥時代以来の優れた作が多く残されていることも注目されます。

「吉祥天立像」
「毘沙門天像」
展示されていたのは空如の近くなのですが。
金堂では、釈迦三尊像の横に安置されています。
仏法を守護する尊格です。
彩色のあとが残っています。
1000年も前の作品なのにその鮮やかさは素晴らしい。

「鳳凰(金堂天蓋附属)」
クスノキ材でできている飛来する鳳凰。
表面は彩色。
尾や鶏冠が立体的。
羽は薄く作られています。
造形の美しさにうっとり。

「天人(金堂天蓋附属)」
こちらもクスノキ。
光背の蓮花唐草文様の透かし彫りの素晴らしさが目に付きます。
優美です。

「聖徳太子像(水鏡御影)」
冠と袍を見につけ両手で笏を持つ太子。
水鏡に映して描いたとか。
ちょっとかわいらしい。
そしてりりしい。

「阿弥陀如来坐像(三経院)」 
三経院の仏壇に安置されているもの。
金が落ちかけています。
伏し目がちでおとなしい印象。

「文欟木厨子」
木目の美しいケヤキ材を使った厨子。
観音開きの扉に、頑丈そうな鍵が付いています。
経典などをしまうものだそう。

「薬師如来坐像」
素朴な顔立ちの像。
頭体は1本から切り出されているそう。

「胡面水瓶」
つるんとした水瓶。
注水口には人面が。
これが胡人と似ているから胡面というそうですが、ちょっと怖い。

以上になります。
たくさんの仏様が展示されていて、ここに来てくれてありがとう、という気持ち。
その歴史などもおもしろかった。
そして空如は必見です。



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