飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

映画「メタルヘッド」(監督:スペンサー・サッサー)を見た

2011-07-25 | Weblog

渋谷シアターNにて

 

■製作年:2010年

■監督:スペンサー・サッサー

■出演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット、デヴィン・

ブロシュー、ナタリー・ポートマン、他

 

この映画の予告編を見ていてどこか違和感を感じていました。映画館で映画を見るとは有料でもあるしけっこうな数が上映されているので、ガッカリすることを極力避けたいと切に思うため私の場合、事前に雑誌に載っている映画の星採り表などを参考にすることが多いです(見ないこともありますが)。そんな中でこの「メタルヘッド」はその星採りがよかったので予告編で感じた違和感は食わず嫌いなのかも知れないとそう思いました。暑い日々も続くしそれを吹き飛ばしてくれるかもと映画館へと足を運びました。

 

 

 

※以下、ネタバレ注意!

私がまだうら若き青年の頃、よく言われていたことはアメリカは10年日本より進んでいるということ、だからアメリカの流行を追随すれば今後の日本のトレンドをいち早く把握できる、そんなことが言われていました。でも今となってみればジャパニメーションとかカワイイということが言われるようになり、以前のような文化的流行の差はなくなり、ジャンルによっては立場が逆転してきたように思います。しかし、今回この「メタルヘッド」を見て思ったのは、この映画に描かれているような、ある意味破天荒で少し病んでいることは日本でも起こり得るんじゃないかということです。私はこの「メタルヘッド」をどこか文化的予言のように感じたのであります。

 

映画は偶然の事故で目の前で母を亡くした少年の家に突然ヘビメタ風の行動もハチャメチャな男・ヘッシャーがやってくるところから物語は展開します。父親は妻の死から立ち直れず髭は伸び放題、ソファーで寝るは、あげくは息子にも八つ当たりする始末。息子は息子で母親が乗っていた自動車が廃車されるのがとてもたまらない。そこへそんな悲しみをぶっ飛ばすかのようなヘッシャーのメチャクチャな行動です。どれも犯罪といえば犯罪だらけ。それを悪びれず堂々とやるのだから、見方によれば?痛快そのものです。他人のものは自分のもの、一生消えることのないヘタウマ的な絵のタトゥーを全身に掘っており、裸でのっしのっしと歩くヘッシャー。圧倒的な自己都合の論理で飯を食うわ、車は焼くわ、モノは壊すわ、屁をこくわの大騒ぎを引き起こします。

 

 

 

しかし、このヘッシャーが最後にこの家族を救済するという役割を果たすことになります。人の迷惑など考えないトンデモ男が、自分の睾丸を一個失ったこととを例えて母親(=妻)不在の家族でもいいじゃないか、生きていることだけでいいじゃないかとアピールするのです。映画は最終的に家族再生の話としてあるのですが、映像を見ているだけでモラルを無視したような暴力的で破壊的な行為をヒーローとして見せている予告編で私が感じた違和感は、映画としてよくできていたと思ったものの、やはり鑑賞後も違和感は拭い去ることはできませんでした。というのも、彼が居候した少年を虐める車屋の息子の花をハサミで切ってしまうのは、けっして心温まるものではありません。一人の子供の人生をその場の感情で大きく左右させてしまうような暴力の行使で存在感を見せつけるのは酷い男ではないかと。そうしたモラルが欠如した無法者の存在は、情報化社会の中で情報を消費し価値が平坦化した現代、その場さえ楽しければいい、その場では俺様、王様のように振る舞えればいい、そして自己都合の情けを都合よく振る舞う、という価値観はどこかで増幅しているような気がするからです。だからは私はこの「メタルヘッド」をどこか文化的な予言のように感じたのでした。

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