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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

ハネケの映画は哲学する#2…「カフカの『城』」

2013-04-16 | Weblog

■製作年:1997年
■監督:ミヒャエル・ハネケ
■出演:ウルリッヒ・ミューエ、ズザンネ・ロータ、他

ミヒャエル・ハネケ監督がカフカの小説「城」を映像化した作品です。テレビ映画として制作されたものらしいですが、私はもとよりヨーロッパのテレビ事情などわからないので感覚で言うだけですが、この映像がテレビのために制作されたの?と疑いたくなるような、ある意味で大衆に映像を流す装置としてのテレビにとって、もっともテレビ向きではないと思える実験精神に富んだ作品となっていました。私はカフカの「城」について、昔読んだことがあるのか?途中で投げ出したのか?あるいははなから読んだことがないのか?いずれも記憶がないのですが、測量技師のヨーゼフKという名前だけは、記憶の襞に残っています。それだけ有名な小説であるということ。

 

カフカの「城」は巨大システムのメタファーとかそんなことがよく言われているようです。どこまでいっても<城>に辿り着けないのは、巨大システムが迷宮であるどころかその余波を受けて入口にさえ伺うことができない状態は、こちらから歩みよって考えればそんなこともあるのだろうと思ったりします。私はこの作品を見ていて連想したのは政治でした。一人の人間が国会議員となって国政に参加しても、一体どれだけこれが政治なんだという、そのものズバリに辿り着けているのだろうか?国政といいながら国家そのものの実体というか核のような部分に辿り着けて実体ある変革など行えているのだろうか?みんな虚像にむかって精神を擦り減らしているだけなのではないだろうか?そんなふうな連想が浮かび上がってきたのでした。卑近な例ではよく仕事の中で、会社のためにとか、会社としては、という言葉を使うのですが、はたしてその会社の実体とは何なんだろうか?もしかしたら会社という虚像を勝手に自分自身が作り上げており、それはただの心の中の会社というものを通して吐かれる言葉なのではないだろうか?と。会社も政治も実体がつかみ辛く、それは<城>と同義と見れるのかもしれない…、そんな風に考えたのでした。

 

しかし、まだ何本も見たわけではないので言い切ることができないのですが、ミヒャエル・ハネケ監督はホントに強烈な映像作品をつくる人だなと思います。この作品もカフカの小説はここで終わっているとして、突然に映像がきれて終了してしまうのですから。それをやるには勇気もいるだろうなと。やることが徹底していますね。

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