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ミレーの『晩鐘』 懐かしい風景

2014-08-30 07:15:00 | 編集手帳

8月20日 編集手帳

 

「福分(ふくぶん)」という言葉がある。好運に同じ、
と辞書にはあるが、
すこし感触が違うらしい。
作家幸田文、
女優沢村貞子お二人の福分談議が岩波現代文庫『幸田文対話』にある。

沢村
〈私の母なんか、一升枡(ます)に一升五合は入らないよっていいました〉。
幸田
〈私の場合、九尺梯(ばし)子(ご)は 九尺だけっていわれましたよ〉。
一升なら一升の、
九尺なら九尺の、
授かった運に感謝して精いっぱい生きるのだが、
身の程を心得て背伸びはしない。
それが福分のようである。

福分の心に国境はないと、
その絵を眺めて思う。
ミレーの『晩鐘』である。

国立新美術館(東京・六本木)の『オルセー美術館展―印象派の誕 生』に展示されている。
収穫したジャガイモと農具の傍らで手を合わせる妻。
帽子を手にこうべを垂れる夫。
ささやかではあれ、
授かった福分をきょう一日まっとうできたことへの感謝だろう。
ひがみと愚痴でその日その日を締めくくることの多い身に、
その夕景はほろ苦い。

〈愛一つ胸に灯(ひ)と成し祈りゐる農婦ミレーの「晩鐘」仰ぐ〉(亀山桃子)。
訪れたこともない異国の風景なのに、
なぜだか妙に懐かしい絵である。

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