植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

目がぼやけて仕方ない 眼精疲労を軽減しよう

2022年05月17日 | 健康
目がかすむのが日常化しております。
近似した表現ではピントが合わない、ぼやける、しょぼしょぼする、といったところで、いずれも篆刻など細かい作業やスマホを操作する上では厄介この上ない症状であります。

原因は一概に言えません。というより多くの要素が複合的にかみ合わさっているのです。目は脳の一部である、というのが医学界に限らず、ワタシら一般人さえ多くが知っている常識のようです。網膜は脳の一部が体の外に突き出してきた神経と言われており、外部の情報の8~9割を視覚から得て、脳と一体化して瞬時に判別するのだそうです。脳が疲れていると目もつかれる、目を酷使すると脳も酷使されいるのです。

また、視野に入った膨大な情報は、ほとんどをスルーして大事な部分のみを脳で認識し判断すると言います。いちいち空が青いとか車が走っているなど、見慣れた風景や形は、大方が脳がデータベースとして持っている記憶で代行するそうです。いちいち細部を目で見て何であるかを解析しないで「はしょる」のです。それで、目を開けて入って来る膨大な視覚データのほとんどを解析・記憶せずに済むのであります。

逆に言えば、目には何も障害が無くても、脳自体に問題が生じたり疲弊していると視力低下や目の痛み・疲れが出て来るということもあります。夜、確り寝ていても目覚めた時に目に違和感を感じたり、あたりがぼんやり見え、目の奥が痛むといった経験があるでしょう。眠っている間にも目は休めていないのです。

これに限りません。一般的に言われているだけで、パソコンのブルーライト、何かを凝視し瞬きが減ったり、涙の量が減ってドライアイになる。老化で目のピントを合わせる「毛様体筋」 が劣化する、ワタシのように勉強好き(笑)な人は、猶更であります。また、単純に眼鏡の度が合わない、レンズが汚れたり曇ったりしているというのもありますな(笑)

細かな作業を一日続けるとか、スマホやパソコンの画面を中止し続けると眼精疲労を起こし、末梢神経が傷つくといいます。神経が参ってしまって目の痛みやカスミが出て来るのです。これには、食生活や体調も大きく関わっているようです。

回りが暗い、照明などが明滅するなどの環境も影響するでしょうね。ひょっとすると大きな雑音や音楽の音も脳に悪影響を与えて、目に来ているかもしれません。

更に、高血圧・高血糖といった循環系疾患を患っていると目に症状が出ます。糖尿病になると真っ先に眼科検査を受けさせられるのはそうした理由によるものです。もう一つ、目そのものの病気も原因になります。乱視・近視・老眼などいずれも放置すれば当然目に負担がかかり、見えづらくなります。緑内障や白内障は物が見にくく成り、ぼやけて来るようです。

とまぁ、沢山の理由によって目がかすむので、ワタシも少なくとも老化・老眼から目の酷使、高血糖などの影響が複合的に合わさっていると想像いたします。というよりほとんどすべてが該当するので目がかすむ・ぼやけるのが当たり前なのです。

さて、そこでその改善と治療をどうするか。
真っ先に「病院にいけ」という考えが思い浮かびますが容易ではありません、なぜなら前述のように目がぼやけるのは、眼科、脳神経科、内科、循環器内科などにまたがって多岐にわたった原因があるからです。目がぼやける程度で、全身の精密検査を行うのは時間とお金も相当になります。例えば脳ドックは自費なら4,5万円はかかります。総合病院に行けば待ち時間も長く一日かかってしまいます。目がかすむ、ぼやける、程度の症状だと医師から、「忙しいのだからそんな程度で煩わさないで」と嫌味を言われるのがオチでしょう。

医者にかかるのは、目の異常で生活に支障が出る=見えなくなる・痛みがひどい、といった顕著な症状が出てからでありましょう。

そこで、民間治療・自力回復を図るしかありません。これは結局は「目に良さそうなもの」を片端から試すことと、目や脳を休ませる・いたわるということに収まります。

目を休めるのはワタシがこうしてブログを更新するとか、iPhoneでツムツムやったりヤフオクをチェックすることを自粛するということになります。目にタオルを当てて目を休ませるのがよかろうとおもいます。篆刻も少しセーブしなければならないか。普段園芸で、緑に囲まれ土を眺めているのはかなり良い効果が得られるでしょう。

次に目に言い食物を摂取する、であります。これは専門のサイトに多数出てきます。要はバランスよく肉や魚・野菜果物を食べる、に収斂するのです。特にいいとされるのは、鰻・青魚・ブルーベリー・牛乳・キノコ類・野菜であります。栄養素で言えば各種ビタミン、ルテイン、アントシアニン・DHA・
アスタキサンチンなどです。

ワタシは、野菜や果物で目に優しいブロッコリー、マルベリー(桑の実)・イチゴ類・ブルーベリーなどを栽培しておりますが、難点は時期でしか食べられない、年間を通じては口にできないということであります。また、アントシアニンなどは1時間ほどしか効果が続かないと聞きます。

そこで、これを補うために医者に処方されたビタミン剤を服用しております曰く「傷ついた末梢神経を修復し眼精疲労や肩こりを改善する」というものです。しかし、残念ながら暗示にあまり反応しないワタシには、これが効いているのかどうかあまり体感できない、とうのが実感であります。

先日、ついに次のステップ、サプリメントを試すことにしました。小林製薬の「ブルーベリー」とDHCの「ルテイン光対策」であります。一粒40円見当の値段で、計60日分あります。サプリ博士の家内に言わせるとこういうものは最低3か月試さないとわからない、のだそうです。あと30日分を追加で買ってこないとなりませんかな。

おっと、家内に頼んでたまには鰻を奮発してもらおう。
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友達と印は古い方がいい

2022年05月17日 | 篆刻
ワタシはいつの頃からか、あまり友人を作りたくない、と思うようになりました。特に書芸・園芸・篆刻・メダカなど趣味に没頭するようになると、誰にも邪魔されたくない、際限ない友人・人間関係の維持は、生活を乱すとも考えています。

若い人は、LINEの登録件数が、人付き合いの良さ交友関係の広さを測るバロメーターとする風潮があるようですが。なるべく増やさないようにしております。結果として、今お付き合いのある友人と呼べるような人たちとは最低10年、長いものでは50年来の友であります。女房と畳は新しい方がいい、と言いますが、友達は古いのに限ります。

先日、大分に住む幼馴染(小・中の同級生)と再会して、篆刻印を作ることを約束したのです。長い空白を経て十数年前に再会し、以来ずっと連絡を取り合う仲間であります。別に印を彫れるのを自慢するつもりではありません。以前グループLINEで、その同級生たちの希望者数人に、篆刻印を作ってあげたのです。今回会食すると、他の人が、実は私も欲しいと言い出しました。九州の田舎に暮らす友達は、いたって奥ゆかしく慎ましやかなので、頼みにくかったのだそうです。

ここ半年ほど摸刻主体に彫っていると、オリジナル印もやりたくなるのです。それは、昔の大家が彫ったお手本をただ真似るという刀法の上達だけでなく、「字法」(昔の時代によって異なる篆書体を選び、その文字を集める)、そして「章法」(方寸の印面に、いかに字を配置し、空間を生かして美しい字列を作るか)を練習することになるからです。

摸刻だけでは、そうした篆刻に必要なノウハウがおろそかになります。また、ただ練習で彫っているだけでは、いい加減なところで妥協し、中途半端なままに次の印に移っていく、という好ましくない傾向も出ておりました。彫る方のことを思い浮かべながら、妥協しないで勝負する、という気概が必要なのです。

いくらでも彫ります。印材は山ほどあります。そこで以前から言われるのが、彫ってあげると「お金は幾ら?」と聞かれるのです。金はとりません、修行の身で、まだ未熟ですから、とお答えしますと、では石代くらいはお支払いしますと仰る。

これが、困るのです。ワタシは印材屋さんから仕入れているわけでもホームセンターで買っているわけでもありません。ネット、ヤフオクで気に入ったもの良さそうな石を1個~100個位で落札して数千個保有しているのです。仕入れ値・「定価」や相場など無いに等しいのです。ましてや、その印材も一個数十円の安物から数万円までの高級印材があり、時代物の「骨董的価値」があるものまで様々であります。
 例えば数日前に届いた落札品がこれ。9千円ほどでワタシにとってはなかなかの高額落札でありました。田黄石のような数万円するような1点物ではありませんが、「時代物」と言える古い印材であります。
 
この中で最も高価なものは、手前の紐つき自然形の石です。牛角凍と呼ばれ、半透明な灰色を基調とし、結着した黄土色の石層に飾り彫りを入れるという高級印材と見ました。印材に薄意や彫刻を施して側款を入れるのは中国では「董滄門 」さんや「秋堂」さんが有名で、その本物は軽く数十万円致します。
 この印はそんな一級品ではありませんが、少なくとも1,2万円はするようなお値打ちものであります。また、右の対になる獅子紐の印材は、硬い非常に精緻な石質と見え、古材・良材に共通する温潤な趣があります。もしかすると印材の三宝と言われる田黄石・鶏血石・芙蓉石に準ずる「黄高山石」かもしれません。紐自体も手彫りで美しく、もし絹箱入りであれば一対1万円以上で販売されているものでしょう。左の二個は印面を削った形跡があり、市場に出る時所有者を特定されない様にしたのでしょう。これは普及品で高いものではありませんが、石全体にある「アタリ」や「すれ」などの傷を見るまでも無く、数十年以上経過している古い寿山石であります。

 ワタシが分かるのはおおよその石の種類と、見た目や紐や側款の細工の良し悪しで、粗悪品・普及品・良材・希少品の区別です。彫りやすいもの=高価とはなりません。

 ですから、用いる印材を選ぶときは、摸刻(練習)か、好意(押し付け)で差し上げるのか、注文を受けてお代を頂くのかで決めます。最近では。宝の持ち腐れはバカみたいなので、出来るだけ良材を優先するようにしております。

話を戻して、古くからの友人4人から、彫ってくれと言われてほぼ出来上がりました。印材は、かつてどれも一般的に売られていたような普及品でありますが、かなり古いものであります。篆刻家さんや書道家さんが数十年も前に入手して、長らく眠っていたものでしょう。
久しぶりにオリジナルの姓名印を制作しました。これに仕上げの「側款」を入れ、全部の汚れを落とし磨きます。そしてそれぞれに合った布張りの印箱を探します。当然印箱もほとんどがオークションで手に入れた中古品であります。今買えば300円から高いもの(革張り)で2千円位ですが、これもサービスします。人にものを差し上げるのにむき出しというのは失礼にあたりますからね。

古い印材を再利用し、古い友のために印を彫り、古い箱に入れます。そしてワタシの(勝手につけた)篆刻の雅号は「篩(ふるい)石」で、側款に刻みます。
友人も印材も女房も「古い」ほうがいいのであります。
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