まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

房総駅間ひとりウォーク(JR鎌取駅~JR誉田駅 営業キロ3.8Km) 

2015年01月17日 | 房総駅間ひとりウォーク

JR鎌取駅からJR土気(とけ)駅までは、線路と県道20号、通称『大網街道』が併行しており、線路を右に見たり、左に見たりしながらてくてく歩きました。

大網街道周辺は、現在のように有料・高速道路が整備されていなかった頃、外房の物資を内房、北総、江戸へ運んだ道(土気往還)で、今も地元の生活道路です。


まずは、隣の誉田(ほんだ)駅を目指して。
なにげに使っていますが、誉田(ほんだ)とか土気(とけ)って、酒々井(しすい)と同じ難読地名かもしれませんね(・へ・)

 

少し歩くと、千葉県こども病院の看板が見えてきました。
実は、ここ、子2号が視力の問題で、幼児の頃から小学校を卒業する頃まで、手術のため入院したり、定期的に治療に通った病院で、何百回も見た看板です。

当時はなんとか治してあげたいといういっしんで必死でした。
ウォークでこの看板を眺めるのも、複雑な気持ちです。
子2号はたくさんの人に助けられ、今は健常な状態になり、「ひとりで大きくなったような顔をして」自分の時間を生きています。

ずいぶん前の事のような気もしますが、ついこの間のような気もします。
過ぎ去った時の流れで、今となれば、どうでも良い事ですね。
この看板も、自分の生きてきたメモリアルみたいなもんかなと思いつつ、歩きました。

当時は、自分にも、家族にものすごいエネルギーがあった!
これは、間違いない。
色即是空です!


(野田十文字手前の道標))

野田十文字に差しかかりました。

JR誉田駅は、明治時代は、野田駅と呼ばれていたそうです。
現在の千葉県で『野田』といえば、野田市がメジャーになりましたね。

近世のこの地では、外房(九十九里方面)、内房(市原方面)と北総(成田、四街道方面)の交差する野田村は、近隣の村の中心だったのでしょう。

明治22年に、野田村をはじめ各村にある八幡宮の祭神、誉田別命(ほんだわけのみこと:武運の神)の名からとって村名にしたという話が伝わっています。

ちなみに、この野田十文字周辺には、生実神社の所で書いた千葉氏や里見氏が覇を競っていた頃の中世の強者どもの夢の跡の逸話があります。
関心のある方は、検索してみてください。

 

誉田の市街地に入ってきました。
この先で、『忍足歯科』という難読看板を発見。

大切な事はスルーしてしまうくせに、気になるとこだわるところがあって(笑)

忍者の足?
にんそく?

帰宅後調べたところ、『おしたり』と読むようですね。
(苗字なので、もっと違う読み方かしれませんが)
「へぇ~~」ですね。

ご先祖は、忍者だったんですかね?(笑)
里見氏に仕えた武将に名前が残っているようですが、そんな家系なのでしょうか。

 

12時40分過ぎ、JR誉田駅に着きました。

歴史のある街で、駅周辺に民家が多く、鎌取、土気のように駅前開発が進まず地道な駅前ですが、駅から西(市原、長柄(ながら)方面)へ少し進むと、いい感じの昔ながらの田舎風景があって、私的にはお気に入りの地域・駅です。

鎌取-誉田(3.8Km) 2015年1月10日

 

 

コメント
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