見てきました
国立新美術館
会期は2014年6月18日から2014年9月1日。
今回は「バレエ・リュス(ロシア・バレエ)」
1909年にパリで鮮烈なデビューを果たし、革新的なステージにより一世を風靡した伝説のバレエ団です。
主宰者セルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)の慧眼によって、同バレエ団はワツラフ・ニジンスキー(1889-1950)をはじめとするバレエ・ダンサーや振付家に加え、20世紀を代表する作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)ら、数々の新しい才能を輩出しました。
ロシアのエキゾティシズムとして人気を集め、のちにピカソやマティス、コクトー、ブラック、ローランサン、シャネルら、当時パリで活躍していた。そして現在の私たちも知っているアーティストを取り込みました。
バレエだけではなく、美術やファッション、音楽の世界にも革新をもたらし"総合芸術"として大きな影響を与えました。
今回、オーストラリア国立美術館が所有する世界屈指のバレエ・リュスのコスチューム・コレクション32演目、約140点の作品を中心に、デザイン画や資料など、これまでにない規模で展示されています。
会場は黒で統一され、そこに作品ごと島が作られ、衣装が展示されています。
とってもおしゃれな印象です。
展示は年代順となっていました。
簡単に書いておきます。
バレエ・リュスは1909年パリのシャトレ座で《アルミードの館》、《ポロヴェツ人の踊り》、《饗宴》(不出品)で鮮烈なデビューを果たします。
その後も短期間のうちに《クレオパトラ》、《シェエラザード》、《火の鳥》、《ペトルーシュカ》、《青神》などの傑作を次々と発表。
1911年ごろには伝説のスターダンサー、ニジンスキーが振付を手がけるように。
《牧神の午後》、《春の祭典》などがあげられます。
鮮やかな色彩で東洋のエキゾティシズムなどを高度なテクニックで表現したバレエ・リュスは異国情緒溢れる甘美な作品を世に送り出しました。
この1909年から1913年ごろが【初期】となります。
また、ディアギレフに依頼されバレエ・リュスのために作曲した《火の鳥》、《春の祭典》などは作曲家ストラヴィンスキーが広く世に知られるきっかけとなりました。
衣装の展示とともに、簡単にあらすじも書かれているのでとても理解しやすいです。
私は《クレオパトラ》がとても気になりました。
またチラシなどにも大きく扱われている《青神》の衣装。
演じたニジンスキーは全身に明るい青のメイクアップを施していたため、裏地にはその青い跡が染み込んでいました。
これは色彩もカラフルでおしゃれですし、ひらっと広がったスカートもかわいらしい。
1914年から1921年ごろが【中期】となります。
1914年には第一次世界大戦が勃発。
世紀末から続いたベル・エポックは終焉を迎えます。
ディアギレフはそれまでの東洋趣味から離れ、パリで活躍していたピカソやジャン・コクトーら若手の前衛アーティストを、積極的に取り込みました。
振付もニジンスキーに代わりマシーンが活躍。
コミカルな動きが取り入れられます。
美術・衣装デザインはゴンチャロワが担当した《金鶏》、マティスがデザインした《ナイチンゲールの歌》など、モダニスムと関わっていくようになりました。
ナタリヤ・ゴンチャローワがデザインした《サドコ》は海のお話ということで展示品はイカの衣装などとなっています。
ウルトラマリンのシルクにメタリックラメで波状の触手を表し、水の揺らめきや海の生き物の輝きなどが表現されています。
そしてアンドレ・ドランがデザインした《奇妙な店》の衣装は犬。
プードルの衣装なのです。
これも驚き。
【後期】は1921年から1929年ごろ。
マシーンはバレエ・リュスを去り、ニジンスキーの妹、ニジンスカが振付を担当。
マリーローランサンが美術・衣装デザインをした《牡鹿》、コクトーが台本を担当し衣装デザインはシャネルによる《青列車》(不出品)などモダンで洗練された作品が生まれます。
一方で、チャイコフスキーやプティパによる伝統的なクラシック・バレエの最高傑作を紹介したいと考え、《眠り姫》、《オーロラの結婚》といったものも上演。
曲は若き音楽家、プロコフィエフに《道化師》、《鋼鉄の踊り》などの作曲を依頼。
その才能を広めるに一役買いました。
ここで驚くべきは《頌歌》
衣装がレオタード。
に蛍光塗料が塗られたもの。
斬新というか未来的です。
ここではローランサンの絵画も展示されていました。
最後は【バレエ・リュス解散後】
1929年に主宰者のセルゲイ・ディアギレフが急死。
この直後には世界恐慌が起きたこともあり、存続が困難となり解散しました。
しかし、バレエ・リュスに触発されたバレエ団が数多く誕生します。
中でも重要なのが1932年、バジル大佐とルネ・ブリュムによって結成された「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」
彼らは「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」にディアギレフの腹心を呼び寄せます。
同バレエ団はディアギレフのバレエ・リュス時代の主要メンバーが参加し活動しました。
しかし1936年に2人は決別。
ブリュムは新たに「モンテカルロ・バレエ」を結成。
残されたバジル大佐は一座を「バジル大佐のバレエ・リュス」と改名。
モナコを拠点としたこのバレエ団は、世界中を広く巡業、オーストラリアでもツアー公演を行いました。
その同バレエ団で活躍したダンサーたちが、後にオーストラリア・バレエの礎を築きます。
リファールはパリ・オペラ座の芸術監督を。
バランシンはニューヨーク・シティ・バレエ団の母体をつくります。
世界各地のバレエ団の礎はバレエ・リュス出身のダンサーたちによって築かれたのです。
ここではジョルジョ・デ・キリコがデザインした《ブルチネッラ》などが展示されていました。
音楽が流れ、煌びやかな衣装が展示された空間。
見ているだけでもウキウキする、とても楽しい展示でした。
そして、その活動が他に与えた影響がどれほどのものだったかも想像できます。
衣装のほかにスケッチや写真などの資料も多く、見ごたえありました。
久しぶりにバレエ観たいな。
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国立新美術館
会期は2014年6月18日から2014年9月1日。
今回は「バレエ・リュス(ロシア・バレエ)」
1909年にパリで鮮烈なデビューを果たし、革新的なステージにより一世を風靡した伝説のバレエ団です。
主宰者セルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)の慧眼によって、同バレエ団はワツラフ・ニジンスキー(1889-1950)をはじめとするバレエ・ダンサーや振付家に加え、20世紀を代表する作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)ら、数々の新しい才能を輩出しました。
ロシアのエキゾティシズムとして人気を集め、のちにピカソやマティス、コクトー、ブラック、ローランサン、シャネルら、当時パリで活躍していた。そして現在の私たちも知っているアーティストを取り込みました。
バレエだけではなく、美術やファッション、音楽の世界にも革新をもたらし"総合芸術"として大きな影響を与えました。
今回、オーストラリア国立美術館が所有する世界屈指のバレエ・リュスのコスチューム・コレクション32演目、約140点の作品を中心に、デザイン画や資料など、これまでにない規模で展示されています。
会場は黒で統一され、そこに作品ごと島が作られ、衣装が展示されています。
とってもおしゃれな印象です。
展示は年代順となっていました。
簡単に書いておきます。
バレエ・リュスは1909年パリのシャトレ座で《アルミードの館》、《ポロヴェツ人の踊り》、《饗宴》(不出品)で鮮烈なデビューを果たします。
その後も短期間のうちに《クレオパトラ》、《シェエラザード》、《火の鳥》、《ペトルーシュカ》、《青神》などの傑作を次々と発表。
1911年ごろには伝説のスターダンサー、ニジンスキーが振付を手がけるように。
《牧神の午後》、《春の祭典》などがあげられます。
鮮やかな色彩で東洋のエキゾティシズムなどを高度なテクニックで表現したバレエ・リュスは異国情緒溢れる甘美な作品を世に送り出しました。
この1909年から1913年ごろが【初期】となります。
また、ディアギレフに依頼されバレエ・リュスのために作曲した《火の鳥》、《春の祭典》などは作曲家ストラヴィンスキーが広く世に知られるきっかけとなりました。
衣装の展示とともに、簡単にあらすじも書かれているのでとても理解しやすいです。
私は《クレオパトラ》がとても気になりました。
またチラシなどにも大きく扱われている《青神》の衣装。
演じたニジンスキーは全身に明るい青のメイクアップを施していたため、裏地にはその青い跡が染み込んでいました。
これは色彩もカラフルでおしゃれですし、ひらっと広がったスカートもかわいらしい。
1914年から1921年ごろが【中期】となります。
1914年には第一次世界大戦が勃発。
世紀末から続いたベル・エポックは終焉を迎えます。
ディアギレフはそれまでの東洋趣味から離れ、パリで活躍していたピカソやジャン・コクトーら若手の前衛アーティストを、積極的に取り込みました。
振付もニジンスキーに代わりマシーンが活躍。
コミカルな動きが取り入れられます。
美術・衣装デザインはゴンチャロワが担当した《金鶏》、マティスがデザインした《ナイチンゲールの歌》など、モダニスムと関わっていくようになりました。
ナタリヤ・ゴンチャローワがデザインした《サドコ》は海のお話ということで展示品はイカの衣装などとなっています。
ウルトラマリンのシルクにメタリックラメで波状の触手を表し、水の揺らめきや海の生き物の輝きなどが表現されています。
そしてアンドレ・ドランがデザインした《奇妙な店》の衣装は犬。
プードルの衣装なのです。
これも驚き。
【後期】は1921年から1929年ごろ。
マシーンはバレエ・リュスを去り、ニジンスキーの妹、ニジンスカが振付を担当。
マリーローランサンが美術・衣装デザインをした《牡鹿》、コクトーが台本を担当し衣装デザインはシャネルによる《青列車》(不出品)などモダンで洗練された作品が生まれます。
一方で、チャイコフスキーやプティパによる伝統的なクラシック・バレエの最高傑作を紹介したいと考え、《眠り姫》、《オーロラの結婚》といったものも上演。
曲は若き音楽家、プロコフィエフに《道化師》、《鋼鉄の踊り》などの作曲を依頼。
その才能を広めるに一役買いました。
ここで驚くべきは《頌歌》
衣装がレオタード。
に蛍光塗料が塗られたもの。
斬新というか未来的です。
ここではローランサンの絵画も展示されていました。
最後は【バレエ・リュス解散後】
1929年に主宰者のセルゲイ・ディアギレフが急死。
この直後には世界恐慌が起きたこともあり、存続が困難となり解散しました。
しかし、バレエ・リュスに触発されたバレエ団が数多く誕生します。
中でも重要なのが1932年、バジル大佐とルネ・ブリュムによって結成された「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」
彼らは「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」にディアギレフの腹心を呼び寄せます。
同バレエ団はディアギレフのバレエ・リュス時代の主要メンバーが参加し活動しました。
しかし1936年に2人は決別。
ブリュムは新たに「モンテカルロ・バレエ」を結成。
残されたバジル大佐は一座を「バジル大佐のバレエ・リュス」と改名。
モナコを拠点としたこのバレエ団は、世界中を広く巡業、オーストラリアでもツアー公演を行いました。
その同バレエ団で活躍したダンサーたちが、後にオーストラリア・バレエの礎を築きます。
リファールはパリ・オペラ座の芸術監督を。
バランシンはニューヨーク・シティ・バレエ団の母体をつくります。
世界各地のバレエ団の礎はバレエ・リュス出身のダンサーたちによって築かれたのです。
ここではジョルジョ・デ・キリコがデザインした《ブルチネッラ》などが展示されていました。
音楽が流れ、煌びやかな衣装が展示された空間。
見ているだけでもウキウキする、とても楽しい展示でした。
そして、その活動が他に与えた影響がどれほどのものだったかも想像できます。
衣装のほかにスケッチや写真などの資料も多く、見ごたえありました。
久しぶりにバレエ観たいな。
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