村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

22.人生バランスが大事、直すというより正常なバランスに戻すべき

2006-04-15 21:44:25 | 人生
我々は当り前のように思っているのですが、女男・上下・右左・大小・押す引く・愛憎・戦争平和・善悪・・・・・・・あらゆる物事は、対(ツイ)になっています。こういうことは、よくよく考えてみると、不思議といえば不思議であり、実にうまくできていると、改めて関心するものです。単純に考えますと、物事というのは、そのバランスが保たれていることが健全である証拠になるというわけです。片方にもし偏ったら、確実かつ適切に元に戻すように是正すれば良いだけのことなんです。偏るのは、ものの常ですから、それ自体が悪いというのではなく、偏ったら元に戻すことが大切なんです。自動制御システムとでも言いましょうか。ところが機械でもこの自動制御が組み込まれていない場合は、故障や不良が多発します。最近の機械はマイコンや全般的な技術が向上したために無人で何時間も停止せず、不良も作らないものが当り前になっているのです。しかし一方人間社会というか人間は、多くのトラブルと多くの不良を垂れ流す今日この頃です。機械やロボットの進歩と反比例して、人間や人間社会は、バランス感覚が弱体化し、急速に堕落しているのです。
戦争があり平和がある、病気があって健康がある。金持ちがあって貧乏がある、手遅れになってバランスが大きく崩れると、大きな困難や崩壊につながるものです。神様の自動制御システムによって、バランスを失えば警報が鳴ったり、ストップしたり、元に戻そうとする力が働くようになっているのです。
バランスを崩した時に、神様の意思や自然のフィードバックや自動制御が働かないような場合があると、バランスをとるきっかけをつかむことができないわけですから、そういうことは恐ろしいことですね。更に現代は、あちこちで警報が鳴りっぱなしなのに何もしないでいるという最悪の状況・末期的な状況なんです。機械に例えると警報が鳴りっぱなしなのに、おかまいなしに生産を続けているというわけですから、結果は不良の山になるというわけです。
ごみが落ちていても誰も拾わないように、暴力に遭っている人をみても誰も助けないように、未成年者がタバコを吸っても注意しないように・・・・・・・・・・。
ガスが漏れています。自動的に警報機が鳴る又は自動的にガスコンロが停止するというものが最近は多いですが、ガスが漏れても漏れっぱなしという場合、恐ろしいことですが、結果は明らかです。中毒から死に至ります。
現代や現代人の落ちいる落とし穴も存外そういうことにあるように思います。
最近、世の中にいろいろな問題が起きています。ほとんど毎日・毎時間です。

①凶悪事件
②役人の汚職
③役人の税金の搾取・無駄使い(詐欺横領の犯罪です)
④企業の不祥事
⑤子供の殺害・幼児虐待・家庭内暴力
⑥先生の性的犯罪
⑦放火
⑧俺俺詐欺・振り込め詐欺
⑨テロ・紛争
⑩ニート・フリーター
⑪引き篭もり
⑫自殺・・・・・

そういう現象がこれでもかこれでもかと新聞やTVを賑わします。新聞やTVは、そういう事件の大安売り・大劇場と化しているのです。もう絶望的な限界をはるかに大きく超えています。

そういう現象が現れているということ自体は、ある意味健全なんです。原因があれば結果が出る「結果や現象から原因を分析し適時・適切な手を打つ」というのが自然の法則・原理・原則です。
この場合大事なことを改めて整理してみますと、

①原因をきちんと分析する
②原因にきちんと手を打つ
③その手の結果を検証する
④その手が適切であればそれを維持する
⑤その手が不適切な場合は是正する

ことができていれば、その社会や企業や個人は極めて健全なんです。どんな困難なこともこういうことさえきちんとやっていれば安心なんです。悪い現象によって打ちのめされ、是正せず、放ったらかしにしてしまうことは最悪です。

しかしもっと困ることがあります。そういう現象や警報が鳴らない場合です。
物質や肉体以外の目に見えない、精神的な領域、人間の本質的なこと、人間そのものに関する場合には、現象や警報が鳴らない、鳴ってもかなり遅いことがあります。
人間は真面目に生きる人にも、そうでない人にも、「お前さんはまずいよ」「お前さんは危険だよ」という警報はそう簡単には鳴らないのです。だから人間はついつい問題意識を持つことなく、悪い人は悪いなりのまま、又はどんどん悪くなって、一生を生きながらえてしまうのです。バランスをとるきっかけを失ってそのままずるずるというやつですね。
タイムリーかつ明確に警報が鳴りませんから、警報は自分で鳴らさないといけないのです。そのために厳しい先輩・厳しい修行・厳しい暮らしをしないといけないのです。そうすることで、そういう人にも警報が聞こえてくるようになるのです。
やさしい先輩・困難を避け・安易な暮らし・自堕落な暮らしをしている人には、警報アラームが聞こえませんから、益々いい加減な仕事・いい加減な先輩・いい加減な惰性の暮らしに浸っていくのです。こういう人は、問題解決や精神的な成長がありませんから、永遠に本物の幸せがやってきません。

■問題があると普通は何らかの警報がなります
■警報が鳴ったらすぐに行動すればよいのです
■しかし警報が鳴らないものがあります
■鳴らない場合は、警報を聞くように自分なりの努力が必要です
■それによって見えないものが見えてきて、適切な手を打つことができます
■もしそういう努力をしない人は、本物の満足も安楽も幸福も味わうことはないのです
■死ぬ時に、くだらない人生を振り返って、大きな後悔をすることになる

バランスをとると一口に言っても、バランスをとろうとするあまり冷静さを失い、むしろ更にバランスを崩してしまうことも多いのです。病気になった、栄養のあるもの食べて暖かいフトンでゆっくり2日ほど寝ればよいにですが、バランスのとり方を間違えると薬・注射に頼ることになるのです。本当のバランスでなく誤魔化しのバランスとりになってしまっているのです。病気を直そうとするのでなく、基本的なバランスを正常に回復するという感覚を身につけることが大事です。
ノイローゼになる躁鬱になる人が増えているのだそうです。躁鬱病というとあたかも最悪のように考える人が多いのですが、案外そうでもないのです。躁鬱になったのには原因があるのです。また躁鬱になることは、発熱と同じように、人を保護する働きもあるのです。病気になると熱が出ます。熱が出るのは、病源菌と戦っている証拠なんです。だから徒に熱を下げるのではなくそのまま安静に寝ることが、確実に直す早道なんです。躁鬱の症状もできればそのまま躁鬱を受け入れてしまったほうが良いのだそうです。元気がなくなったら、当分元気を失なったままにしておけばよいのです。下手に元気を出そうとあせることは、直るものも直らなくなってしまうらしいのです。「躁鬱になったら、躁鬱になってしまえ」というのだそうです。下手に早く逃げ出そうとすると、かえってバランスを崩してしまうようです。
周囲の人がびっくり仰天して、下手に直そうとあせるのは最悪です。全て自然の摂理・自然の成り行きにまかせるべきなんです。問題というのはかなり最悪の場合は、むしろ何もせず、任したほうがいいこともあるらしいのです。なだれに巻き込まれる、強い潮に流される、海で溺れそうになるなんていう場合も、状況が最悪であるほど、とりあえずあまり、もがかないほうが良いのだそうです。
「がんばろうとして」それが果たせずに疲れ切って精神が錯乱しているのですから、更にがんばり躁鬱から抜け出そうとあせるのはバランスをとるにでなく更にバランスを崩すことになるのです。

まあバランスをとるとかキッカケをつかむというのは、案外むずかしいもののようですが、まあいろいろの問題に遭遇したら、又は一見問題がないように見える場合でも、冷静に「どうしたらバランスがとれるのか?」「どのようにバランスをとるべきか?」と考えることが大事なようです。
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