見てきました
泉屋博古館分館
会期は2014年6月14日から2014年8月24日。
今回は板谷波山(1872-1963)
アール・ヌーヴォー様式を取り入れ、東洋に古典意匠との融合によって自らの芸術へと昇華させた日本近代陶芸の巨匠。
やきものの美を追求し、陶芸を芸術へと導きました。
陶芸家の社会的地位を高め、日本近代陶芸の発達を促した先覚者。
「葆光彩磁」などの作品はもちろんのこと、作品制作の過程で考案された図案や、陶片資料など貴重な資料による研究成果。
縁のあった人々とのエピソードなどもたっぷりの内容なため2回に分けて書いています。
今日は「その2」です。
★「その1」はこちら→「没後50年回顧展 板谷波山 -光を包む美しいやきもの (その1)」
★出光美術館での展示はこちら→「没後50年・大回顧 板谷波山の夢みたもの ―〈至福〉の近代日本陶芸」
《3.完成期 古典意匠の研究、そして葆光彩磁の完成へ》
ここでは公募展の受賞を重ねた大正中期から独自のスタイルである"葆光彩磁"に取り組んでいく昭和初期までを扱っています。
大正前期には東洋の古典意匠の学習もすすみ、その古典意匠が波山芸術の代名詞となる格調高さをより一層醸し出していくのです。
<波山の古典研究-更紗、仏教工芸>
鳳凰、孔雀など奈良時代、正倉院に伝わる工芸品のモチーフがモデルとなります。
背景には華麗な唐草文が配され、仙桃(3年に一度開花し実を結ぶ中国の伝統的な桃)をモチーフにするなど"幽玄の美"が表現されていきます。
「葆光彩磁細口菊花帯模様花瓶」
口が細い花瓶。
火焔と唐草文が施されています。
葆光彩磁の幻想的なようすが素敵です。
正倉院の夢殿、救世観音の光背がモデルとなっているのだそう。
「葆光彩磁仙果文様細口花瓶」
青海波文が全体に施され、窓絵内に桃のような果実。
こちらも淡い色彩が優しく幻想的。
<大作の時代>
「棕櫚葉彫文花瓶」
出光美術館でも見ています。
白一色の花瓶。
そこを覆いつくさんばかりの棕櫚の葉。
葉の隙間には雷文が入れられ空白はありません。
明治末期から大正初期にかけて大作集中。
明治時代は博覧会の時代とも言われていました。
19世紀後半は世界各国で万国博覧会が行われます。
世界中から珍しい文物が集まる見本市。
大きな作品は展示効果を発揮しました。
「彩磁蕗葉文大花瓶」
大正初期の家族写真にも写っている作品。
大きくても丁寧に文様が施されています。
なんと、高さは77.5cm.
<波山芸術を愛した関西の数奇者-住友春翠と板谷波山>
「葆光彩磁細口花瓶」
胴の一番太いところに菊花文があしらわれています。
繊細でかわいらしい。
<「葆光」-光包むうつわ>
「葆光彩磁珍果文花瓶」
最高傑作といわれているもので重要文化財。
近代陶芸作品では重要文化財指定第1号なのです。
青海波文に窓絵内に籠に入った果実。
桃、葡萄、枇杷が描かれています。
そして、1917(大正6)年、第57回日本美術協会展で最高賞を受賞した出世作でもあります。
住友春翠はこれを壱千八百円で買い求めました。
「葆光彩磁牡丹文様花瓶」
ここまで青系の作品ばかりだったのに、これは赤。
赤一色による彩磁は作例が少ないのだそう。
ぼかしを入れずに彫りにそって牡丹唐草文を描きだされています。
「葆光彩磁妙音紋様大花瓶」
獅子にまたがった童子が笛を吹くとその妙なる音に誘われて鳳凰が登場という場面を描いています。
人物が描かれているのはとても珍しい。
裏には鳳凰と大きな花。
「彩磁草花文花瓶」
更絵から草案されたと思われる縞模様が施されています。
窓絵内に薄肉彫でシンメトリーな花。
爽やかで好きです。
「彩磁唐草文花瓶」
白いドットが全体にあり、唐草文に大きく描いた果実。
構図がおもしろい作品です。
展示室1から展示実2の間には資料が展示されています。
奥さんは下館へ疎開中、刺繍教室を開いていたそうですが、その際の図案は波山が担当したそうで、その資料の桃の図。
波山は桃のグラデーションの配色や葉や花の光の表現などを生徒さんに重視するよう伝えていたとか。
む、むずかしいっす……
他には、彫刻刀や作業ガウン、孫へのはがきなども。
はがきには犬の絵と"ポチを見においで"との言葉。
かわいらしい。
また、杖の頭に鳩のついた鳩杖がありました。
波山は1933(昭和8)年以来、郷里の80歳以上の方に無料で配布していました。
1軒ずつ訪れ手渡ししていたそうです。
それによろこんだ片が鳩杖を手に集合写真を撮り、お礼の言葉を送ると丁寧に返事を返していたのだとか。
波山が80歳になるまで続けられ、300本を超える本数を作りました。
すごいな。。。
平成23年1月下旬から3月にかけて行われた東京・田端の調査結果も展示されています。
ここは開発対象地区となったため緊急で調査が行われたとのこと。
空襲で住居・工房は全焼してしまい、下館に疎開した波山。
ここからは磁器の破片がたくさん発見されたそう。
また、波山は写真で見るとかなりの美男子。
実際もてて夫婦喧嘩もあったとか。
その際は近所の香取秀眞宅に逃げ込んでいたそうです。
そういったエピソードも面白い。
《4.観賞の器から、茶湯の器へ》
ここでは昭和初期以降の作品となります。
この時期のスタイルは文様意匠が器全体を覆いつくすよりも、むしろ器形・色彩(釉薬)・文様の要素の三位一体を考え、バランスの良い器を目指すようになります。
また彩磁ばかりではなく、単色釉の割合も増えました。
実用的な面へいったため、観賞用の台もつかなくなります。
そして葆光彩磁は激減。
純粋な磁器から磁器に土を混ぜ陶器に近い素地をつくるようになります。
あたたかみがあってさわり心地のいい新しい形となりました。
<単色釉-中国官窯スタイルへの挑戦>
「葆光青磁唐花彫紋花瓶」
青磁釉。
唐草文に大きな果実と花。
色彩がとても美しい作品。
「青磁立瓜花瓶」
縦に長いく、シンプルな造形。
つるりとしていて涼しげです。
<ロイヤル・テイスト-近代の宮廷文化と波山(皇室、財界人のサロン)>
「彩磁椿花文花瓶」
椿花をほぼ正面から描く大胆なもの。
小ぶりですが、品のいい作品。
1909(明治42)年10月、皇后(のちの昭憲皇太后)職御用品として献上。
<茶湯と波山-近代茶道具>
工芸家たちとの競作
波山の作品は、大正後期以降、"用の器"へと変わっていきました。
1918(大正7)年、"長岡波山会"が数奇者らによって結成されます。
長岡は茶の湯の盛んな地。
そのことによって茶道具へ挑戦します。
「淡紅磁四方香爐」
立方体でワイン色の香爐。
蘭の意匠の彫金文様が施されています。
おしゃれ。
「彩磁珍果文香爐」
青海波文に窓絵内に果実。
取っ手は鹿。
蝙蝠シルエットの彫金文様が施されています。
モチーフからして縁起物かな。
「葆光白磁菊香爐」
菊の花のつぼみのようでつややかで光っています。
つまみも花のよう。
素敵です。
「白天目茶碗」
「分琳茶入 銘 龍宮」
大正12年、宗偏流八世山田宗有は襲名披露の茶会に使用する茶碗と茶入れの制作を依頼しました。
これがその品。
白天目ってきれい。
星座のようです。
垂れる釉薬もまた素敵。
茶入も宝物の玉に見立てた銘。
つるっと丸っこい。
「瓶花図(賛:香取秀眞)」
これは水墨画。
鶴首の をかめの つばき八千代にも 葉かへぬえだに
との賛は友人で鋳金工芸作家、歌人の香取秀眞。
花ははっきりシンプルに描かれいてます。
「氷華磁仙桃文花瓶」
大型の作品。
胴中央部に果実、下部に花文。
出光佐三は知人宅でこの作品を見て深く感銘を受け、その後収集したそうです。
「天目茶碗」
出光美術館で見た"命乞い"と似ています。
赤から青へ移りゆく色がとてもキレイ。
<陶胎への接近-和洋アール・ヌーヴォー、ふたたび>
「彩磁桔梗文水差」
出光美術館でも見た作品。
丸く優しいフォルムに優しい色。
花の美しさ、輝きがとにかく美しい。
「紫陽花文茶碗」
大きな紫陽花が椀に描かれています。
1963(昭和38)年に亡くなった波山。
世に波山の絶作として伝えられている作品の一つです。
出光美術館でも終わりは絶作でしたが、ここでも絶作です。
情報盛りだくさん&美しい作品だらけととても楽しい展示でした。
波山の生涯を追う形で展示が構成されているので、分かりやすい。
出光美術館での展示を見た人も改めて、見れると思います。
おすすめです。
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泉屋博古館分館

会期は2014年6月14日から2014年8月24日。
今回は板谷波山(1872-1963)
アール・ヌーヴォー様式を取り入れ、東洋に古典意匠との融合によって自らの芸術へと昇華させた日本近代陶芸の巨匠。
やきものの美を追求し、陶芸を芸術へと導きました。
陶芸家の社会的地位を高め、日本近代陶芸の発達を促した先覚者。
「葆光彩磁」などの作品はもちろんのこと、作品制作の過程で考案された図案や、陶片資料など貴重な資料による研究成果。
縁のあった人々とのエピソードなどもたっぷりの内容なため2回に分けて書いています。
今日は「その2」です。
★「その1」はこちら→「没後50年回顧展 板谷波山 -光を包む美しいやきもの (その1)」
★出光美術館での展示はこちら→「没後50年・大回顧 板谷波山の夢みたもの ―〈至福〉の近代日本陶芸」
《3.完成期 古典意匠の研究、そして葆光彩磁の完成へ》
ここでは公募展の受賞を重ねた大正中期から独自のスタイルである"葆光彩磁"に取り組んでいく昭和初期までを扱っています。
大正前期には東洋の古典意匠の学習もすすみ、その古典意匠が波山芸術の代名詞となる格調高さをより一層醸し出していくのです。
<波山の古典研究-更紗、仏教工芸>
鳳凰、孔雀など奈良時代、正倉院に伝わる工芸品のモチーフがモデルとなります。
背景には華麗な唐草文が配され、仙桃(3年に一度開花し実を結ぶ中国の伝統的な桃)をモチーフにするなど"幽玄の美"が表現されていきます。
「葆光彩磁細口菊花帯模様花瓶」
口が細い花瓶。
火焔と唐草文が施されています。
葆光彩磁の幻想的なようすが素敵です。
正倉院の夢殿、救世観音の光背がモデルとなっているのだそう。
「葆光彩磁仙果文様細口花瓶」
青海波文が全体に施され、窓絵内に桃のような果実。
こちらも淡い色彩が優しく幻想的。
<大作の時代>
「棕櫚葉彫文花瓶」
出光美術館でも見ています。
白一色の花瓶。
そこを覆いつくさんばかりの棕櫚の葉。
葉の隙間には雷文が入れられ空白はありません。
明治末期から大正初期にかけて大作集中。
明治時代は博覧会の時代とも言われていました。
19世紀後半は世界各国で万国博覧会が行われます。
世界中から珍しい文物が集まる見本市。
大きな作品は展示効果を発揮しました。
「彩磁蕗葉文大花瓶」
大正初期の家族写真にも写っている作品。
大きくても丁寧に文様が施されています。
なんと、高さは77.5cm.
<波山芸術を愛した関西の数奇者-住友春翠と板谷波山>
「葆光彩磁細口花瓶」
胴の一番太いところに菊花文があしらわれています。
繊細でかわいらしい。
<「葆光」-光包むうつわ>
「葆光彩磁珍果文花瓶」
最高傑作といわれているもので重要文化財。
近代陶芸作品では重要文化財指定第1号なのです。
青海波文に窓絵内に籠に入った果実。
桃、葡萄、枇杷が描かれています。
そして、1917(大正6)年、第57回日本美術協会展で最高賞を受賞した出世作でもあります。
住友春翠はこれを壱千八百円で買い求めました。
「葆光彩磁牡丹文様花瓶」
ここまで青系の作品ばかりだったのに、これは赤。
赤一色による彩磁は作例が少ないのだそう。
ぼかしを入れずに彫りにそって牡丹唐草文を描きだされています。
「葆光彩磁妙音紋様大花瓶」
獅子にまたがった童子が笛を吹くとその妙なる音に誘われて鳳凰が登場という場面を描いています。
人物が描かれているのはとても珍しい。
裏には鳳凰と大きな花。
「彩磁草花文花瓶」
更絵から草案されたと思われる縞模様が施されています。
窓絵内に薄肉彫でシンメトリーな花。
爽やかで好きです。
「彩磁唐草文花瓶」
白いドットが全体にあり、唐草文に大きく描いた果実。
構図がおもしろい作品です。
展示室1から展示実2の間には資料が展示されています。
奥さんは下館へ疎開中、刺繍教室を開いていたそうですが、その際の図案は波山が担当したそうで、その資料の桃の図。
波山は桃のグラデーションの配色や葉や花の光の表現などを生徒さんに重視するよう伝えていたとか。
む、むずかしいっす……
他には、彫刻刀や作業ガウン、孫へのはがきなども。
はがきには犬の絵と"ポチを見においで"との言葉。
かわいらしい。
また、杖の頭に鳩のついた鳩杖がありました。
波山は1933(昭和8)年以来、郷里の80歳以上の方に無料で配布していました。
1軒ずつ訪れ手渡ししていたそうです。
それによろこんだ片が鳩杖を手に集合写真を撮り、お礼の言葉を送ると丁寧に返事を返していたのだとか。
波山が80歳になるまで続けられ、300本を超える本数を作りました。
すごいな。。。
平成23年1月下旬から3月にかけて行われた東京・田端の調査結果も展示されています。
ここは開発対象地区となったため緊急で調査が行われたとのこと。
空襲で住居・工房は全焼してしまい、下館に疎開した波山。
ここからは磁器の破片がたくさん発見されたそう。
また、波山は写真で見るとかなりの美男子。
実際もてて夫婦喧嘩もあったとか。
その際は近所の香取秀眞宅に逃げ込んでいたそうです。
そういったエピソードも面白い。
《4.観賞の器から、茶湯の器へ》
ここでは昭和初期以降の作品となります。
この時期のスタイルは文様意匠が器全体を覆いつくすよりも、むしろ器形・色彩(釉薬)・文様の要素の三位一体を考え、バランスの良い器を目指すようになります。
また彩磁ばかりではなく、単色釉の割合も増えました。
実用的な面へいったため、観賞用の台もつかなくなります。
そして葆光彩磁は激減。
純粋な磁器から磁器に土を混ぜ陶器に近い素地をつくるようになります。
あたたかみがあってさわり心地のいい新しい形となりました。
<単色釉-中国官窯スタイルへの挑戦>
「葆光青磁唐花彫紋花瓶」
青磁釉。
唐草文に大きな果実と花。
色彩がとても美しい作品。
「青磁立瓜花瓶」
縦に長いく、シンプルな造形。
つるりとしていて涼しげです。
<ロイヤル・テイスト-近代の宮廷文化と波山(皇室、財界人のサロン)>
「彩磁椿花文花瓶」
椿花をほぼ正面から描く大胆なもの。
小ぶりですが、品のいい作品。
1909(明治42)年10月、皇后(のちの昭憲皇太后)職御用品として献上。
<茶湯と波山-近代茶道具>
工芸家たちとの競作
波山の作品は、大正後期以降、"用の器"へと変わっていきました。
1918(大正7)年、"長岡波山会"が数奇者らによって結成されます。
長岡は茶の湯の盛んな地。
そのことによって茶道具へ挑戦します。
「淡紅磁四方香爐」
立方体でワイン色の香爐。
蘭の意匠の彫金文様が施されています。
おしゃれ。
「彩磁珍果文香爐」
青海波文に窓絵内に果実。
取っ手は鹿。
蝙蝠シルエットの彫金文様が施されています。
モチーフからして縁起物かな。
「葆光白磁菊香爐」
菊の花のつぼみのようでつややかで光っています。
つまみも花のよう。
素敵です。
「白天目茶碗」
「分琳茶入 銘 龍宮」
大正12年、宗偏流八世山田宗有は襲名披露の茶会に使用する茶碗と茶入れの制作を依頼しました。
これがその品。
白天目ってきれい。
星座のようです。
垂れる釉薬もまた素敵。
茶入も宝物の玉に見立てた銘。
つるっと丸っこい。
「瓶花図(賛:香取秀眞)」
これは水墨画。
鶴首の をかめの つばき八千代にも 葉かへぬえだに
との賛は友人で鋳金工芸作家、歌人の香取秀眞。
花ははっきりシンプルに描かれいてます。
「氷華磁仙桃文花瓶」
大型の作品。
胴中央部に果実、下部に花文。
出光佐三は知人宅でこの作品を見て深く感銘を受け、その後収集したそうです。
「天目茶碗」
出光美術館で見た"命乞い"と似ています。
赤から青へ移りゆく色がとてもキレイ。
<陶胎への接近-和洋アール・ヌーヴォー、ふたたび>
「彩磁桔梗文水差」
出光美術館でも見た作品。
丸く優しいフォルムに優しい色。
花の美しさ、輝きがとにかく美しい。
「紫陽花文茶碗」
大きな紫陽花が椀に描かれています。
1963(昭和38)年に亡くなった波山。
世に波山の絶作として伝えられている作品の一つです。
出光美術館でも終わりは絶作でしたが、ここでも絶作です。
情報盛りだくさん&美しい作品だらけととても楽しい展示でした。
波山の生涯を追う形で展示が構成されているので、分かりやすい。
出光美術館での展示を見た人も改めて、見れると思います。
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