ベルリンのマクドナルドに物乞いが入ってきて、みんな普通に小銭をあげているのを見て驚いた。それどころか肩をたたいてわざわざあげているのを見ると無視した自分が悪いような気がした。今リオの治安が話題になっているがベルリンでもそういう人が普通にいるのを見ると南米などは優しい気持ちを出す前に取られてもおかしくないと思う。一流選手が高級ホテル泊まらないで選手村泊まるというのはどういう治安なんだ。それなら一般の人が応援、観光になど行けるわけがない。そういう話というのは行ったらそれほどでなくということが多いが錦織のようなボディガードでも雇える人間が選手村泊まると聞くと話だけではなさそうだと想像がつく。だからといってロンドン、パリが安全なわけもない。ダブリンだって夜の繁華街は変なのが歩いていることだってある。何人か人数がいればまだいいが、自分が行くときは大抵一人なのでそういうときは心細い。それ以外は気楽。街を1周する観光バスがあるので、それで乗り降りすればダブリンの街はロンドンなどに比べると狭いのでだいたいわかる。最初は「ユリシーズ」の道跡たどってと歩いたが、それもすぐ終わってしまう。曇り空は多いが小雨くらい傘などいらない。特別感動的な景色が市内にあるわけではなく、テームズ川に比べるとなんとも寂しいリフィ川も1枚写真撮ったらそれでいいかくらい。でも「ユリシーズ」があるおかげで自分にとって愛すべき街になる。たまに日本語が聞こえることがある。この人たち何を観にダブリン来るのかと思う。ホテル朝食時に隣の女性が日本人っぽく見えたので尋ねるとそうで、音楽が好きで来ているという。何も聞かなかったのでもう一生会うことはないだろう。それは例外で日本語が聞こえると逆に私は日本人ではありませんみたいな顔をしてしまう。今、東洋系は皆中国人。ギネスの工場も1度行けばたくさん。ジェームソンもそう。美術館は行くがルーブルでもあるまいし、何度も行かないだろう。オコンネル・ストリートにジョイスの像があるけれども、誰も気にしていない。青森の人がすべて太宰治を読んでいるわけではないのと同じく、この街の人のほとんどは「ユリシーズ」など読まないに違いない。自分も一字一句「ユリシーズ」を覚えているわけでもなく、学生の頃夢中になったというだけで、新訳が出て、文庫で出て再び読み返したくらいで今となってはもうどんなのだったか思い出せないくらいなのだが、しばらく行っていないダブリンの町並みは今でもはっきり浮かぶのだから、ジョイスもダブリン離れてしばらくしてから「ユリシーズ」書いても道の1本1本はっきりと思い出して書けたのはそれは当たり前か。