まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

「青春哲学の道(17)」

2011-09-09 | 自叙伝「青春哲学の道」
(写真は実業公論編集長時代)
そしてある日のことだった。冷房の利いた応接室で三時間、新宿の大手不動産会社の広報担当常務と話をして外に出て、しばらく部下と二人で歩いていた時だった。突然めまいがし、息苦しくなって、動けなくなり、道端で倒れてしまった。真夏の炎天下だというのに身体が異常に寒い。呼んでくれた救急車の中で、遠のく意識を必死で手繰り寄せながら、「ああ、俺は死ぬんだなあ」と実感するほど、異様な苦しさだった。慶応病院の救急処置室に運ばれ、結果は、過呼吸症候だった。つまり、何らかの不安によって、浅い呼吸が速くなり、血中の酸素濃度が急に高まって、手足のしびれやめまいを生じさせるというもので、「しばらく休んでいれば治ります」と医者から言われた。後から知ったことだが、これで水前寺清子は新幹線を止めたり、高木美保はトレンディドラマの出演をやめたという。しかし、医者から言われたほどそんなに簡単な病気ではなかった。その日以来、身体がだるくってどうしょうもないのである。俺は二週間アパート近くの病院に入院したが、一向によくならず、三ヶ月、会社を休職した。すると塩月社長が一宮の運転で見舞いに訪れ「少しづつでいいから、出社しろ」と言ってくれた。家では身体がだるくて、ほとんど寝ていたが、やがて、生活のこともあるので、頑張って出社するようになった。しかし、とても以前のように仕事ができない。道を歩いてもフラフラするし、なにしろ身体がだるい。熱があるのかと体温計で計ると、やはり微熱がある。にっちもさっちも行かない状況である。とにかく、生活がある。辞めるわけにはいかない。俺は月給泥棒を決め込んだ。朝、とりあえず出社すると、中央線に乗り込んで、二時間近くをかけてアパートに帰り、寝て、また夕方出社して、デタラメな営業日報を社長に提出した。勿論それだけではクビになるので、月のうち10日くらいはフラフラしながら都心の会社を訪問し、ある程度の営業成績は上げておいた。その数字でも他の人にヒケはとらない営業成績だった。しかし、途中で何度も過呼吸の発作に襲われ、その度に、袋を口に当てたり、公園のベンチで横になった。本当に自分でどうなっちまったんだろうと、判らなかった。仕事中に、大学病院や総合病院を何箇所も訪れ、内科から神経科から検査を60種類もしてもらったが異常は見られなかった。石堂さんというノンフックションライターに駒込病院の精神科を紹介され、教授に診てもらうと「これは、あんた、治らないよ」とまで言われてしまった。