「プラトーン」を観たとき、なんて映画だ、もう観ることはないと思った。「裸者と死者」を読んで早く終わらせたい、残り数十ページなのだがそれが長く、この地獄から抜けて、この悪夢から目覚めて現実に戻りたいとばかり思った。これは小説だからやめたらすぐ現実に戻れる。怪我人を担架で運んで疲れ果ててジャングルをさまよっているのは自分ではない。もしこれが現実であるならば一生悪夢がつきまとうだろう。そして戦争を経験した多くの人のように家族にさえ話すこともできず、心の半分は閉ざされたままになる。なぜこんな悲惨な小説がベストセラーになったのだ。多くの人が経験して、小説まで読むことのなかった時代に。日本ではインパール作戦があるのに誰も書こうとはぜず、映画になるのは山本五十六。「裸者と死者」も映画化されたが小説に比べたらピクニックのような映画。数年前アメリカでも「パシフィック」という戦争を正面から取り上げたテレビドラマが出たが、それまでは戦車が活躍するドタバタ映画ばかり。もしくはプロレスのように最後正義の怒りが爆発して、すかっとさせる。人が死んでいくのに仲間が殺されていくのにどこがすかっとさせる要素があるというのだ。でもサルトルのいうように飢えて死んでいく子どもたちには文学は無力だ。特にこういう主義主張のある小説は忘れられてしまう。ヘミングウェイは読まれるけれど、ノーマン・メイラーは新訳も出ていない。読むとしたら古本を探すしかない。そして好き好んでこのジャングルには入っていかない。ドキュメンタリードラマも好きでよく観るのだけれども、一度観たら何度も観ることはないのと同じく、こういう小説も繰り返し読まれないのはわかる。回想シーンでしか女性は出てこないのだから、ヘミングウェイのラブロマンスとは違う。誰が孤島のジャングルに二度足を踏み入れようとするだろうか。客観的に読むものではなく、自分は経験したくないし、たぶん大丈夫だろうと思うが、これからの若い人は自ら経験することがあるかもしれない。全集はあるけれども、メイラーはこれくらいにしておいて次は別のものにしよう。ナタリー・サロートか途中でやめてしまった埴谷雄高か。とにかくこの悪夢を忘れなければ次に進めない。