■製作年:2003年
■監督:ラース・フォン・トリアー
■出演:ニコール・キッドマン、ポール・ベタニー、クロエ・セヴィニー、他
ラース・フォン・トリアー監督の「ドッグヴィル」を見たのですが、冒頭からビックリの映像が展開されました。またまたやってくれますね、トリアーさんって感じです。ドッグヴィルというアメリカの小さな街が舞台なのですが、まるで演劇の装置のように抽象的で人工的な空間、壁はなく各々の家は白線で仕切られており、家具はその家庭を象徴するものしかおいていない、ドアもなく人の出入りはエチュードでノックしたりドアノブを回したりするという、まさに演劇的な空間というのがピッタリな舞台を作り上げているのです。最初、まさか最後までこの感じでいくのかなと思っていたら、そのまま最後まで見せてしまうんですね。こんな映画は見たことがありません。なんと斬新なこと!
ドッグビルという街は外部から人も来ることがなく変化もない貧しい辺境の地という設定で、そこにニコール・キッドマンが演じるグレースといういわくつきの過去を持っていそうな、でもこの街には決して見かけることのできない飛び切りの美人がまさに異邦人として現れるというところから始まります。この小さな田舎街ドッグヴィルは何かを決定する際は全員参加の集会で決めており、彼女の身の処し方を眠る場所を提供するかわりに、住人への奉仕を義務づけることになります。かいがいしく奉仕するグレースに住人は最初は感謝するのですが、だんだんと隠れているエゴが露出し、支配と被支配者の関係へと変化していきます。彼女はマリア的な存在から奴隷的な存在へとすり変わっていくのです。やがて逃げられないように首輪を付けられ男達の性の玩具へと落としめられてしまいます。そこには善良な市民がふとしたきっかけで暴力の行為をしていることに気づかない危険な集団心理へと嵌まっていくプロセスを描いているように見えます。
そいした目に見えない暴力に支配された異常な状態はやがて、目に見える暴力によって半ば強引に終末を迎えることになります。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」も救いがないような結末であったのですが、ショック度の度合いは違えどもこの映画も、ある種救いがない結末であると言えましょう。暴力には暴力で決着がついたということ、しかしそれは本当の決着なのかという疑問、そしてその根底に見えてくるのは貧困と権力、善と悪の境目の曖昧さ、ヒューマニズムと人間不信……などといった人間存在の大いなる矛盾なのであります。結局である、人間のこの大いなる矛盾は自分にとって都合のいい論理をそれぞれの立場で無意識的にあるいは意識的に、感情的に、そして思考的にも作り上げていくのであって、ラース・フォン・トリアーは赤裸々にそれを観客に突き付けてくるのです。ドッグヴィルとは直訳すると犬の村となっている。
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映画パンフレット 「ドッグヴィル」 監督/脚本 L・V・トリアー 主演 N・キッドマン | |
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