And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

アルゼンチン、私のために泣かないで

2016-04-18 07:08:13 | 日記
ボルヘス4冊買ってきた。「創造者」を除く3冊は探せば出てくるのだが、見当もつかない本を探すために使う時間を考えたら文庫のダブりくらい仕方ない。ムージルも1冊買ってきて久しぶり本を買ったという気分になった。元々南米文学はそれほど好きでなくて、オクタビオ・パスは好きだったがコルタサルは「石蹴り遊び」と短編、バルカス・リョサは「緑の家」くらいか。マルケスは「百年の孤独」を学生の時買ったが読まないままになっている。NHKテレビでスペイン語の講師が「少佐に手紙は来ない」を好きだといっていたので今度読んでみようかと思ってそのまま。ボルヘスも「伝奇集」は読んでいるが全く記憶に残っていない。「砂の本」も読んだと思うのだがと読んでみたが覚えていない。「他者」の自分に会うのはベルイマンだなと思ったが、読んでいれば覚えているはずなのだが。同じ短編でもコルタサルはどうも肌に合わなくて途中でやめてしまったのに比べると読み進められるのは気に入る可能性がある。それでも読んでいるはずのものが覚えていないのはそれ自体幻想文学になっている。机の上にあったはずの「伝奇集」どこへいったのだろうと考えても仕方ない。また別の本探しているときに出てきたりする。特に買ったあとにすぐ出てくるなんてよくありそう。ラテンアメリカ文学は何か宙に浮いている気がする。同じ時代のヌーボーロマン、アメリカ文学は今日のことを考えている。ジョージ・オーウェルの「1984年」はユートピアの世界ではなく近未来の世界。欧米は現実に目を向けているのにと書くほど南米文学を読んでいない、もしくは忘れているので1冊も読んでないガルシア・マルケスも読もうか。国書刊行会から出たオクタビオ・パス、それもどこにいったか見当つかない。古い本でもガートルード・スタインの本は目の前にあるのに。今はふとボルヘス読みたいと思ったから手元にあるが、これも読んでしまって積んでおいたらまた行方不明になってしまうかもしれない。文庫は見えるように立てておくのはスペース的に限度があり、「失われた時を求めて」「ユリシーズ」フォークナー、ウルフあとなくなると手に入れづらくなる本があるのでSF、それ以外はきれいに並べておくようなことはしない。「石蹴り遊び」もこれだけ文庫で再版されないということは古本を探すしかない。U.S.A.もそうだろう。岩波でも難しいのか。文庫は読みやすいけれど、あとでまた開くとかしないので粗末にあつかってしまう。アメリカ文学でもベロー、ロス、ボールドウィン、マラマッドなど今でも文庫で出ているのだろうか。サルトル「自由への道」文庫で出たから読んだけど、全集は今ではとても字が小さくて読めない。

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