植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

ただ彫ってお金にするのが篆刻家では無かろう

2023年06月25日 | 篆刻
ここ数か月の体調不良と雑事に追われて多忙のために、書道や篆刻が思うに任せまない日々であったのです。梅雨前から植物が動き始めているので、剪定から種まき・野菜の植え付け雑草を抜き、殺菌剤殺虫剤散布、とやることが次々と出てきます。一方でメダカも恋の季節に突入し、産卵・孵化が始まります。活発に餌を食べ成長期に入るので、糞の量も増え水温の上昇もあいあまって水質の悪化と藻の繁殖が加速し、頻繁にメダカプールの水替えの頻度も増えます。

朝は5時前に起きて活動を始めないと間に合わなくなっているのが「やみくもに趣味を広げた」初老のワタシの落ち度であり、ここ何年も治りそうもない宿痾ともいえましょう。

それでも、軽い鬱と言われる原因となった自治会長職を外れ、精神安定剤のおかげもあってそれまでの生活や精神状態が戻ってきて、五月中ごろから「篆刻」を再開できました。彫っていれば楽しく、ほかの事も忘れてただただ集中できるのです。摸刻と自作印を繰り返し彫っております。昨日一昨日ほったのがこれです。

うーーむ、これは最初の印稿にやや問題があって、今一つの出来ですね。

そんな中、印材での調べ物でネット検索していたら、ある篆刻家の方のブログの記事が目に留まりました。以前から時折目にするブログで、鎌倉の雨人さんなんかと同様、ブログやインスタグラムで積極的に情報発信(営業か?)しています。Iさんとしましょう。

Iさんは、詳しく調べてはいませんが、ちゃんとした先生について篆刻を学びいくつかの権威がある賞も貰っているれっきとした篆刻家さんのようです。その方のブログに気になる記述がありました。それは古の先人名人の手による名刻の「印譜」の紹介記事であったと思います。
彼は、そのすごい篆刻家さんたちの印影を指して「そこらのネットに投稿・掲載されているじいちゃんばあちゃんの印とはわけが違う」と言う意味の記述がありました。「そうか、ワタシがたまに写真をあげているブログの自作印は、そこらのじいちゃんが彫った何の価値もない印」とみられているのだな、と今更ながら思い知った次第なのです。

篆刻家というのは、明確な基準や資格・試験があるわけではありません。一般的には①数ある主流の書道団体のどれかに属している ②それなりの師匠に師事している ③ちゃんとした作品展の受賞歴がある、、といった方で、一応依頼によって有料で印を彫るという人種を指すようです。勿論、高い技量と篆刻をこなした数・年数もそれに加味されるでしょう。

60歳を過ぎてから、無謀にも篆刻家を目指すことにしたワタシは、上記の条件にはいずれも該当しません。ただの素人の67歳のおじさんで、篆刻も本格的にやり始めたのは3年くらいのものです。

Iさんは、そんなおじさんおばさんが彫った印など見るにも値しないと馬鹿にしているのです。無論、若いころから月謝を払い専門的に研鑽してきた篆刻家さんでしょうから、それも無理もありません。著名な篆刻家さんの印を紹介しつつ、自分もそっち側にいる特別な存在であることを暗に示しているのです。

ワタシが思うのは、そういう素人のおじちゃんたちがなぜなぜ下手な印を彫り、場合によっては自分の諸作品の「落款印」として押印しているのかをご存じないからだと思います。書道教室では先生が「ご自分で彫ってみたら」と勧めることが多いのです。それは、専門家に作成依頼すると何万円も取られるからです。書作品は短冊レベルから全紙という大きな紙まで非常に幅があって、その文字数や字の大きさなどによって、バランスよく捺す印も何種類も必要なのです。また、三顆印といって、姓名印・雅印・引首印をセットで捺すのが最も美しいともいわれます。つまり、書道を本格的にやればやるほど必要になる印の数が多くなるのです。

ふんだんにお金があって、高いレベルの書道の技量があるなら、1本1万円以上を支払って篆刻家さんに発注するでしょうが、ほとんどの書道に携わる人はそんな贅沢なことにななりません。ワタシが、はじめて姓名印を当地一流の篆刻家さんに依頼した時3万円を支払いました。そしてその時手にしての感想は「たいして上手くないじゃん」、3万円の価値があるとは思えなかったのです。もったい付けてひと月かかると言われて待たされました。ご自身はなかなか嘱望された本県では有数の篆刻家だと自慢していたのですが。

ワタシはそのあと、自分で彫るしかないと決めて、彼に指導してくれるよう打診したのです。しかし、ワタシの歳でど素人に教えるような気にはならなかったようで、体よく断られました。 自分ではすでにいくつもの篆刻の書籍や字典を集め自作に取り組んでいたのですが、「いくつ字典や本を持っていてもしょうがない」と突き放したような言い方をされたのです。以来、その印章店には出向いておりません。

ワタシは思うのです。今は曲がりなりにも独力・独学で篆刻に取り組み何人かの方には彫ってください、と頼まれることもあります。必死に彫っているうち多少は上達しましたよ。また、篆刻や書道のチャットで知り合った若い子に材料や道具を提供し、指導まがいの事もいたしております。一貫してやってるのは、書道に関わった人たちに篆刻のすばらしさを伝えること、自分で彫ってみたいという人たちを応援することであります。下手な出来でもいいから、チャットやブログに自分の作を載せるのは、誰かの目に留まって、このくらいなら自分でもやれるのだ、と思ってもらえればいいと思うからです。

上に立つものは「謙虚であるべし」、ワタシ自身はそんなレベルには到底及びません。
ですが、人の彫ったものを小ばかにするなどもってのほか、いいところを見つけて褒める、場合によっては改善点を指摘して頑張るよう励ます、そんなことを実践して、篆刻の狭い世界を広げるのも篆刻家さんの大事な責務のような気がいたしますね。

下の二つは五月に彫ったもの
『学びて然る後に足らざるを知り、教えて然る後に困しむを知る』
 自分でやってみて学ぶうちに自分に足らないものが分かるようになる
人に教えていると初めてその難しさが解るようになる といった意味です
まだまだ修行が足りませんですね💦

コメント (2)
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