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生きているときに、いずれやって来る「死」について考察すること、
死んだらどうなるのか考えること、そういう学問を死生学といいますが、
そのような考えって、生きていくための心配がなくなって初めて出てくるものではないか、と僕は思うんです。
たとえば野生の動物は、今日生きることで精一杯なので、死んだらどうなるかなんて考えないでしょう。
それに比べると、僕たち人間は、とりあえず生きるためにあれこれ考えることからは、解放されています。
言い方を変えると、生きていることが当たり前になっている、だから死について思いを巡らすことができる、というわけです。
瀬戸内寂聴さんが、「死んだらどうなるかなんて分からない。だってまだ死んでないんだから」と仰っていましたが、
僕としては、死んだらこういう世界に行く、死後の世界はある、と言われた方が説得力があるし、納得すると思います。
宗教、哲学、医学…いろいろな方法で、人間は「死」というものについて、アプローチを試みてきましたが、
いまだに、明確な答は出ていません。
結局、死ぬということはこれ以上ないくらい個人的なことなので、
自分の信じるままに、その時を待つしかないのかもしれません。
死についての、そういう個人的な信念を「死生観」といいますが、
もしも死ななくてすむ方法があったら、人はそれを望むだろうか? という問いも、この本は投げかけています。
僕としては、どうでしょうか…死ぬということも、死なないでずっと生きるということも、想像がつきませんね。
私はここ10年くらい、身近な人を立て続けに亡くしたので考えないこともないですが、あまり考えないようにしています。
ただ、終わりのない命ってないような気もします。
なので、あるがままに自然に生きていけたらいいな~と思ってます。
まあそれが、人間のあるべき姿なのでしょうね。
問題は、死とは消滅にすぎないのか、それとも新たな出発なのか、ということなのですよね。
もし死後も何らかの形でこの世が見られるとしたら、
僕は、人間がどこまでやれるか見届けたい、と思っています。
死後の世界は、きっと良いところだろう、と僕は信じています。
私のブログは自からの命を絶たないために書いていましたが、ある青年を助けることは出来ませんでした。
人は必ず死ぬのだから自から命を絶たなくても良いのだけど、どうしても生き辛いようでした。
私の力不足を痛感し落ち込んでいます。そんなときに『死とはなにか』が目に入り思わずコメントを入れてしまい失礼しました。
ただ、もう死ぬことしか選択肢がないのだ、と思う瞬間がある、というのは知っています。
僕の友人にも自殺した者がいますし、僕自身も自殺を考えたことがあるので、それは分かるつもりです。
その亡くなられた方と、あかいねこさんとの間にどういうご事情があったのか存じかねますが、
助けることが出来なかった、とご自分をあまり責めないほうが良いと思いますよ。
もちろん生きようと思えば生きられたのに違いありませんが、その方にとってはそれしか選択肢が無かったのかもしれません。
どうも答になっていないようで、申し訳ありません。
またいつでもお越しください。
こんにちは。
自殺を思いとどまってくれなかった青年がいたのですね。真剣に引き留めていたけど届かなかった・・。
その人にとっては、死は次へのステップだったかもしれないですね。
なんか、難しい話しだーーーーーーーー
どうコメントしていいのか分からないーーーーー
宮ちゃん、精神年齢がチルドレンなのでーーー
ますます、分からないーーーーーーーーーー
トロさんは、オトナだーーーーーーーーーー
トロさん、はぶあないすないとーーーーーー
でも、今回の記事の性質からして、
「自分にはわからない」というのも、貴重な意見としてアリだと思います。
僕はブログでは大人ぶっていますけど、本当は子供っぽいやつですよ。
コメントありがとうございます~♪
ぐっどないと!