昔読んだか読んでないか忘れた「アブサロム、アブサロム!」を岩波文庫で読み終えて思ったのは疲れた、暑苦しい。「響きと怒り」も講談社文庫と岩波文庫両方とも登場人物のコピーとか付けてあるのでこれは間違いなく読んでる。篠田一士が大好きな作家と書いたフォークナー、原書で読むか訳で読むか違いあるかもしれないが、たとえ20カ国語の訳で読めたとしても好きにはなれない。逆に「ユリシーズ」や「失われた時を求めて」を日本語で読んで好きだといっていいのかとも思ってしまうが別に研究者じゃない、ジョン・アッシュベリの詩集何冊も持ってるが2行くらいしか読んだことないのにあの難解な詩人はと言っても誰にも迷惑かからないのと同じだと開き直る。だって難解といわれるものを好きだと言ったら自分も頭良さそうに見られるかなと心の奥に潜む見栄があるのかと自分を疑うが、単純に言えばわからないものって魅力がある。フォークナー別に難解だとは思わないが南部の保守的な臭いが嫌だ。黒人女との欲求のはけ口で子どもを産ませなんてアメリカ南部ではどこでもあったような話を書かれると、やることしか頭にない馬鹿な欧米人が浮かんできてそんなことまで小説で読みたくないよと思う。「失われた時を求めて」の上流社会のサロン話を読んで面白いのはプルーストは徹底的に馬鹿にしているから。前も書いたがアメリカ小説好きでないからヘミングウェイの爽やかな小説だっで好きでない。と書くとそれで話が終わってしまうのだが、イタリアにはネオレアリズモがあるがアメリカはハッピーなハリウッド映画というたとえが当てはまるか。一言で言うなら中身がない。もちろんすべてではない、ソール・ベローのような作家もいる。ジャズが好きでアメリカ詩が好きなんだけど、アメリカ小説が好きでないというのは失礼だから言い換えるとアメリカという国が好きでない。今までアメリカドル使ったことないし、これからも使うことないだろう。「失われた時を求めて」好きだけどフランス人大嫌いだからそれも関係ないか。フランス人など一番人種差別感が露骨で他のヨーロッパ諸国でもアジア人は自分たちより下と思ってるに違いない。チップで生活しているブルーカラーでさえ。さすが今では一等の切符を買えばアジア人は一等に乗るなとは言われない。また話それた。今回久しぶりにフォークナー読んだけどやはり好きになれなかったということ。次は5冊目の途中までいって読むのをやめたムージルの「特性のない男」を再開するか。
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