RuN RiOt -marukoのお菓子な美術室-

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休日に全力で生きるOLの日記(笑)

バルテュス展 (その2)

2014-05-19 21:30:00 | 美術
見てきました

東京都美術館

会期は2014年4月19日から2014年6月22日。

"賞賛と誤解だらけの20世紀最後の巨匠"
その1」では第1章と第2章の途中までを書きました。
今日は「その2」
第2章途中から最後まで書いていきます。
(その1はこちら→「バルテュス展(その1)」)

ここで1階へ。
会場の入り口はアトリエの扉の再現となっていました。
そしてロシニエールの全景の写真がありました。
緑の多い、とても小さな街です。

バルテュスは1961年、フランス文化大臣アンドレ・マルローの依頼により、ローマの「アカデミー・ド・フランス」館長を務めます。
1962年にはアンドレ・マルローの依頼によりパリで開催される日本古美術展の準備のため初来日。
ここで上智大学外国語学部フランス語学科に在学中の20歳だった、通訳・出田節子と運命的な出会いをし、1967年に結婚。
その後は1977年にローマの館長職の任務が終了。
スイス、ロシニエールにあるスイス最大の木造建築物グラン・シャレに居を構え、すぐ近くのアトリエに25年間通い続けました。
そして、1983年、ポンピドゥー・センターでの回顧展で遂に国際的な名声を手にしました。

ここでは晩年のアトリエがそっくり再現されています。
机やいすはもちろん、使いかけの絵具や制作途中のイーゼル。
めがねや灰皿などもありました。
鏡は作品を左右逆に写して作品を客観的に見るために使っていたそう。
そして北側には大きな窓。
自然光を好み、気に入った光が入るのを根気よく待ち、ゆっくり制作したバルテュス。
日中の光の変化をなるべく受けないようにと北側の窓にしたんだとか。

ここでは映像の上映もありました。
NHKの番組で作家の江國香織さんがロシニエールのバルテュスを訪ねる番組。
その中で、作品を映す際、スタッフがライトを当てるのですが、それに対し
「ライトがあると絵の色調が台無しになるんだ。早くどけろ。」
とバルテュスの強い怒号が。
自然光でないと自分の作品の色は伝わらない、ということ。
光へのこだわりを感じました。
反面、スタッフは見えやすいようにライトを当てたのでしょう。
ちょっとかわいそうな気もしますが、そのことからも作品に対する気持ちが伝わってきます。

「《ギターのレッスン》のための習作」
バルテュスが当初エロティックな作品を描いたのはわざとで話題性のためでした。
話題にならなければお金は入ってきませんから。
この作品は初個展で展示されたものでカーテンの奥、限られた者だけが鑑賞できたのだそう。
このあたりにはいくつかの素描が展示されています。
バルテュスは素描をとても大事にしていたとのこと。
デッサンすればするほど実物に深く入り込むと考えていたそうです。
スキャンダラスな画家といわれたバルテュスの、ものすごく真面目で真剣な場面が見れてこの辺りは面白かったです。

「部屋」
鏡と暖炉のある部屋で全裸の少女が堂々と立っています。
白い布を気持ち程度にかけていて、赤い靴下、部屋に置かれた椅子の背もたれは緑色。
「その1」で描いた「夢見るテレーズ」にもこの3色は登場しますが、このあともしばしば見られました。

「ジョルジェットの化粧」
「部屋」と同じ少女が鏡の前で髪を直しています。
椅子に左足を立てて。
このようなポーズはやはり多い。
ですが、エロティックさよりも、肌の輝きやその表情が気になります。
バルテュスは最初こそエロティックを意識して描きましたがバルテュスにとって少女は"この上なく完璧な美の象徴"
これはまさに美なのでしょう。
この作品は少女がのぞき込んでいる鏡の裏にバルテュスの署名が入れられています。

「決して来ない時」
謎めいたタイトルですが、原題は「La Semaine des quatre jeudis」
フランス語で直訳すると「木曜日が4日ある週」
フランスの小学校では以前、木曜日がお休みでした。
つまり「休日が4日ある週」
慣用表現で「決してありえない」という意味なのです。
静かで緊張感のある室内の情景。
椅子に座ってのけぞる白いガウンを羽織った少女。
左手を椅子の後ろに伸ばし、背もたれにいる猫を撫でています。
奥には窓を開けようとしている後ろ向きの女性。
こちらにも白いガウン、椅子の背もたれに赤と緑とこの3色が使われています。
ガウンがはだけて胸元が見えてしまっているのですが、こちらもエロティックさよりも少女の表情や窓を開ける女性などから、解放感に似たものを感じました。

「猫と裸婦」
「決して来ない時」に似ています。
のけぞる少女の表情や猫に伸ばす手なども一緒。
窓を開ける少女も一緒。
ただ少女は白いガウンを羽織っていません。
後ろに伸ばした手から足のつま先までうねるようなラインです。
椅子には白い布がかけられ、窓を開ける少女のスカートは緑色。
のけぞる全裸の少女は赤い靴下をはいています。
この3色、バルテュス的に意味があったのでしょうか。
それとも私が気にしすぎなのかな……

「金魚」
机の上にある丸い金魚鉢。
それを眺める子供の顔も真ん丸です。
そして手前の椅子に座っている猫は悪そうな顔をしてこちらを見ています。
表情が人間的。
静かな緊張感が漂っています。

「地中海の猫」
パリ、オデオン広場のレストラン「ラ・メディテラネ」のために描かれた作品。
海の上にあるレストランのテーブルでナイフとフォークを持ち口と足を開いて笑う猫。
水面に虹がかかっていて、その虹が魚に変わり、猫の前のお皿に飛び込んでいきます。
海にはボートに乗っている少女も。
バルテュス、唯一の海景だそう。

「窓、クール・ド・ロアン」
クール・ド・ロアンのアトリエの室内を描いた作品。
開いた窓の先には建物が描かれています。
静かで落ち着いた雰囲気があり、室内に差し込む光もとても穏やか。
こういった作品は好きですね~。

《第3章 シャシー -田舎の日々 (1953-1961)》
1953年、バルテュスはパリを離れ、収集家や画商たちの援助のおかげでブルゴーニュ地方のシャシーの城館に移り住み、絵画のマティエールに関する技法の実験に熱中しました。
初期ルネサンスのフレスコ画のマットな質感、漆喰の効果を追求しました。
この時期は最も多作な時期となります。

「冬の景色」
全体的に暗い色調で描かれた冬の景色。
四隅が暗くロモみたいな感じになっています。
微妙な陰影の中に家や木々が描かれ不思議で美しい景色。
こういった作品もいいな、すごく素敵です。

「樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭)」
シャシーで描いた最後の風景画。
暮らしていたところから見た風景です。
幾何学的な建物と田園がマットな質感で描かれています。
こちらは光あふれる冬の景色。

「横風のコレット」
シャシーで制作した最初の作品。
色彩の明るさが目を惹きます。
モデルは、シャシーの城館の修理にあたった石工の娘コレット。
緑色の服、白いテーブル、椅子の背もたれは赤。
やはりこの3色……

「目覚め(Ⅰ)」
天蓋付きのベッドから降りようと右足を下におろした裸の少女。
顔はあいまいで表情が分かりません。
ただ体のラインははっきり。
目覚め、というタイトルで裸の少女ですから、性的な目覚めのことを指すのでしょう。
扇情的モチーフですが、そこまで感じさせないのは背景やベッドなどの小物が丁寧に描かれているからでしょうか。

「白い部屋着の少女」
描かれているのは椅子に座り両手を前で組んだ上半身裸の少女。
表情はよく読み取れず、まるで彫刻のようです。
胸の下で白い部屋着を結び、胸像を置く台座のようにも見えてきます。

《第4章 ローマとロシニエール (1961-2001)》
バルテュスは1961年、フランス文化大臣アンドレ・マルローの依頼により、ローマの「アカデミー・ド・フランス」館長を務めます。
1962年にはアンドレ・マルローの依頼によりパリで開催される日本古美術展の準備のため初来日。
その際に出会った出田節子と1967年に結婚。
1977年にはローマを去り、スイスのロシニエールに居を構えます。

「読書するカティア」
アカデミー・ド・フランスの館長を務めていたローマ時代を代表する傑作。
背もたれのある椅子に座り、右ひざを立てて本を読む少女。
顔は本で影になっています。
右寄りに描かれ、左には大きな空間。
カゼインとテンペラを塗り重ね、フレスコ画のような質感を表現しています。
落ち着いた色彩です。

「日本の少女の肖像」
バルテュスが来日した際、京都を案内したのは当時20歳の学生だった節子夫人。
心奪われモデルに、と懇願したのだそう。
ですが、バルテュスは遅筆だったため10回モデルをし、完成したのは2つのみ。
遅筆だったというよりも、丁寧に丁寧に対象を見て描いていたという感じが伝わってきます。

「《トルコ風の部屋》のための習作」
節子夫人をモデルにした「トルコ風の部屋」の習作。
ベッドの上で裸体の少女が白い鉢巻をして左手に持った鏡で自分を見つめています。
バルテュス作品でよく出てくる少女と鏡という組み合わせ。
質感は壁画のようです。

「モンテカルヴェッロの風景(Ⅱ)」
アトリエを再現したところで上映されていた映像で紹介されていた作品。
モンテカルヴェッロは、バルテュスが別荘として購入した城館でここから見た風景がお気に入りだったそう。
水の青さや輝きが眩しいくらい、秋の美しい景色です。

「トランプ遊びをする人々」
バルテュスはトランプをテーマに30年間で8作品も描いているのだそう。
この作品の質感はフレスコ画のよう。
テーブルをはさんで向かい合ってトランプ遊びをしている2人が描かれています。
テーブルクロスは市松模様。
2人のうち1人はこちらを向いて変わったポーズ。
これは歌舞伎の見得を切るポーズからとったのだとか。

「朱色の机と日本の女」
バルテュス作品の中でもっとも日本的な作品とのこと。
着物をはだけ、膝をついて姿見を見る少女が描かれています。
頭には先ほどの「《トルコ風の部屋》のための習作」のように白鉢巻。
日本的、というか異国情緒たっぷり、といったところ。
これもフレスコ画風でマティエールの粗い感じがします。

作品についてはここまで。
最後に、バルテュス愛用の品や写真が展示されています。
写真を嫌い、アトリエに人を寄せ付けなかったバルテュス。
節子夫人でさえアトリエに入ったのは晩年だそう。
そのバルテュスをグラン・シャレで撮影し写真集を出版した篠山紀信氏の写真が並んでいます。

節子夫人が着物を着続けたのはバルテュスの希望から。
なぜ日本人はこんなに美しいものを着ないで、他のものを着ているのかと疑問を呈したのだそう。
写真のなかにはバルテュスが紋付き袴を着ているものも。

そして以外な人物との縁が。
それは勝新太郎。
バルテュスは座頭市のファンで、伝手を頼って勝さんとの面会にこぎつけたのだそう。
言葉の通じぬ2人ですが、なぜか打ち解け、勝さんはグラン・シャレもたびたび訪問していたのだとか。
バルテュスが勝さんに贈った品や、バルテュスが勝さんからもらった着物などもありました。
国を超え、文化も超えた交流の不思議さとその友情に温かい気持ちになりました。

生涯にわたり少女たちを描き続けたバルテュス。
注目を浴びるための苦肉の策の少女。
そして"この上なく完璧な美の象徴"
それらは美術館の展示室で輝き、不思議な美しさを放っていました。
不自然で、あられもないポーズで、緊張感に満ちた室内。
誤解を生んだことも分かります。
観る者を挑発するかのような少女像、との言葉も分かります。
ですが、その上に成り立つ"美"というのがバルテュスが追い求めたものであって、今なお魅力的なのです。
バルテュス作品の少女は鏡をよく見ています。
バルテュス自身は作品を鏡に映して作品を客観的に見ていました。
バルテュス、作品の中の少女、それを見る私たち。
鏡は全てにおいて、事実を映し出していました。
ただのスキャンダラスな画家ではない、そこには自分の信じる色や光、美がありました。
とてもとてもいい展示でした。
素晴らしい発見もあり、とても濃い鑑賞時間を過ごせたと思います。
今年の展示の中で、間違いなく上位に来る展示です。



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