① 「行政に対する国民の皆様の信頼を取り戻すため、公務員について指摘されている悪しき体質を徹底的に拭い去り、21世紀の行政を支える新しい公務員像をつくり上げます」。
② 「官僚とは、わたしとわたしの内閣にとって、敵ではありません。しかし、信賞必罰で臨みます。 わたしが先頭に立って、彼らを率います。彼らは、国民に奉仕する政府の経営資源であります。その活用をできぬものは、およそ政府経営の任に耐えぬのであります」
これ、誰が言ったと思います。実は①が安倍改造内閣の所信表明で、②は先日の閣下の所信表明である。読み比べてわかるように、政権をほっぽり出したとはいえ、安倍総理は一応、行政改革の必要性は認識していたようです。一方、閣下はというと、「行政改革を進め、ムダを省き、政府規模を縮小することは当然です」と建前で言うものの、「官僚」はお友達とはっきり認めているのである。
言うまでもなく、「官僚」とは普通、「政策決定に影響を与えるような上級の公務員の一群」いうことになっている(広辞苑)。つまり、彼にとって、おんぶに抱っこの政策を提供してくれるキャリアは大いに歓迎。しかし、憎くてたまらない民主党の票田となる国家公務員は目障りでならない。だからこちらのほうは、3日の参院代表質問で、国の出先機関の見直しについて「二重行政の無駄がある。住民に身近な行政は地方自治体に移す」と語り、公務員削減などによる歳出削減に意欲を示したのだ。
早い話、彼にとって、「行政改革」とは天下りの禁止でも、特殊法人への補助金削減などではない。ただの、”人切り”に過ぎないのだ。
なるほど、彼の出自が企業経営者だけあってリストラにはなれているといいたいのだろう。つまり、彼にとって正社員(中央の官僚)は経営資源だけど非正規社員(現場の公務員)はそうでないようだ。
だからこそ、経済ジャーナリストの町田氏が『公務員改革嫌いの麻生総理を待望する官邸官僚の高笑い』と題し、このまま公務員改革嫌いの麻生政権が続けば、公務員制度改革と財政改革が骨抜きになってしまうと警鐘を鳴らしているのである。
そして、せっかく、福田政権で内閣が一括して公務員を採用し、省益を超えた機動的・戦略的な人員配置をできるようにするため、内閣人事局を創設することを定めたのが水の泡。パワフルな組織とは似ても似つかないお粗末なものなってしまうというのだ(http://diamond.jp/series/machida/10043/?page=3)。
処で、為政者はよく、お役所の不正を現場のせいにし、挙句は組合の罪にする。果たしてそうだろうか。なるほど、社保庁一つとっても、職場の腐敗ぶりは話にならぬほどひどい。そして、組合活動がその責めの一端を担っているのも間違いないだろう。
だからといって、そんな組織を許し、職員の暴走に見てみぬ振りしたのはどこの誰なのか。その組織には当然、上司が存在し、組織を束ねる長がいたはず。彼らは一体、何をしていたというのだろう。おそらく、厚労省本庁から出向し、無事任期を勤めたいだけの名ばかりの職務についていたからではないか。
昔から「勇将の下に弱卆なく、弱将のもとに強兵なし」という。つまり、兵の至らなきは将に問題があるので、それを兵からまず罰す、では本末転倒だろう。又、こういうお手本をお上が率先するからよけい経済界も、弱将だらけとなって、どんどん、日本の経済の活力を損ねていくのだ。
まさにいい例が昨今の風潮。お役人が天下国家を考えるのはせいぜい係長まで。上に行けば行くほど、出世競争に明け暮れ、頭にあるのは天下りで手にする甘い汁だけ。又、企業のトップも、経営センスは磨かず、リストラと非正規社員化でしのぐだけ。そして、年々上手になるのは、頭を下げて詫びることぐらい。
勿論、政治家も似たようなもの。「国民目線で・・」といいながら、麻生式「上から目線」。又、改革を看板にしながら、小泉式のいずれわが息子への「地盤・看板・かばん」の継承という旧態依然の政治姿勢などなど。
この悪しき慣行をぶっ壊すためにも、もはや、政権交代しかないのである。つまり、小沢氏が代表質問で言ったように「官僚の天下りと税金のムダ遣いをなくし、税金を官僚から国民の手に戻す」しか日本社会の閉塞感を打破する方法はないのである・・。♪
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