風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

桜井さんのこと

2005年11月27日 | ろう文化・白馬聴覚障害者のための里山紀行
11/25 亜細亜大学手話特別講座=桜井清枝さんのお話を聞く



亜細亜大学では、聴覚障害者についての理解を深める生涯学習講座を開いている。
本来は15回通しの申し込みだが、特別に頼み入室を許された。
亜細亜大学には、聴覚障害を持つ学生が5名い、このことを契機に、聴覚障害学生へのノートテイクサービスの提供や、手話講座の開設、聴覚障害者への理解を深める生涯学習講座開設などを試みてきたということだ。

桜井さんのお話で、四つのことが印象に残った。

①福祉の原点
昔は、聴覚障害の私も、智恵遅れの人も、身体障害者も、それぞれ地域・社会の中でそれぞれが役割を持って、生活=共存していた。
それは、みんなが諍いを起こさず平穏と言うことではない。
相互はいろいろ軋轢があったり対立したり、もまれることは当たり前で、そのことを通していつか落ち着くところに落ち着く。
そんなことが私の福祉の原点だ。
今、障害者は、地域・社会から見えなくなっているのではないか。
福祉は何か特別なことではなく、そうした原点で考えていきたい。
白馬に聴覚障害者が観光に来た時、手話で案内・説明できる人がいると言うことは、観光で成り立つ白馬にとっては、これからは「売り」になります、よと説得しました。

②聞こえると言うことはどういうことか。聞者はろう者をどう見ているのか。
白馬村の村会議員への立候補は、薦めてくれる人がいてであったが、よもや当選するとは思わなかった。
少しでも聴覚障害のこと、福祉の原点のようなことを訴えられれば良いと思っていたら、当選してしまった、と言う感じでした。
白馬では、初めての女性村議の誕生であり、また初めての障害者・聴覚障害の村議の誕生であり、初めてのことがたくさんあった。
手話通訳者がどうして必要なのか、と言うことが理解されるには半年かかりました。
説得するには、言葉が必要ですが、同時に「聞こえると言うことはどういうことか。
聞者はろう者をどう見ているのか」ということは、説得に当たってとても大事でした。
[通訳保障は権利だ、というのはその通りなのだが、それだけを訴えるのでなく、『良いことを言われているけれども私にはわからない、お互いが理解し合うには通訳が必要だ』みたいな言い方は、相手には響くかもしれない。]

③言葉を磨く。
説得には言葉が必要ですが、相手に響き、訴える言葉は大事です。
人と人は、言葉と言葉でつながっています。
ならば、言葉は大事で、磨きをかけなくてはなりません。
話し言葉・手話の両方に磨きをかけました。

④一人のうしろにたくさんの人がいる。
今は、たった私一人のために手話通訳者がいますが、私の後ろには、手話通訳者を必要とするたくさんの聴覚障害者が続いています。

全体的な印象は、とても穏やかで、以前に増して笑顔がとても優しくなりました。


出会った人の名前:大塚ろう学校の橋本さん・亜細亜大学学生の野口さん。

講演後の交流会にも図々しく参加。
年配者は桜井さんと私だけ、その二人だけが「死と向き合う」と言うことを考えていた。
若い人は意識しないと言う。それは当然のこと。
ふたりが一致したのは、
「死んで行く身、失敗してくさったり、小さいことにくよくよしないで、今生きていることを大切にする、でも、わき目もふらないで頑張るのではなく、自分のペースで行くこと」
であった。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。